まず以下の文章を読んでいただきたい。
DAIMOND on lineに掲載された記事を要約しています。タイトルは「施設に馴染めない父親の介護で疲労困憊…不眠症になった50歳独身男性の孤独 」テーマは「父親の介護疲れから不眠症になるも医師とボランティアのお陰で立ち直った自営業Oさん(50歳)」です。筆者は日本医学ジャーナリスト協会 医療ジャーナリスト 財団法人日本ヘルスケアニュートリケア研究所 所長市川純子氏。
是非、全文をお読みいただきたい(http://diamond.jp/articles/-/8765)。
賃貸物件の斡旋とマンション管理会社を経営するOさんは20代で結婚、そして離婚。それ以来独身で50歳を迎えた。掃除など家事サービス付のマンションに住んでいるので生活には不便はないが、唯一の気がかりは、実家に住む78歳の父親だけだ。
妻に先ただれてからずっと、田舎で1人暮らしを続けていた父親だったが、昨年骨折し、入院。それをきっかけに1人で家事をするのが難しくなった。病院を退院したあとは、老人ホームのショートステイやデイサービスセンターなどを利用しながら、何とか過ごしていた。
そうしたなか、Oさんの携帯に突然、父親から電話がかかってきた。「帰ってきてくれ。もうあそこには絶対行かない」と。
その我慢強い、普段はまったく我がままを言わない父からの電話に不吉なものを感じた。Oさんは実際そこに行ったことがない。自分は父親が毎日そこで何をやっているのかを全く知らないことに改めて気づいて、愕然とした。
翌朝、父親が杖をついて起き出してきた。「いつも何をしているの?」とOさんが聞くと、Oさんの父親は話をはじめた。
「昨日はいつも仕切っている婆さんが、歌の時間に隣の人に文句を言いだした。『一緒に歌え、なぜ歌わないのだ』と大声でなじる。俺が見兼ねて『その方はあまり声が出ないから歌わないのではなくて、歌えないのだ』と、言ったらその婆さんの怒りの矛先がこっちにむかった。言い返すのも面倒なので婆さんの小言を1時間も聞いたよ。 でも帰りのバスで思った。もうここには来ないだろう。家が一番いいし、落ち着くんだよ」
足は悪いが、幸いトイレには行ける。しかし坂の多いこの町で買物などの外出は難しい。家で過ごしたいという気持ちを尊重したい。
Oさんはまず、ケアマネージャーに相談して普段の洗濯や掃除は訪問介護サービスを使い、食事は宅配弁当を手配することにした。
父親を風呂に入れるのも苦労した。シャンプーが意外に難しく、いつも汗だくになった。1週間を過ぎて東京に帰る頃には、心底疲労して、立ち上がれないほどだった。帰りの車を運転しながら、これからのことを思うと途方にくれた。
そして、週末の営業は部下に任せて、毎週末、実家に帰る生活が始まった。土日は高速道路が渋滞するので、金曜の夜中に東京を出て実家に向かい、月曜の明け方東京に戻る生活を続けた。
そんな日々が数ヵ月過ぎたころからOさんの身体に異変が起きた。金曜日の朝になると身体が鉛のように重くなり、起き上れないのだ。しかも不眠も続いている。
眠れない夜が続き、Oさんは知り合いの医師を訪ねた。話を聞いたあと医師はこう言った。
「Oさんは自分できちんとやろうとし過ぎていましたね。Oさんが倒れられたら困るのは、お父さんです。お父さんは思っている以上に強い方だと思います。そんなに抱え込まずに、いろいろなサービスを利用したほうがよいですよ。お父さんにとってもずっと家にいるのはストレスです。外の世界に触れた方がよいでしょう。
たとえば、行かなくなってしまったデイサービスセンターやショートステイにOさんが一度ご一緒してみてはいかがですか。意外に面白いですよ。家族の方が一緒だと意外になじめるものなのです」
医師の言葉に勇気づけられたOさんは父親に「ずっと家にいてもつまらないだろうから、またデイサービスセンターに行かない?最初は俺も一緒に行くよ。何回か行ってどうしてもダメならまた考えてみよう」と提案した。
それは意外にも父親にあっさりと受け入れられ、数日後に一緒にデイサービスセンター行くことになった。「久しぶり」と仲間から歓迎されて、父親もまんざらでもなさそうだ。
その時期、Oさんは、父親の介護で悩んでいるとネットで書き込みをしたら、実家の近くのボランティアの方が何人も名乗りをあげてくれて、お互い連絡をとりあいながら交代で顔を出してくれるようになった。介護には終わりがない。その終わりが見えないからこそ、周りの手を借り、感謝しながら、気長にやるべきだと心から思った。以上
