浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

人口減少

2019-01-19 19:04:06 | 社会
 安倍首相は、みずからの取り巻きの私的利益を保障し、みずからの妄想を実現するために動き回り、また他国、とりわけアメリカトランプ政権が喜ぶような施策をせっせと行っている。それに日本国民の3~4割が支持しているという。

 安倍首相がトップとなっているこの日本。沈みゆくことが予想されているこの日本、より沈没を早めるための政策に余念がない。

 少子高齢化、これはずっと前から予想されていたことだ。しかし自民党・公明党は、その対策をまったくとらないで、目先の利益のみに目を奪われてきた。

 人口減少は、危機的な段階にある。『朝日新聞』は、「エイジング・ニッポン」の連載を行っている。今日は、「日本の人口危機、80年前から予想 先送り癖に終止符を」である。

 そこに驚くべきことが記されていた。

「日本では今後40年で3200万人もの生産年齢(15歳から64歳)人口が減る。これは現在の英国の就業者数とほぼ同じ」

 「団塊の世代が75歳になる2025年危機が注目されているが、これはただの始まりに過ぎない。その後、さらに大きな危機が待っている」

 「自らの遺伝子集団を保存しようとする生物としての本能から逸脱しているようだ。人類史上初の出来事が起きている」


 こういう危機が迫っているのに、安倍政権には危機感はない。なぜないのか。彼らは日本を沈没させようとする陰謀集団なのかも知れない。

 記事にこういう箇所がある。

危機が必ず訪れると分かっているのに、その根本的な対策を先送りにする。日本という国は、そんな困った性癖を持っているとしか思えない。バブル後の不良債権処理問題や、最近の大企業の不祥事、さらには対米敗戦にいたる経緯などを見ても当てはまる。
 人口動態の問題は、すべての国民を巻き込んで坂を転げ落ちていく。性別も経済格差も左右の政治的立場も関係なく、この国に住んでいる限り、平等に。


 私も、私の家族も、坂を転げ落ちていくのだろう。しかしこれを防ぐ手立てはあるのだろうか。私にはわからない。おそらくないだろう。

 少なくとも、私の死後に沈没が来ることを願う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『東京新聞』社説

2019-01-19 17:52:44 | 政治
 至極真っ当な社説である。

原発輸出総崩れ 成長戦略の誤り認めよ

2019年1月19日
 日立製作所が英国での原発建設計画を凍結し、日本の原発輸出はすべて暗礁に乗り上げた。契機は福島原発事故。その当事国が原発輸出を「成長戦略」と呼ぶことに、そもそも無理はなかったか。 

 リトアニア、台湾、米国、そして今度の英国と、福島原発事故後もなお、日本メーカーがかかわってきた原発輸出計画は、次々に挫折した。トルコからの撤退も確実視されている。

 米国に押しつけられた感のある原発メーカー、ウェスチングハウス・エレクトリックの経営破綻は、買収した東芝をも経営危機に追い込んだ。

 今世紀初め、温暖化対策などを名目に「原発ルネサンス」、すなわち世界的に再評価が叫ばれた。

 経済産業省は二〇〇六年に「原子力立国計画」を立案し、現政権は原発輸出を「成長戦略」の中心に位置付けた。だが、3・11がすべてを変えていたのだ。

 福島の教訓に基づく安全対策費用の高騰で、原子炉は一基一兆円超時代。高過ぎて造れない。“商売”として見合わなくなっていた。

 「コストを民間企業がすべて負担するには限界がある」と、日立製作所の東原敏昭社長は言った。

 しかし、総事業費三兆円という今回の原発計画には、英政府が約二兆円の融資保証をつけていた。

 たとえ政府レベルの手厚い支援があっても、もはや原発事業は、成り立たないということだろう。

 一方、再生可能エネルギーは世界中で飛躍的に伸びている。二〇一五年に導入された発電設備の五割以上を再生可能エネが占めている。だが、かつて太陽光パネル生産量世界一を誇った日本は、今や再エネ先進国とは言い難い。

 もしかするとメーカーとしてもリスクだらけの原発という重荷を下ろし、再エネ事業などに切り替えたいというのが、本音なのではないか。

 世界の潮流に逆らうような、不自然ともいえる政府の原発へのこだわりは、日本経済の足かせになっているとは言えないか。

 海外がだめなら国内で。原発の再稼働を急ぎ、さらに新増設も、という声もある。大間違いだ。政府支援、つまりは税金を使った新増設を民意が許すはずがない。

 原子力技術の継承が必要ならば、当面は廃炉技術に磨きをかけるべきではないか。原子力発電の衰退は、廃炉市場の拡大にほかならない。「成長戦略」というのなら、そちらを取りに行くべきだ。



真藤さん直木賞 文学で直視する「沖縄」

2019年1月19日

 沖縄の戦後を描いた小説「宝島」が直木賞に決まった。東京出身ながら「沖縄問題」を直視し、日本人全員が自らのこととして捉えるべきだと説く作者の真藤順丈(しんどうじゅんじょう)さん。受賞を祝福したい。

 物語は戦後の一九五二年、米軍統治下の沖縄を舞台に始まる。主人公は、生きるために米軍基地から物資を奪う孤児たち。ある時、リーダーがいなくなり、残された三人は警官や教師、テロリストとして別々の人生を歩み始める。

 三人が織りなす鮮烈な青春の群像。その行動と心情を、時には霊媒師のように、時には「島唄」のように伝える語りの巧みさ。

 文芸評論家の清水良典さんが「戦後沖縄を描く社会派小説の構えでありながら、神話か叙事詩のような格調を帯びる」と評する通り、これから読む人には沖縄への先入観を排し、まずは文芸作品としての魅力を味わってほしい。

 しかしながらやはり、本作の真価は、沖縄の戦後史を真正面から見すえる点にあるといえよう。

 教師になった主役の一人が勤め先で遭遇する米軍機の墜落と子どもたちの悲惨な焼死は、一九五九年に実際に起きた宮森小学校米軍機墜落事故が下敷き。また米兵による六歳女児の暴行殺害事件(五五年)や、米軍基地の毒ガス漏れとその隠蔽(いんぺい)(六九年)など沖縄の辛酸を象徴する史実が、主役たちの人生にからめて詳述される。

 作中の人物が憤るのは、米国に沖縄を差し出して「追従を重ねるだけの日本(ヤマトゥ)」だ。「沖縄問題」とは実は「日本の問題」なのだと気づかされる読者もいるだろう。

 「沖縄にルーツを持たないことに葛藤があり、途中で書けなくなった」と振り返りつつ「批判が出たら矢面に立とうと覚悟を決め、全身全霊で小説にした」と語る真藤さん。熱意が実っての受賞だ。これを機に、沖縄の出身ではなくともその歴史と現状に目を向ける作家や表現者が続いてほしい。

 また、本作を読んだ人はこれを機に、いずれも芥川賞受賞者の大城立裕、又吉栄喜、目取真俊の三氏ら沖縄の作家の創作も読んでみてはいかがだろう。

 特に目取真氏はカヌーで辺野古(名護市)の海に出て、埋め立て工事に体を張って抗議している。自身のブログ「海鳴りの島から」は、住民の反対を圧殺する政府への鋭い批判に満ちている。沖縄戦の死者をめぐる「水滴」など優れた小説と合わせ、現実と格闘する作家の精神に触れてみてほしい。


 目取真さんの「海鳴りの島から」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スポーツへの不信

2019-01-19 14:20:59 | その他
 私はスポーツ活動に大きな不信を抱いている。

 『朝日新聞』記事に、「「高校バスケの留学、勉強主目的でない」国際連盟が通達」があった。

 その前半だけを紹介させていただく。

近年全国で50人を超えている日本の高校バスケットボールの留学生について、国際バスケットボール連盟(FIBA)が、原則禁止にしている「18歳未満のプレー目的での国際移籍」に当たると日本バスケットボール協会に通達していたことがわかった。勉強目的での来日ではないと判断したためで、移籍を認める代わりに十分な教育環境の提供などを各高校に求めている。

 「18歳未満のプレー目的での国内移動」は、日本全国で行われている。静岡県の公立高校には「推薦」という便利な制度があって、中学校でのスポーツ活動で上手な生徒が学業成績によらなくても入学できる。静岡県中部の進学校では、野球部だけが県内から集められる。「文武両道」ということばがそこでは言われるが、もちろんひとりの生徒が同時に「文武」に長けているわけではない。集められた彼らは特別待遇で、授業中は寝ていても許されるそうだ。

 そしてそのような状況は、県内公立高校のほとんどで見られる。したがって、学校自身がそういうことをしているので、PTA会費、後援会費、生徒会費のほとんどはスポーツ部に投下される。スポーツ部に属さない生徒は「貢ぐ」人々となる。

 そういう手段を使って、そんなに勝ちたいのか、と思う。
 
 私立の学校では、堂々と全国から上手な生徒を集め、特待生として遇している。

 こういう状況があるので、国境を超えても上手な子どもを集めるのだ。

 邪道じゃないか!と思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

死神

2019-01-19 09:03:04 | 政治
世耕経産相「原発輸出、全滅したけどやめへんで~!福一事故起こした日本の安全技術で世界貢献や!」

 2011年の福島の原発事故で、世界は学んだ。原発はあまりに危険なので、安全装置を十分なものにするためには、ばく大なカネがかかる、したがって、あまりにカネがかかりすぎるから、建設するに値しない、というのが共通認識であろう。それでも日本政府や東芝や日立は、政府に協力して原発を輸出しようとしてきたが、すべて失敗。多額の損失を出し、東芝なんてもはや青息吐息の企業となって、一流企業から後退していった。

 しかしそれでも、日本政府は原発建設、原発の再稼働、原発の輸出をあきらめない。

 ひょっとしたら、日本政府は死神かも知れない。地球を放射能で汚染させ、人類を死に至らしめるという使命を帯びた集団かも知れない。そういう人たちを支配層に抱く日本人も、死神の一員なのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パワハラ

2019-01-19 08:33:46 | その他
 静岡県の職員が、部下にパワハラをした結果、その部下が自殺したという。県はパワハラを行った職員を減給10分の1、3ヶ月を申し渡したそうだ。

 自殺した職員は、自殺することによって上司に抗議したのかもしれない。だが、あまりにそれは口惜しい。またその処分は適当なのだろうか。

 自分とあわない人は、必ず周囲にいる。あうかあわないかは、最初に会った段階で判明する。なかには付き合っている中で、あうようになる人もいるが、それは多くない。

 私はだれかの上司になったことはないので、部下となった人を叱責するような経験はない。また私は「出る杭は打たれる、ですぎた杭は打たれない」をモットーに、自由に、やりたいことをやって生きてきた。だから私は、他の人が何をしようと、あるいは明らかに仕事が出来ない人であろうと、人は人、その人の自由や存在を尊重、いやあまり関心を持たずに生きてきた。私が強い言葉を投げつけるのは、上司にあたる人たちであった。理不尽なことがあれば文句を言う。しかし同僚には、そういうことばを投げつけたことはない。

 ただ少数派の組合に所属していたとき、組合員があまり仕事をやらず、サボることを生き方にしていたので見るに見かねて批判したことがあった。彼らは、「オマエは・・・・・」などと私を厳しく批判してきたので、組合をやめた。私は同僚から「オマエ」呼ばわりされたくはない。

 集団の中で、他の人とあまり密な関係を持たず、自由に生きていれば、つまり「出すぎた杭」になれば、上司のいじめの対象にはならないだろう。集団の中で生きていくためには、それなりの処世術が必要だ。それをそれぞれが編み出す必要がある。

 死ぬことだけは、しかし選択すべきではない。去ることも考えるべきではなかったか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする