昨日まで仙台に行っていた。レンタカーで、石巻市内や名取市内を走った。
被災地区には、すでに新しい家が建てられていたり、あるいは家が建っていた痕跡だけのところとがあり、経済的な差がこういう状況をつくりだしているのかなと思った。
石巻市内でもっとも衝撃的だったのは、大川小学校である。北上川と山に囲まれた地帯に、それはあった。建物の周囲にはたくさんの瓦礫があったのだろうが、今それはなく、校舎は流れてきただろう土と石の中にたたずんでいた。建物は、津波に襲われた当時のままで、津波のすさまじさを感じた。
学校の前には慰霊碑があった。同行者も一様に押し黙り、慰霊碑に頭を下げた。
学校の裏になるのだろうか、すぐ脇に山があった。なぜそこに登らなかったのだろうか、と思った。津波がくる直前まで、子どもたちは校庭におかれたという。山には登る道はなかったのだろうが、しかし登ることはできたはずだ。
ここまでは津波は来ないだろうという思いがあったのだろうか。きちんと事実経過を明らかにするべきではないかと思う。
下記のサイトで、新聞による検証記事を読むことができる。
http://memory.ever.jp/tsunami/higeki_okawa.html
やはり市当局、あるいは教育委員会がきちんと検証し、教訓を導き出すべきである。そうしないと、子どもたちの犠牲は犠牲のままで終わってしまうのではないか。そうさせてはいけない。
石巻市内や女川町は、雪が降っていた。真冬の寒さがあった。
震災に遭った人々、本当に寒かっただろうと思った。
被災地区には、すでに新しい家が建てられていたり、あるいは家が建っていた痕跡だけのところとがあり、経済的な差がこういう状況をつくりだしているのかなと思った。
石巻市内でもっとも衝撃的だったのは、大川小学校である。北上川と山に囲まれた地帯に、それはあった。建物の周囲にはたくさんの瓦礫があったのだろうが、今それはなく、校舎は流れてきただろう土と石の中にたたずんでいた。建物は、津波に襲われた当時のままで、津波のすさまじさを感じた。
学校の前には慰霊碑があった。同行者も一様に押し黙り、慰霊碑に頭を下げた。
学校の裏になるのだろうか、すぐ脇に山があった。なぜそこに登らなかったのだろうか、と思った。津波がくる直前まで、子どもたちは校庭におかれたという。山には登る道はなかったのだろうが、しかし登ることはできたはずだ。
ここまでは津波は来ないだろうという思いがあったのだろうか。きちんと事実経過を明らかにするべきではないかと思う。
下記のサイトで、新聞による検証記事を読むことができる。
http://memory.ever.jp/tsunami/higeki_okawa.html
やはり市当局、あるいは教育委員会がきちんと検証し、教訓を導き出すべきである。そうしないと、子どもたちの犠牲は犠牲のままで終わってしまうのではないか。そうさせてはいけない。
石巻市内や女川町は、雪が降っていた。真冬の寒さがあった。
震災に遭った人々、本当に寒かっただろうと思った。