浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「社会や人様に迷惑をかけないようにしてほしい。」

2019-01-28 22:35:01 | 社会
 「幸福の科学」という宗教組織のトップ・大川隆法の息子のインタビュー、親に言いたいことは「社会や人様に迷惑をかけないようにしてほしい。」だって。

「親を切り捨てる判断をするのは悪いことじゃない」父・大川隆法と決別した宏洋の親子観
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浜松市の行政区再編

2019-01-28 21:59:52 | 政治
 今年4月の浜松市長選、浜松市議選の際、現在7つある行政区を減らしたい鈴木康友市長は、そのための住民投票を提案した。

 この住民投票は、鈴木康友市長をあやつるスズキのトップ、鈴木修の命令である。

 昨年10月、鈴木修は、こう主張した。

行政区再編 スズキ会長「住民投票を」 来年4月、ダブル選と同時で /静岡

 この『毎日新聞』記事の一部を貼り付けてみる。

自動車大手メーカー「スズキ」の鈴木修会長は3日夜、浜松市内で報道各社の取材に応じた。市が検討している行政区再編について、鈴木会長は「信を問うべきだ」と述べ、今年度内に最終案がまとまらない場合、市は来年4月にある見通しの市長選、市議選と一緒に住民投票をすべきだとの考えを明らかにした。

 住民投票は、鈴木修の提案であることが示されている。それを忠実にやろうとしているのが鈴木市長である。

 住民投票は、区を減らすことにまったく痛痒を感じない中区の人口が多いから、スズキ陣営は住民投票に持ち込んで、「議員が反対しているが、市民は減区に賛成しているじゃないか」という主張をしたいのだろう。浜松市に合併してから、人口が大幅に減っている天竜区や北区の人びとの意見を、減区しても一切影響を受けない人びとの投票によって消し去る、というのがスズキ陣営の企みなのだ。

 何という下品な住民投票であることか。多数による少数の否定、これを暴力と呼ばずして何というか。
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「民間委託」?

2019-01-28 21:35:22 | 政治
 コンセッション方式というのは、「民間委託」ではない。

 今日静岡朝日テレビの夕方のニュースを偶然見ていたら(私はテレビを見ない)、アナウンサーが水道の「民間委託」といっていた。それは間違いだ。浜松支局の記者の不勉強がここにでている。「民営化」というのが正しい。

 「民間委託」というのは、委託する側が所有権はもちろん運営権も持っていて、一部の仕事を民間企業に任せることをいう。委託する側がカネを払って一部の仕事を任せるのである。しかし浜松市がやるコンセッション方式というのは、運営権を「売却」するのである。浜松市は運営をすべて任せる、料金徴集なども運営権を持つ会社が行うのだ。運営を誰が行うのかが重要であって、「民間委託」は市であり、コンセッション方式は民間企業が行う。コンセッション方式は、すなわち「民営化」なのだ。

 浜松市は、下水道事業の運営権(2018年度から20年間)を、フランスのヴェオリア、JFEエンジニアリング、オリックス、東急建設、須山建設グループが設立した浜松ウォーターシンフォニー株式会社に25億円で売却したのである。

 オリックスという会社は、規制を緩和(撤廃)すると、必ず入りこむ企業である。関西空港もオリックスとフランス系企業が一緒になって、コンセッション方式で運営している。

 これに関して、次のような情報がある。

関西空港の台風被害対応で“文書”流出 運営会社日仏幹部が口ゲンカし、機能不全 旅客が孤立

 運営権を買った企業は、浜松ウォーターシンフォニー株式会社も複数の会社の集合体である。災害など危機的な状態が発生したとき、はたして円滑に運営できるか疑問である。
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【本】青木美希『地図から消される街』(講談社現代新書)

2019-01-28 17:33:28 | 
 「原子力 明るい未来のエネルギー」という標語があった。しかしもうそれは虚偽であったことが暴露された。原子力は「明るい未来」をつくるどころか、「未来」をつぶしてしまった。「原子力 未来をつぶすエネルギー」か。

 2011年からもう8年。原発事故の話題は少なくなった。少なくなったからといって、事故に伴う問題がなくなったわけではない。

 私たちも、この事故の顛末を追い続けなければならないーこの本を読んで、そう思った。

 理不尽なことがいっぱい起きている。最後の第六章は、事故により家庭が破壊された話だ。事故がなければ幸せなふつうの日常が続いていたはずだった。しかし、放射能が襲いかかった。家族の分裂。放射線被ばくを軽く考える者と、できうる限り放射線被ばくを避けたいと考える者。考え方の違いが地域だけではなく、家族や親族の中に生まれ、分裂を生み出す。何ということだ。この原因は、原発政策を推進してきた政府と、事故を起こした東電にあるのに、もちろん彼らは知らん顔だ。責任の一片も感じない。

 家族がばらばらになったり、自殺したり・・・多くの悲劇が生まれている。そうした現実が映し出される。

 第五章は、避難者の子どもに対するいじめの問題だ。学校や教育委員会の無責任な対応。だいたい教育界で教育委員会の指導主事になったり管理職になったりする者のほとんどは、無責任でいい加減で、ゴマすりだけが得意という輩である。そういう輩に、いじめにあった子どもの側に立って何とかしようという気持ちがおきるわけがない。東京千代田区の事例が記されているが、しかしこうした学校や教育委員会の対応は、普遍的である。この事例では、母親が毅然とした姿勢で学校に対処している。こうでなくてはならない。事なかれ主義の人々には、毅然としなければならない。

 いずれにしても、政府、東電は、事故を「なかったことにしたい」と画策し続けているようだ。除染も、一応やったというアリバイ作りのように見える。

 どの場合でもそうだが、こんな除染なんかせずに、それにかかった金を被災者にあげる、そして放射線被ばくのないところに移住させた方がよほど使いみちとしてよかったのではないか。

 政府、自治体は、私企業にはカネをばらまくが、家族や個人にはカネを与えようとはしない。それで真の解決が遠のき、私企業だけが肥え太る。そういう現実も、本書には記されている。

 読むべきだ。福島に関心を抱き続けるべきだ、本書はそれを訴えている。

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