浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】相澤冬樹『安倍官邸VS.NHK』(文藝春秋)

2019-01-02 12:56:29 | 
 とても良い本である。推理小説を読むような感じで読み進めた。NHKの記者として森友問題を追及する相澤記者が、どういう問題意識、手法で、取材対象に迫っていったのかがとてもよくわかる。メディア関係者は、必読だな。

 話の本筋とは異なることを先ず記す。メディア関係者に対するコメントではあるが・・・

 「本当の優れものは仕事を誇示しない」(246頁)

 その通りである。私は歴史研究の末端にいるが、優れた学者は決して誇示しない。ということは優れていない者は、誇示する、ということである。とりわけ、今の若手の研究者には、アピールしないと就職できないという事情があるのかもしれないが、誇示する者が多い。私のように古い人間にとって、感心することではない。仕事というのは、本人が黙っていても、他者が評価してくれるものである。良いものは良いし、悪いものは悪い。それだけのことだ。仕事を誇示しない学者は、卓越した業績を保持している。

 「プロの記者の記事・原稿を信じないというのは、報道への不信であり、これは民主主義の根幹を揺るがす」(301頁)

 これも歴史研究のレベルでも言える。百田某が日本の歴史に関する本を出版したようだが、彼はプロの歴史研究者ではない。しかしそれが売れている。おなじ思考をもつ首相や大阪市長もそれを読むのだそうだ。私はきちんとした歴史研究者の本を読んでもらいたいのだが、ネトウヨとその周辺の人々は、いいかげんなことが記されている本を読む。これは「学問への不信」であり、「民主主義の根幹を揺るがす」ことでもある。

 さて森友問題の本質は、相澤氏が指摘するように、籠池夫妻の問題ではない。

 ①なぜ基準を満たすのか疑問のある小学校を、なぜ大阪府は認可しようとしたのか。

 ②小学校予定地となっていた国有地が、何故に大幅な値引きの上で売却されたのか。

 この二つである。①は大阪府知事松井一郎、②は安倍首相とその妻・昭恵に関わる。彼らは、籠池夫妻が開設しようとした小学校を支援すべく、ものすごく無理をして、さらには脱法行為までした。このことが問題なのだ。とりわけ②については、国有財産を信じられない価額で売却した、それは背任罪にあたるし、その過程で公文書の廃棄・偽造なども行った、まさに違法行為に覆われた事件なのである。

 相澤さん等NHKの記者(朝日新聞記者も)が、その真実をつきとめようと取材に飛びまわった。その姿が、本書には鮮明に記されている。

 しかし真実に突き当たり、それを報じようとしても、安倍政権に忖度するNHK職員がそれを妨害する。その内実が記されている。NHKのニュースは真実性から遠いという評判がすでに確定しているが、そうした内状が、ここでも暴露されている。

 結局この問題を大阪特捜部が関係者をすべて不起訴とした(しかし籠池夫妻については軽微な詐欺罪で逮捕起訴した)。日本の司法当局がいかに堕落しているかを示すものとなった。

 今や日本には三権分立はなく、安倍政権に権力が集中し、それに忖度しながら、みずからの利益を追求する官僚たちが蠢くという状況だ。

 果たしてこうした日本がかわる可能性はあるのか?

 相澤さんは、しかし、めげずに今も真実を追い求めている。その姿勢に学ぶことは多い。

 多くの人に読んでもらいたい本である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沖縄を気にかける

2019-01-02 08:58:06 | 政治
 2019年、沖縄のことを気にかけ続けよう!

 『琉球新報』社説。


<社説>2018年回顧 諦め狙う国には屈しない 2018年12月31日 06:01

 沖縄は今年も激動の1年となった。

 一番の衝撃は翁長雄志知事の急逝だった。米軍普天間飛行場の移設に伴う辺野古新基地問題で、政府と真っ向から対峙(たいじ)し、県民世論を背景に建設反対を訴えてきた。信念の政治家を失い、県民の悲しみと喪失感は大きかった。

 翁長県政の3年8カ月間は、埋め立て承認の取り消しや政府との訴訟など、ウチナーンチュの誇りと尊厳を取り戻す闘いだった。国策で分断されず、沖縄が一つになることを訴えた翁長氏の言葉は重い。

 2カ月早まった知事選では、翁長氏の後継・玉城デニー氏が当選した。県民は過去最多得票の39万票余で再び新基地ノーの知事を選んだ。しかし、安倍政権は明確な民意を無視して、沖縄を抑えつけようと力ずくで襲いかかってきた。

 翁長知事の遺言となった埋め立て承認撤回に対して、国は私人になりすまし、市民救済のための行政不服審査制度を使って工事を再開した。さらに県に届け出た港とは違う民間桟橋から土砂を搬出するなど、法令を恣意(しい)的に解釈し、あくどい手法を重ねている。

 今月14日には、ついに辺野古への土砂投入を強行した。岩屋毅防衛相は辺野古移設は「国民のため」と明言した。沖縄を捨て石にして、国策の犠牲に追い込んだ沖縄戦を想起させる思考は許せない。

 土砂投入は既成事実を積み重ね、県民の諦めを狙うものだ。だが、投入区域の面積は全体の4%でしかない。大浦湾側の軟弱地盤は大規模な地盤改良と設計変更が必要で、新基地の完成は見通せない。
後戻りできない次元ではない。

 国の横暴にあらがう市民の動きも特筆される。9万筆以上の直接請求を受けた県民投票が来年2月24日に実施される。6市の参加が未定だが、自治体が投票する権利を奪うことはあってはならない。

