前近代において、日本は対外戦争をほとんどしなかった。古代に少し、そして秀吉の朝鮮侵略である。著者は、少し前に『戦争の日本古代史』を著し、古代に於ける戦争を詳細に紹介した。
今度の本は、日本は大陸に於ける内戦と比較したら、日本の内戦なんか規模が小さくて大したものではないということを書こうとしたようだ。しかし、『内戦の日本古代史』であるから、いちいち大陸の内戦と比較していてはたまらない。したがって、日本国内での内戦の概略を叙述するということになる。
邪馬台国の戦争、ヤモトタケルの伝承、磐井の乱、物部戦争、壬申の乱、藤原広嗣の乱、恵美押勝の乱、蝦夷征討、天慶の乱、平忠常の乱、前九年・後三年の役
これらの内戦の概略を叙述しているのだが、それぞれ中途半端なものになっている。それぞれの「内戦」については専門的な論文や著書があり、著者はそれらをつかって概略を書いていくことになる。したがって、これらの「内戦」についての概略は、本書で得ることが出来るのだが、詳細ではなく、また簡略でもない。いってみればちょうどよい分量でもあり、また足りない感じもする。
しかし歴史教育者は、この本を読んで、それぞれの「内戦」の概略は心得ておくべきであろう。
前近代に於いて、朝鮮侵略を除き、日本は対外戦争をほとんどしていないという、素晴らしい歴史を持っている。しかしその日本が、近代に於いては戦争に次ぐ戦争、侵略に次ぐ侵略を行ってきた。その落差はいったいどうして出て来るのだろうか。
著者は末尾でこう記している。
まず朝鮮侵略の背景には、武士による「自力救済(=暴力)を旨とする中世」があることをにおわす。近代に於いて、近代日本が全国民に「武士道を扶植した」。著者は、「いったい日本は、いつから、何故にこのような国になってしまったのであろうか」と問う。
そして「武士道を善、貴族を悪とする価値観、東国の大地を善、京の都を悪とする地域観が、国民のあいだに醸成されてしまった」と記す。私は「東国の・・・」以下の指摘については聞いたことがないが、前者はある。
NHKの大河ドラマはいくさが好きである。著者はTwitterで、「道長を大河ドラマで取りあげて欲しい」という書き込みを見て、「それは無理です。日本人は合戦があって人が死なないと喜びません。皇子が生まれたり宴会で月を見て歌を詠んだりするのがクライマックスでは、ドラマにならないでしょう」と答えているそうだ。
日本人は合戦が好き、なのだ。考えてみれば、テレビでは人が殺される場面が毎日のように映し出される。合戦や殺人事件に、日本人は快哉を叫んでいる。
「いつの日か、平安貴族が国民に好まれ、ドラマ化される日はやってくるのであろうか。」と著者は書く。日本人の心性の大きな転換を求めてるのだろうか。
好戦的な人が首相の座に着き、隣国との対立を煽っている。日本人は、それに快哉を叫ぶのか、それともバカなことはやめて友好的になれ、と叫ぶのか。
私は、武士よりも、平安貴族の方が好きだ。