『朝日新聞』の社説は、どうも文になっていない。たとえば昨日の社説。
米軍と憲法―最高裁長官は何をした
戦争の放棄を定める憲法9条のもとでも米軍が駐留できる。その解釈を与えた最高裁の判決の裏に、何があったのか。
半世紀前の1957年。米軍旧立川基地の拡張に反対する学生ら7人が基地内に入り、日米安保条約にもとづく刑事特別法違反に問われた。「砂川事件」である。
東京地裁は59年3月に、米軍駐留は憲法9条に違反するとして7人に無罪を言い渡した。
判決が確定すれば、米軍を取り巻く状況は一変する。審理は高裁をとばして最高裁にまわった。交渉中の安保条約改定を前にこの裁判はいつ、どう決着するか。日米両政府は注視した。
このときの駐日米大使マッカーサー2世から米政府にあてた公電を米公文書館が公開した。
当時の田中耕太郎最高裁長官と大使ら米外交官との、非公式なやりとりを伝えている。
公電によると長官は、米側に判決の時期と、世論を割りかねない少数意見を避け、15判事の全員一致で判決したいという考えなどを伝えたという。
憲法上の争点を地裁判事が判断したのは不適切だった、との発言も引用されている。米大使は自らの印象として「長官は地裁判決は覆されるだろうと思っている」と記した。
その言葉どおり、最高裁は12月に地裁判決を全員一致で覆した。翌日の公電は「全員一致の判決は、裁判長の手腕と政治力に負うところがすこぶる大きい」と長官をたたえた。
忘れてはいけないのが、この最高裁判決の重みだ。
日米安保条約のような高度に政治的な問題に司法判断を下さないという「統治行為論」を示し、その後の在日米軍がからむ訴訟で用いられ、いまも拘束力をもち続けている。
外交公電がつねに正しいとは限らない。発した側の外交官に都合のよい記載になっていると疑われる場合もある。
だが一国の司法の長が裁判の利害関係者と会い、判決の行方をほのめかしたという記録は、放っておけない。
司法の独立は守られたか。
評議は適切に行われたのか。
田中長官は74年に亡くなっている。それでも、当時の行動や発言の記録の開示を、市民団体が最高裁に求めている。もっともな要請だ。
すでに公開された公文書は、上訴や立証の方法に至るまで、外務省と米側が密接にやりとりしていたことも伝える。
戦後史をつらぬく司法の正統性の問題だ。最高裁と政府は疑念にこたえなくてはならない。
以上のように、ほぼワンセンテンス毎に行を変えているが、内容的にもそれぞれの文を並べただけで、相互の関連が感じられない。こういう書き方の文に、行間に筆者のいいたいことが詰まっている場合もあるが、社説はまったくそうではない。行間は空白だ。
また文にパトスがない。紋切り型の文が、ただ並べてあるだけだ。自らが書いている社説を読んでもらう、わかってもらいたい、という気持ちがまったく感じられない。官僚的な文。血が通っていない。だから社説全体が、抽象度を増し、無の世界へと走り去っていく。書いている人にむなしさはないのだろうか。
ちなみに、以下は昨日の『中日新聞』の社説である。比べて欲しい。昔の『朝日』の社説がなつかしくなる。
攻めの農業と言う前に 週のはじめに考える 2013年4月14日
環太平洋連携協定(TPP)の不安をかき消すように“攻めの農業”が叫ばれます。だがその前に、農家と消費者が守るべきものがあるはずです。
愛知県半田市の北村真也さん(24)は、一年間の研修期間を終えて、間もなく地元で就農します。
サラリーマン家庭の長男。祖母が家庭菜園で育てた野菜を食べて「おいしい」と感じたのをきっかけに、市内の農業高校から東京農大へ進み、有機野菜を育てるサークル「緑の家」に所属した。四年生になる前に一年間、南ドイツの農場で働いて、「大丈夫、農業で食べていこう」と決めた。
必要とされる存在に
研修に通うのは、同じ愛知県の江南市にある佐々木正さん(66)の農園です。
佐々木さんは元教師。四十五歳で専業農家に転じ、十五年ほど前から新規就農希望の研修生を受け入れて、農薬や化学肥料を使わない有機農業の栽培技術を教えています。「自立すること。現場で工夫することを教わりました。もう何も不安はありません」と北村さんはこの一年を振り返る。
農林水産省の青年就農給付金などを元手に、近所のつてで二反(二十アール)の畑を借りられるめどがついています。一年に何度も収穫できる軟弱野菜(葉物)から始め、五年後には一町歩(一ヘクタール)に広げ、法人化をめざす。できた野菜は宅配します。
身の丈を超えた大規模化には反対です。一人で一町歩耕して百二十世帯に売るよりも、二人で五反ずつをよく活用して、百四十世帯によいものを届けるべきだと考えます。
日常に食べられるものを作る。地域に必要とされる存在になる。安全安心を求める地元消費者と結び付く。地域の農業者同士がネットワークを結んで支え合う-。これが、北村さんの“農業”です。
