浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

年賀状と消息

2019-01-09 20:48:00 | その他
 『朝日新聞』が「あなたは年賀状を出しますか」というアンケートを行っていた。私は以下のようなことを書いて送った。

 私は若い頃、史料調査のために由緒あるお宅をあちこち訪問していた。資料の山の中には、年賀状があった。ただ印刷されているだけのものや、いろいろ書かれているものなど、その内容はもちろんだが、同時にその頃の新年の挨拶文の書き方を知ることができた。また年賀状をみていると、どういう人と交流があったのかもわかる。その意味で、年賀状は史料的価値があると思った。

 さて私も、年々年賀状を意識して減らしてきているが、とりわけ印刷しただけの年賀状を送ってくる人へのそれは出さないようにしてきた。一行くらい書いて出してよ!と思う。

 私は宛名は自筆で書き、必ず1~2行は書く。

 さて、毎年送ってくれるある人の年賀状が、今年は来ていなかった。昨年難しい名の病名を聞いていたので、心配になった。「どうかしたのか」というメールを出そうかと思っていたところ、今日になって電話があった。法事などがあって忙しくて・・・という話しであった。ほっとした。

 共通の友人が、歳を重ねてから結婚し、今嬉し恥ずかし新婚生活をしていることなどを話した。

 年賀状は、消息を伝えたり伝えなかったりする。その意味で、やはり出し続けようと思う。

 

 
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『琉球新報』社説

2019-01-09 16:52:12 | 政治
 NHKが率先して安倍首相のウソを拡げる役割を果たしている。

<社説>首相サンゴ移植発言 フェイク発信許されない
2019年1月9日 06:01

 安倍晋三首相がNHK番組「日曜討論」で、米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古の埋め立てについて「土砂投入に当たって、あそこのサンゴは移している」と、事実と異なる発言をした。一国の首相が自らフェイク(うそ)の発信者となることは許されない。

 NHK解説副委員長の質問に対して首相は、土砂を投入している区域のサンゴは移植しており、砂浜に生息する絶滅危惧種を砂ごと移す努力もしていると述べた。これらは事実ではない。

 現在土砂が投入されている区域ではサンゴの移植は行われていない。埋め立て海域全体で約7万4千群体の移植が必要で、終わっているのは別の区域の9群体のみだ。他のサンゴ移植は沖縄県が許可していない。砂ごと生物を移す事業も実施していない。

 首相の発言は準備されていたはずである。簡単に確認でき、すぐに間違いと指摘されることを、なぜ堂々と言うのだろうか。県民の意向を無視し違法を重ねて強行している工事の実態から国民の目をそらすため、意図的に印象操作を図っているのではないか。

 首相は「全く新しく辺野古に基地を造ることを進めている」との誤解が国民にあると述べ「誤解を解かなければいけない」として、危険な普天間飛行場を返還するために辺野古に基地を造るのだと強調した。

 この点についても多くの疑問や批判が沖縄側から出されてきた。移設先が県内でなければならない理由はないこと、普天間にない軍港や弾薬庫などの機能が備えられること、新基地の完成時期が見通せないこと、完成しても普天間が返還される保証がないことなどだ。

 これらに対する説明を避けたまま、政府は普天間固定化か新基地かという身勝手な二者択一論を押し付けてきた。それが今回も繰り返された。

 政府首脳による事実と異なる発言はこれまでも続いてきた。菅義偉官房長官は普天間飛行場返還合意のきっかけを、少女乱暴事件ではなく事故だったと強弁し続けた。

 普天間飛行場の5年以内の運用停止について首相は「最大限努力する」と約束していたが、実現の見通しのない空手形だった。これも意図的なうそだったのではないか。

 首相が頻繁に口にし、今回も最後に述べた「沖縄の皆さんの気持ちに寄り添っていく」「理解を得るようさらに努力する」という言葉も、フェイクにしか聞こえない。

 今回、もう一つ問題があった。事前収録インタビューであるにもかかわらず、間違いとの指摘も批判もないまま公共の電波でそのまま流されたことだ。いったん放映されると訂正や取り消しをしても影響は残る。放送前に事実を確認し適切に対応すべきだったのではないか。放置すれば、放送局が政府の印象操作に加担する形になるからだ。
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「新自由主義アパルトヘイト」

2019-01-09 10:08:08 | その他
 『世界』2月号に、アンディ・クラークの同名の著書の結論部分が翻訳され掲載されている。その内容がよい。

 新自由主義の本質を剔抉し、それが人々の幸せにはつながらないことを示すことがとても重要である。

 著者は、政治的アパルトヘイトが改称された南アフリカ、そしてパレスチナを「新自由主義アパルトヘイト」とする。それを構成するものに「人種的資本主義」がある。前者においては黒人、後者においてはパレスチナ人、両地域においては、黒人やパレスチナ人の低賃金労働力に対する需要は少ない。したがって、それぞれの支配階級は、彼らを排斥することに慎重ではない。働きたかったら働かせてやるぞ、そのかわり低賃金だ、それでもよいか、という具合である。彼らを労働者として処遇する必要はないのだ。

 しかしそのように排除され、貧しい生活を強いられている人々は、支配層にとっては「危険」な存在なのだ。そこに治安問題が生じる。支配層は、「ますます強圧と暴力に依存するようになる」。

 「新自由主義アパルトヘイトは、極端な「不平等」、人種別の「周縁化」、広汎な「治安問題化」、不断の「危機」の組合せを意味している。」

 富者・支配層は、「周縁化」された労働者、彼らを剰余労働力化し、低賃金を競わせる。低賃金化を推進するために、外国から低賃金労働力を導入し、国内の労働者層と低賃金を競わせるのだ。

 支配層は自分たちの豊かな生活、さらにカネが潤沢に入ってくるシステムを保持している。そしてその生活に、労働者や市民は必要なくなっている。労働者市民の歓心を買う必要はないのだ。労働者・市民に、みずからのカネをつかうなんてあほらしい。ウソや捏造だって平気。彼らにとって、労働者や市民なんてどうにでもなれ、という存在なのだ。故に、「公共」的なものはすべて政府・自治体からはぎ取られていく。

 国家には公共的な業務があったはずだが、今や国家は公共的な業務は縮小するばかり、拡大するのは支配階級のための政策、治安機関の強化、軍拡、資本家への援助などしか打ち出さなくなっている。レーニンの『国家と革命』の、国家は支配階級の階級支配の道具であるというテーゼは、今こそ生きてきているといえよう。

 この論文は、現代社会を理解する上で大きな示唆を与えてくれる。ここに記したのは著者が言っていることではなく、私がこの文を読んで考えたことを書いた。それほど知的な刺激を与えてくれるものだ。

 支配層は、階級・人種の差を効果的につかって、支配を強化してきている。階級や人種をつかって、人々を分裂させ競争させ、底辺への歩みを歩ませるようにしているようだ。どうしたら効果的な反撃ができるのか、考えなければならない。


 
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