 埋め立て中止を求める米ホワイトハウスへの請願署名の動きも急速に広がり、30日現在で17万筆を超えた。国際世論の後押しにも期待したい。

 基地重圧の一方で、社会現象となったのが県出身歌手・安室奈美恵さんの引退だ。9月の最終ライブには県内外から多くのファンが訪れ、経済効果をもたらした。

 歌手としての功績にとどまらず、自立した女性の生き方も多くの共感を呼んだ。「平成の歌姫」の存在は県民に自信と勇気を与えた。

 明るいニュースでは、プロ野球の山川穂高、多和田真三郎両選手の活躍、FC琉球のJ2昇格が来季に期待を抱かせる。宮古島のパーントゥのユネスコ無形文化遺産登録は地域に活力を生みだしそうだ。

 経済では、観光産業を筆頭に好調さが続いている。基地に依存しない沖縄の潜在力、可能性が広がっている。
 来年は国策に振り回されず、自力で沖縄の活路を見いだしていきたい。政府の強権が強まっても、諦めることなく道を切り開いていこう。



<社説>新年を迎えて 日本の民主主義は本物か 2019年1月1日 06:01

 平成で最後の新年を迎えた。2019年は沖縄、ひいては日本の民主主義の在り方が問われる年になる。県民の圧倒的多数が反対する中で、米軍普天間飛行場の辺野古移設に伴う新基地建設を政府が強行しているからだ。

 このままだと、強権によって地方の民意を押しつぶす手法が、いずれ沖縄以外にも波及していくだろう。政府の暴走に歯止めをかけなければ将来に禍根を残す。

 今年は1879年の琉球併合(琉球処分)から140年になる。沖縄を従属の対象として扱う政府の姿勢は今も変わっていない。

 琉球王国は1609年に薩摩に侵攻されて以降、その支配下に置かれたが、明、清の冊封を受けた国家としての地位を保っていた。明治政府は1872年、一方的に琉球藩とし国王を藩王とする。

 これに先立ち、大蔵大輔・井上馨は「清(中国)との関係が曖昧なまま数百年過ぎたが、維新の今日においてはこのままではいけない。皇国の規模を拡張する措置があってもいい。その際、威力で奪う行為はよくない。よってかの酋長(しゅうちょう)(王)を近いうちに招き、不臣(不忠不義の臣)の罪を厳しくとがめ、その後に版籍を収めるのがいい」と建議している。

 琉球国王を「酋長」とさげすみ、併合の理由として「不忠不義の罪」を一方的にでっち上げる提案である。建議は採用されなかったが、琉球併合の論議の起点となった。明治政府が沖縄をどう見ていたかがよく分かる。

 辺野古での新基地建設の強行は、日本から切り離された1952年のサンフランシスコ講和条約発効、県民の意に反し広大な米軍基地が残った日本復帰に続く、第4の「琉球処分」にほかならない。

 沖縄は去る大戦で本土防衛の時間稼ぎに利用され、日本で唯一、おびただしい数の住民を巻き込んだ地上戦が行われた。住民のおよそ4人に1人が犠牲になっている。

 県民が望むのは平和な沖縄だ。米軍基地の存在は取りも直さず有事の際に攻撃目標になることを意味する。少しでも基地の負担を減らしてほしいと要求するのは当然だ。

 政府は仲井真弘多元知事による2013年の埋め立て承認を錦の御旗に掲げる。だが同氏は「県外移設を求める」と公約していた。大多数の県民の意向に反する決定だったことは明らかだ。その後の2度の知事選で新基地反対の民意が明確に示された。

 強引な国家権力の行使に脅威を感じているのは沖縄の人々だけではない。昨年12月の共同通信全国電話世論調査で56・5%が移設を進める政府の姿勢を「支持しない」と答えたのは、その表れではないか。

 沖縄の人々の意思を無視して強権を発動する政府の態度は一貫している。政府に問いたい。日本の民主主義は見せかけなのか。いま一度立ち止まってよく考えてほしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テレビを捨てること

2019-01-02 08:46:10 | その他
 リテラが、「御用ジャーナリスト大賞」を報じている。

安倍サマをかばいまくった御用ジャーナリスト大賞発表! 10位から6位に有働由美子、立川志らくなど新顔が続々

「御用ジャーナリスト大賞」に輝いたのは誰だ? 田崎史郎と三浦瑠麗“自民党から高額講演料”の二人の戦いに

 要するにテレビには「御用ジャーナリスト」がたくさんでているということなのだ。そしてNHKは安倍政権の広報としてのみ存在している。

 私はテレビを見ない。何度もここに書いてきた。見る価値はない。テレビにはジャーナリズムの精神がほとんど欠如している。ほとんどというのは、TBSの金平さん、テレビ朝日の玉川さんがいるからまったく欠如していると書けないからだ。

 しかし、99%はJournalismの精神はテレビから消えている。

 果たしてテレビを見る価値はあるのか。私はない!と断言する。多くの人が見なくなれば、見る価値がないと判断すれば、NHKは受信料を取れないし、民放の番組にもスポンサーがつかなくなる。それでよいのではないか。

 今もわが家は、Amazon Musicで、クラシック音楽が流れている。本は読めるし、テレビがない生活は生活を豊かにする。

 寺山修司はかつて「書を捨てて街にでよう」と言ったが、「テレビを捨てて書に親しもう」と私は言いたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする