「遺稿集」の二校、そして書き上げた「解題」を印刷会社に渡したので、少し時間ができるようになった。夕方少しの時間畑に行くが、今日は午後2時頃から、じっくりと農作業に従事した。まさに晴耕雨読の日々。
今日は『永山則夫 封印された鑑定記録』を読み終えることができた。よい本だった。
少し時間ができたので、村上春樹の『海辺のカフカ』を図書館にリクエストした。その後は『1Q84』に挑戦しよう。最近また新刊を出したようだが、これもいつか読むことにしよう。
さて、どうしたら鋭角的な切り込みができるか、について考えたい。
まず、自らの立ち位置を決めることだ。いかなる立場でものを考えるか、である。見え方は、立場によって異なる。たとえばバスに乗っているとき、自転車に乗っているとき、車に乗っているとき、歩いているとき、同じ道を通っていても、風景は異なって見えるし、考え方も異なる。
ボクは、いつも「底辺の視座」ということを語る。もっとも虐げられた人の眼から社会や政治を見ることが必要だと思う。社会問題についてどう考えていいかわからないというとき、果たして自分自身の立ち位置はしっかりしているのだろうか。フラフラとしているのではないか。
たとえば、「満洲移民」について、ボクは書いたことがある。「満洲移民」をどう考えるか。その場合、別々の二つの眼からみる。一つは「満洲」という傀儡国家が「建国」される前から住んでいた中国人などの庶民、彼らは日本からの移民によって土地や家屋を接収されている。もう一つは、移民してきた日本人。彼らはどちらかというと貧農であった。日本の「満洲」侵略政策のある種の担い手として、日本から追い出され、そして戦争末期かれらは日本国家に棄てられた。日本人「満洲移民」は、二度にわたって棄てられた。
これら二つの視座からみれば、「満洲移民」をどう考え叙述するかは明らかである。
ジャーナリストの本多勝一が、『殺す側の論理と殺される側の論理』を書いている。本多はもちろん「殺される側」から視る。
『本多勝一集』は、ジャーナリストをめざす者にはぜひ読んで欲しいと思う。ついでに、斉藤茂男の本も読んで欲しいと思う。本多は朝日新聞社が相対的によい時代の記者、斉藤茂男は共同通信の記者だった。斉藤はすでに亡くなっている。
今日はこれまで。
今日は『永山則夫 封印された鑑定記録』を読み終えることができた。よい本だった。
少し時間ができたので、村上春樹の『海辺のカフカ』を図書館にリクエストした。その後は『1Q84』に挑戦しよう。最近また新刊を出したようだが、これもいつか読むことにしよう。
さて、どうしたら鋭角的な切り込みができるか、について考えたい。
まず、自らの立ち位置を決めることだ。いかなる立場でものを考えるか、である。見え方は、立場によって異なる。たとえばバスに乗っているとき、自転車に乗っているとき、車に乗っているとき、歩いているとき、同じ道を通っていても、風景は異なって見えるし、考え方も異なる。
ボクは、いつも「底辺の視座」ということを語る。もっとも虐げられた人の眼から社会や政治を見ることが必要だと思う。社会問題についてどう考えていいかわからないというとき、果たして自分自身の立ち位置はしっかりしているのだろうか。フラフラとしているのではないか。
たとえば、「満洲移民」について、ボクは書いたことがある。「満洲移民」をどう考えるか。その場合、別々の二つの眼からみる。一つは「満洲」という傀儡国家が「建国」される前から住んでいた中国人などの庶民、彼らは日本からの移民によって土地や家屋を接収されている。もう一つは、移民してきた日本人。彼らはどちらかというと貧農であった。日本の「満洲」侵略政策のある種の担い手として、日本から追い出され、そして戦争末期かれらは日本国家に棄てられた。日本人「満洲移民」は、二度にわたって棄てられた。
これら二つの視座からみれば、「満洲移民」をどう考え叙述するかは明らかである。
ジャーナリストの本多勝一が、『殺す側の論理と殺される側の論理』を書いている。本多はもちろん「殺される側」から視る。
『本多勝一集』は、ジャーナリストをめざす者にはぜひ読んで欲しいと思う。ついでに、斉藤茂男の本も読んで欲しいと思う。本多は朝日新聞社が相対的によい時代の記者、斉藤茂男は共同通信の記者だった。斉藤はすでに亡くなっている。
今日はこれまで。