「今農業に必要なのは、人づくり。そして、消費者との関係づくり。人のつながりを強くして地域の農業を守ること。攻めの農業? あまりピンと来ませんねえ」と、佐々木さんは苦笑します。
畑の隅でブロッコリーが黄色い小さな花をつけ、ミツバチとモンシロチョウがとまったり、離れたり。穏やかな春の午後でした。
救世主にはなれない
そもそも、“攻めの農業”って何だろう。まず例に挙げられるのが輸出です。農水省の資料には、こうあります。
<今後十年で倍増が見込まれる世界の食市場に、日本の農林水産物・食品が評価される環境を整備し、日本の「食文化・食産業」の海外展開と日本の農林水産物・食品の輸出促進を同時に推進する>
政府は、例年五千億円前後で推移している農林水産物の輸出額の倍増を企図しました。もちろんそれ自体、容易ではありません。
一昨年の輸出額四千五百十一億円のうち約半分が加工品、四分の一が盆栽や真珠といった非食料品でした。食料品の多くは、サケ、マスなどの水産物が占め、純粋な農産物は百八十億円分しかありません。農業の救世主とは言い難い。
農地を集約し、経営の大規模化を図るにしても、地平線のかなたまで続く大農園に飛行機で種をまくような国々に、結局は太刀打ちできません。
TPPという名の黒船は、こと農業に関して言えば、成長至上主義の終焉(しゅうえん)を告げに来たのかもしれません。
作り手は規格にあった品物を効率良く育てて淡々と送り出す。買い手の側は値段の安さをひたすら求め、消費する。その繰り返しでは農業の持続可能性が、もう保てないということを。
二月の終わり、第七十二回中日農業賞授賞式のあいさつで、審査委員長の生源寺真一・名古屋大学教授が言いました。
「世界一鋭敏だった日本人の食べる力、味わう力が、衰えているような気がします」
農学者が消費者の心配をしています。
持続可能性の問題だ
食べる力、良いものを選ぶ力が弱まれば、食べ物を作る力も衰える。埼玉県の面積に等しい耕作放棄地があることは、よく知られるようになりました。それを除いても農地の利用率は約九割にとどまっています。
手入れのよい水田や畑がつくり出す景観美は、確実に衰退しています。
勇ましく海外へ打って出るのもいいでしょう。だがその前に守りを固める必要がありそうです。
環境、防災、水循環、それにエネルギーなど食料生産以外の機能も含め、地域に不可欠な農業という価値をどうやって維持していくか。総合的には持続可能性が実現できるかどうかに、帰着するでしょう。農家、消費者それぞれに、考え直す時なのです。
米軍と憲法―最高裁長官は何をした
戦争の放棄を定める憲法9条のもとでも米軍が駐留できる。その解釈を与えた最高裁の判決の裏に、何があったのか。
半世紀前の1957年。米軍旧立川基地の拡張に反対する学生ら7人が基地内に入り、日米安保条約にもとづく刑事特別法違反に問われた。「砂川事件」である。
東京地裁は59年3月に、米軍駐留は憲法9条に違反するとして7人に無罪を言い渡した。
判決が確定すれば、米軍を取り巻く状況は一変する。審理は高裁をとばして最高裁にまわった。交渉中の安保条約改定を前にこの裁判はいつ、どう決着するか。日米両政府は注視した。
このときの駐日米大使マッカーサー2世から米政府にあてた公電を米公文書館が公開した。
当時の田中耕太郎最高裁長官と大使ら米外交官との、非公式なやりとりを伝えている。
公電によると長官は、米側に判決の時期と、世論を割りかねない少数意見を避け、15判事の全員一致で判決したいという考えなどを伝えたという。
憲法上の争点を地裁判事が判断したのは不適切だった、との発言も引用されている。米大使は自らの印象として「長官は地裁判決は覆されるだろうと思っている」と記した。
その言葉どおり、最高裁は12月に地裁判決を全員一致で覆した。翌日の公電は「全員一致の判決は、裁判長の手腕と政治力に負うところがすこぶる大きい」と長官をたたえた。
忘れてはいけないのが、この最高裁判決の重みだ。
日米安保条約のような高度に政治的な問題に司法判断を下さないという「統治行為論」を示し、その後の在日米軍がからむ訴訟で用いられ、いまも拘束力をもち続けている。
外交公電がつねに正しいとは限らない。発した側の外交官に都合のよい記載になっていると疑われる場合もある。
だが一国の司法の長が裁判の利害関係者と会い、判決の行方をほのめかしたという記録は、放っておけない。
司法の独立は守られたか。
評議は適切に行われたのか。
田中長官は74年に亡くなっている。それでも、当時の行動や発言の記録の開示を、市民団体が最高裁に求めている。もっともな要請だ。
すでに公開された公文書は、上訴や立証の方法に至るまで、外務省と米側が密接にやりとりしていたことも伝える。
戦後史をつらぬく司法の正統性の問題だ。最高裁と政府は疑念にこたえなくてはならない。