市川氏は介護の内容を指摘しているのではなく介護を抱える家族の心労とその対応がその趣旨だと思う。
この文章は我々が日常、目にする介護の文章でなく他の分野の人が書いていることと掲載メディアがダイアモンド社のwebであることが特徴です。介護以外の人、いわば一般の人からの意見だということで、いま、我々が外部からどう思われているかが伺い知れます。
さらにこの文章から多くのことを学ぶことができます。まず、父親の状態がイメージできます、できますよね。
介護度でいえば1か場合によっては要支援。杖使用で歩行に不安が残る。認知症はない、長年の一人暮らしで日常生活は自分でできる。寡黙なひとで思っていることをそのまま口にせず意見をいうときには相当のことが気持ちのなかに生じたのだろうと思われます。
入浴に不安がありそれで介護支援専門員はディ、ショートを計画に組み込んだ。
ところがディ、ショートで他の利用者とのトラブルで計画が頓挫、息子に負担が生じるという結果をもたらしたわけです。
ここで疑問が生じます。
介護支援専門員は本人の発言と気持ちとの間に間隔があることを把握しただろか、本人にとっては初めての介護状態ですから必要だと介護支援専門員に言われれば意見もなく介護支援専門員の言うとおりにしたはずです。そこで介護支援専門員はディ、ショートサービスと本人とのマッチングは検討しただろうか、それができなければ見学や体験利用はしたのだろうか、そのような手順を踏んでいれば支援計画に齟齬はきたさなかったと思われます。
そもそもこの介護支援専門員は本人が自宅で生活するために住環境に課題は見いだせなかったのだろうか、さらには支援の方向はどこにあるのだろうかが最大の疑問です。
つぎに重要なことは息子をまじえて介護支援の計画を考えなかったのだろうか、そして経過の報告をしないのだろうか。このように遠方介護の場合家族への連絡がないと家族は不安をいだくものですし何かあった時にトラブルを生じやすくなります。
最大の問題は直接支援している介護支援専門員でなく遠方にいる医師のアドバイスで問題が解決したということです。ここから出される結論として介護支援専門員は機能していない、不必要だということになってしまうことが懸念されることです。
DAIMOND on lineに掲載された記事を要約しています。タイトルは「施設に馴染めない父親の介護で疲労困憊…不眠症になった50歳独身男性の孤独 」テーマは「父親の介護疲れから不眠症になるも医師とボランティアのお陰で立ち直った自営業Oさん(50歳)」です。筆者は日本医学ジャーナリスト協会 医療ジャーナリスト 財団法人日本ヘルスケアニュートリケア研究所 所長市川純子氏。
是非、全文をお読みいただきたい(http://diamond.jp/articles/-/8765)。
賃貸物件の斡旋とマンション管理会社を経営するOさんは20代で結婚、そして離婚。それ以来独身で50歳を迎えた。掃除など家事サービス付のマンションに住んでいるので生活には不便はないが、唯一の気がかりは、実家に住む78歳の父親だけだ。
妻に先ただれてからずっと、田舎で1人暮らしを続けていた父親だったが、昨年骨折し、入院。それをきっかけに1人で家事をするのが難しくなった。病院を退院したあとは、老人ホームのショートステイやデイサービスセンターなどを利用しながら、何とか過ごしていた。
そうしたなか、Oさんの携帯に突然、父親から電話がかかってきた。「帰ってきてくれ。もうあそこには絶対行かない」と。
その我慢強い、普段はまったく我がままを言わない父からの電話に不吉なものを感じた。Oさんは実際そこに行ったことがない。自分は父親が毎日そこで何をやっているのかを全く知らないことに改めて気づいて、愕然とした。
翌朝、父親が杖をついて起き出してきた。「いつも何をしているの?」とOさんが聞くと、Oさんの父親は話をはじめた。
「昨日はいつも仕切っている婆さんが、歌の時間に隣の人に文句を言いだした。『一緒に歌え、なぜ歌わないのだ』と大声でなじる。俺が見兼ねて『その方はあまり声が出ないから歌わないのではなくて、歌えないのだ』と、言ったらその婆さんの怒りの矛先がこっちにむかった。言い返すのも面倒なので婆さんの小言を1時間も聞いたよ。 でも帰りのバスで思った。もうここには来ないだろう。家が一番いいし、落ち着くんだよ」
足は悪いが、幸いトイレには行ける。しかし坂の多いこの町で買物などの外出は難しい。家で過ごしたいという気持ちを尊重したい。
