昨日、初めて大島空港に撮影に出かけました。
そもそもどんな飛行機が離着陸しているのか、よく知らなかったためです。

空港の敷地内には雉がたくさんいるようです。
雄同士で仲睦まじいのは、初めてみました。

一日一便。羽田と結ぶ全日空のボンバルディアDHC8-Q300です。定員56名。この日は数えられた限りで17名のようでした。

本当は最初に新中央のドルニエ、全日空のボンバルディア、の順で到着し、離陸していったのですが、撮影場所に苦労していたら、金網ばかり撮れてしまい・・・。
朝9時台の便は、結局町営牧場の近くで粘って終了でした。
足元になっていた桑の実を味わいつつ(これって桑の実ですよね??)、作戦を練り直し!

11時台の各島行きのヘリを狙って再び大島空港。
作戦変更のために戻る途中、空港入り口のタクシーの運転手さんに、絶好の撮影ポイントを教えていただきました!
大島空港、3Fが屋外の展望デッキだったんですね!
いや~、撮れる撮れる。
こちらはセスナT-41Mescalero。アメリカ空軍の飛行機だそうです。
機体に武者の絵が描いてあって、とてもカッコいいです。

こちらはソカタ式TB10型。個人所有の機体だそうです。
空港には、こういった航空機も離着陸するんですね。へえ。

そして、一日三便、調布と結ぶ新中央航空のドルニエ228-212です。定員19名。9時台の便には13名、この11時台の便には見ている限り9名乗っていました。


最後にヘリです。各島を結ぶ、東邦航空のシコルスキーS76C+型。タイムテーブルから見ると、こちらは三宅島からきて大島。大島から利島へ向かうヘリだったようです。
初めて生でホバリングを見ましたが・・・ヘリの操縦って難しそう!!
なにかジオに関係ないかな~、と思って図書館で郷土資料を探してきました。閉館40分前に行ったので、慌てて探していたので町史と、あとYS-11引退に伴うジェット化のために滑走路の拡張工事をしたときの資料(私としたことが、資料名を完全に控え忘れてきました)だけですが。
そこでわかったことが、伊豆大島にYS-11が就航していたという事実!!
いやそこじゃなくて。
でも一言。伊豆大島に来るまで住んでいた町、埼玉県所沢市には知る人ぞ知る、航空公園というところがありまして。そこにはYS-11が屋外展示されています。私にも馴染みの深い機体が、まさか伊豆大島と関係していたとは・・・。
それはさておき、拡張工事をする際、当初は乳ヶ崎、愛宕山、三峰山を削る案が出ていたというのです。
今、シンボル的に見えているものが全部なくなっていたかもしれない・・・。
それに3つとも、伊豆大島の火山の歴史、動植物の生態・環境、歴史や文化を考えるうえでは、欠かせない大事なところです。
当時、反対運動が起き、さらにテスト飛行を1年行った結果、すっぽり切り取る案は回避されたとのこと。
よかった~!!!
ずっと気になっていた、愛宕山の西側の変なコンクリートは、それでも削らざるをえなかった跡だったんですね。
さて、図書館の横の、いつもなんだろう?と思っていた、隣のこんもりした森・・・潮音寺をようやっと訪れました。
とても気さくに、いろいろとお話を伺わせていただきました。

今年はこんな毛虫をよくみかける、とのこと。大きくなったら何になるのでしょうか?

また、伊豆大島にきて初めて「チャドクガ」を見ました。すごい・・・群れている・・・。
別名「軍隊虫」というのがよく分かりました。
ひや~~~~~!!!!!

境内には地蔵堂があり、中のお地蔵様は30年ほど前に数学の先生が彫られたとのこと。
優しいお顔をしていて、見ているとホッコリします。そのお堂もステキなんです。
お寺や神社に行くと、たいてい立派な彫り物がありますが、こちらはなんと心のこもった彫り物でしょう。
愛くるしい思いが伝わってきます。お寺の長い歴史もさることながら、こうして新しい歴史・将来の文化財が形作られていくことを目の前で見ることができた気がします。

元町の長根岬から。このあたり、昔は砂浜もあったとか。
まったく信じられません。砂はどこにいったのでしょう?
噴火で地形が変わり、海や風の力でも変わり、そして人の力によっても変わる。
なくなったものは元には戻りませんが、今ある環境をよく知り、後世に伝えられるものは伝えていかなければいけない、と改めて感じた一日でした。(ユカ)
そもそもどんな飛行機が離着陸しているのか、よく知らなかったためです。

空港の敷地内には雉がたくさんいるようです。
雄同士で仲睦まじいのは、初めてみました。

一日一便。羽田と結ぶ全日空のボンバルディアDHC8-Q300です。定員56名。この日は数えられた限りで17名のようでした。

本当は最初に新中央のドルニエ、全日空のボンバルディア、の順で到着し、離陸していったのですが、撮影場所に苦労していたら、金網ばかり撮れてしまい・・・。
朝9時台の便は、結局町営牧場の近くで粘って終了でした。
足元になっていた桑の実を味わいつつ(これって桑の実ですよね??)、作戦を練り直し!

11時台の各島行きのヘリを狙って再び大島空港。
作戦変更のために戻る途中、空港入り口のタクシーの運転手さんに、絶好の撮影ポイントを教えていただきました!
大島空港、3Fが屋外の展望デッキだったんですね!
いや~、撮れる撮れる。
こちらはセスナT-41Mescalero。アメリカ空軍の飛行機だそうです。
機体に武者の絵が描いてあって、とてもカッコいいです。

こちらはソカタ式TB10型。個人所有の機体だそうです。
空港には、こういった航空機も離着陸するんですね。へえ。

そして、一日三便、調布と結ぶ新中央航空のドルニエ228-212です。定員19名。9時台の便には13名、この11時台の便には見ている限り9名乗っていました。


最後にヘリです。各島を結ぶ、東邦航空のシコルスキーS76C+型。タイムテーブルから見ると、こちらは三宅島からきて大島。大島から利島へ向かうヘリだったようです。
初めて生でホバリングを見ましたが・・・ヘリの操縦って難しそう!!
なにかジオに関係ないかな~、と思って図書館で郷土資料を探してきました。閉館40分前に行ったので、慌てて探していたので町史と、あとYS-11引退に伴うジェット化のために滑走路の拡張工事をしたときの資料(私としたことが、資料名を完全に控え忘れてきました)だけですが。
そこでわかったことが、伊豆大島にYS-11が就航していたという事実!!
いやそこじゃなくて。
でも一言。伊豆大島に来るまで住んでいた町、埼玉県所沢市には知る人ぞ知る、航空公園というところがありまして。そこにはYS-11が屋外展示されています。私にも馴染みの深い機体が、まさか伊豆大島と関係していたとは・・・。
それはさておき、拡張工事をする際、当初は乳ヶ崎、愛宕山、三峰山を削る案が出ていたというのです。
今、シンボル的に見えているものが全部なくなっていたかもしれない・・・。
それに3つとも、伊豆大島の火山の歴史、動植物の生態・環境、歴史や文化を考えるうえでは、欠かせない大事なところです。
当時、反対運動が起き、さらにテスト飛行を1年行った結果、すっぽり切り取る案は回避されたとのこと。
よかった~!!!
ずっと気になっていた、愛宕山の西側の変なコンクリートは、それでも削らざるをえなかった跡だったんですね。
さて、図書館の横の、いつもなんだろう?と思っていた、隣のこんもりした森・・・潮音寺をようやっと訪れました。
とても気さくに、いろいろとお話を伺わせていただきました。

今年はこんな毛虫をよくみかける、とのこと。大きくなったら何になるのでしょうか?

また、伊豆大島にきて初めて「チャドクガ」を見ました。すごい・・・群れている・・・。
別名「軍隊虫」というのがよく分かりました。
ひや~~~~~!!!!!

境内には地蔵堂があり、中のお地蔵様は30年ほど前に数学の先生が彫られたとのこと。
優しいお顔をしていて、見ているとホッコリします。そのお堂もステキなんです。
お寺や神社に行くと、たいてい立派な彫り物がありますが、こちらはなんと心のこもった彫り物でしょう。
愛くるしい思いが伝わってきます。お寺の長い歴史もさることながら、こうして新しい歴史・将来の文化財が形作られていくことを目の前で見ることができた気がします。

元町の長根岬から。このあたり、昔は砂浜もあったとか。
まったく信じられません。砂はどこにいったのでしょう?
噴火で地形が変わり、海や風の力でも変わり、そして人の力によっても変わる。
なくなったものは元には戻りませんが、今ある環境をよく知り、後世に伝えられるものは伝えていかなければいけない、と改めて感じた一日でした。(ユカ)