以上のように、ほぼワンセンテンス毎に行を変えているが、内容的にもそれぞれの文を並べただけで、相互の関連が感じられない。こういう書き方の文に、行間に筆者のいいたいことが詰まっている場合もあるが、社説はまったくそうではない。行間は空白だ。
また文にパトスがない。紋切り型の文が、ただ並べてあるだけだ。自らが書いている社説を読んでもらう、わかってもらいたい、という気持ちがまったく感じられない。官僚的な文。血が通っていない。だから社説全体が、抽象度を増し、無の世界へと走り去っていく。書いている人にむなしさはないのだろうか。
ちなみに、以下は昨日の『中日新聞』の社説である。比べて欲しい。昔の『朝日』の社説がなつかしくなる。
攻めの農業と言う前に 週のはじめに考える 2013年4月14日
環太平洋連携協定(TPP)の不安をかき消すように“攻めの農業”が叫ばれます。だがその前に、農家と消費者が守るべきものがあるはずです。
愛知県半田市の北村真也さん(24)は、一年間の研修期間を終えて、間もなく地元で就農します。
サラリーマン家庭の長男。祖母が家庭菜園で育てた野菜を食べて「おいしい」と感じたのをきっかけに、市内の農業高校から東京農大へ進み、有機野菜を育てるサークル「緑の家」に所属した。四年生になる前に一年間、南ドイツの農場で働いて、「大丈夫、農業で食べていこう」と決めた。
必要とされる存在に
研修に通うのは、同じ愛知県の江南市にある佐々木正さん(66)の農園です。
佐々木さんは元教師。四十五歳で専業農家に転じ、十五年ほど前から新規就農希望の研修生を受け入れて、農薬や化学肥料を使わない有機農業の栽培技術を教えています。「自立すること。現場で工夫することを教わりました。もう何も不安はありません」と北村さんはこの一年を振り返る。
農林水産省の青年就農給付金などを元手に、近所のつてで二反(二十アール)の畑を借りられるめどがついています。一年に何度も収穫できる軟弱野菜(葉物)から始め、五年後には一町歩(一ヘクタール)に広げ、法人化をめざす。できた野菜は宅配します。
身の丈を超えた大規模化には反対です。一人で一町歩耕して百二十世帯に売るよりも、二人で五反ずつをよく活用して、百四十世帯によいものを届けるべきだと考えます。
日常に食べられるものを作る。地域に必要とされる存在になる。安全安心を求める地元消費者と結び付く。地域の農業者同士がネットワークを結んで支え合う-。これが、北村さんの“農業”です。
「今農業に必要なのは、人づくり。そして、消費者との関係づくり。人のつながりを強くして地域の農業を守ること。攻めの農業? あまりピンと来ませんねえ」と、佐々木さんは苦笑します。
畑の隅でブロッコリーが黄色い小さな花をつけ、ミツバチとモンシロチョウがとまったり、離れたり。穏やかな春の午後でした。
救世主にはなれない
そもそも、“攻めの農業”って何だろう。まず例に挙げられるのが輸出です。農水省の資料には、こうあります。
<今後十年で倍増が見込まれる世界の食市場に、日本の農林水産物・食品が評価される環境を整備し、日本の「食文化・食産業」の海外展開と日本の農林水産物・食品の輸出促進を同時に推進する>
政府は、例年五千億円前後で推移している農林水産物の輸出額の倍増を企図しました。もちろんそれ自体、容易ではありません。
一昨年の輸出額四千五百十一億円のうち約半分が加工品、四分の一が盆栽や真珠といった非食料品でした。食料品の多くは、サケ、マスなどの水産物が占め、純粋な農産物は百八十億円分しかありません。農業の救世主とは言い難い。
農地を集約し、経営の大規模化を図るにしても、地平線のかなたまで続く大農園に飛行機で種をまくような国々に、結局は太刀打ちできません。
TPPという名の黒船は、こと農業に関して言えば、成長至上主義の終焉(しゅうえん)を告げに来たのかもしれません。
作り手は規格にあった品物を効率良く育てて淡々と送り出す。買い手の側は値段の安さをひたすら求め、消費する。その繰り返しでは農業の持続可能性が、もう保てないということを。
二月の終わり、第七十二回中日農業賞授賞式のあいさつで、審査委員長の生源寺真一・名古屋大学教授が言いました。
「世界一鋭敏だった日本人の食べる力、味わう力が、衰えているような気がします」
農学者が消費者の心配をしています。
持続可能性の問題だ
食べる力、良いものを選ぶ力が弱まれば、食べ物を作る力も衰える。埼玉県の面積に等しい耕作放棄地があることは、よく知られるようになりました。それを除いても農地の利用率は約九割にとどまっています。
手入れのよい水田や畑がつくり出す景観美は、確実に衰退しています。
勇ましく海外へ打って出るのもいいでしょう。だがその前に守りを固める必要がありそうです。
環境、防災、水循環、それにエネルギーなど食料生産以外の機能も含め、地域に不可欠な農業という価値をどうやって維持していくか。総合的には持続可能性が実現できるかどうかに、帰着するでしょう。農家、消費者それぞれに、考え直す時なのです。