Oさんはまず、ケアマネージャーに相談して普段の洗濯や掃除は訪問介護サービスを使い、食事は宅配弁当を手配することにした。
父親を風呂に入れるのも苦労した。シャンプーが意外に難しく、いつも汗だくになった。1週間を過ぎて東京に帰る頃には、心底疲労して、立ち上がれないほどだった。帰りの車を運転しながら、これからのことを思うと途方にくれた。
そして、週末の営業は部下に任せて、毎週末、実家に帰る生活が始まった。土日は高速道路が渋滞するので、金曜の夜中に東京を出て実家に向かい、月曜の明け方東京に戻る生活を続けた。
そんな日々が数ヵ月過ぎたころからOさんの身体に異変が起きた。金曜日の朝になると身体が鉛のように重くなり、起き上れないのだ。しかも不眠も続いている。
眠れない夜が続き、Oさんは知り合いの医師を訪ねた。話を聞いたあと医師はこう言った。
「Oさんは自分できちんとやろうとし過ぎていましたね。Oさんが倒れられたら困るのは、お父さんです。お父さんは思っている以上に強い方だと思います。そんなに抱え込まずに、いろいろなサービスを利用したほうがよいですよ。お父さんにとってもずっと家にいるのはストレスです。外の世界に触れた方がよいでしょう。
たとえば、行かなくなってしまったデイサービスセンターやショートステイにOさんが一度ご一緒してみてはいかがですか。意外に面白いですよ。家族の方が一緒だと意外になじめるものなのです」
医師の言葉に勇気づけられたOさんは父親に「ずっと家にいてもつまらないだろうから、またデイサービスセンターに行かない?最初は俺も一緒に行くよ。何回か行ってどうしてもダメならまた考えてみよう」と提案した。
それは意外にも父親にあっさりと受け入れられ、数日後に一緒にデイサービスセンター行くことになった。「久しぶり」と仲間から歓迎されて、父親もまんざらでもなさそうだ。
その時期、Oさんは、父親の介護で悩んでいるとネットで書き込みをしたら、実家の近くのボランティアの方が何人も名乗りをあげてくれて、お互い連絡をとりあいながら交代で顔を出してくれるようになった。介護には終わりがない。その終わりが見えないからこそ、周りの手を借り、感謝しながら、気長にやるべきだと心から思った。以上
市川氏は介護の内容を指摘しているのではなく介護を抱える家族の心労とその対応がその趣旨だと思う。
この文章は我々が日常、目にする介護の文章でなく他の分野の人が書いていることと掲載メディアがダイアモンド社のwebであることが特徴です。介護以外の人、いわば一般の人からの意見だということで、いま、我々が外部からどう思われているかが伺い知れます。
さらにこの文章から多くのことを学ぶことができます。まず、父親の状態がイメージできます、できますよね。
介護度でいえば1か場合によっては要支援。杖使用で歩行に不安が残る。認知症はない、長年の一人暮らしで日常生活は自分でできる。寡黙なひとで思っていることをそのまま口にせず意見をいうときには相当のことが気持ちのなかに生じたのだろうと思われます。
入浴に不安がありそれで介護支援専門員はディ、ショートを計画に組み込んだ。
ところがディ、ショートで他の利用者とのトラブルで計画が頓挫、息子に負担が生じるという結果をもたらしたわけです。
ここで疑問が生じます。
介護支援専門員は本人の発言と気持ちとの間に間隔があることを把握しただろか、本人にとっては初めての介護状態ですから必要だと介護支援専門員に言われれば意見もなく介護支援専門員の言うとおりにしたはずです。そこで介護支援専門員はディ、ショートサービスと本人とのマッチングは検討しただろうか、それができなければ見学や体験利用はしたのだろうか、そのような手順を踏んでいれば支援計画に齟齬はきたさなかったと思われます。
そもそもこの介護支援専門員は本人が自宅で生活するために住環境に課題は見いだせなかったのだろうか、さらには支援の方向はどこにあるのだろうかが最大の疑問です。
つぎに重要なことは息子をまじえて介護支援の計画を考えなかったのだろうか、そして経過の報告をしないのだろうか。このように遠方介護の場合家族への連絡がないと家族は不安をいだくものですし何かあった時にトラブルを生じやすくなります。
最大の問題は直接支援している介護支援専門員でなく遠方にいる医師のアドバイスで問題が解決したということです。ここから出される結論として介護支援専門員は機能していない、不必要だということになってしまうことが懸念されることです。