浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

取材

2013-04-26 17:44:33 | 日記
 最近『朝日』の記者から、金嬉老事件についての問い合わせが何度かあった。この事件については、事件があった寸又峡温泉を抱える本川根町(現在川根本町)の自治体史(『本川根町史』)を書いたときに、当然書き込んだ。

 そのスタンスは、金嬉老が犯した殺人事件はそれとして、金が訴えた差別についてはきちんと認識すべきであるというものだ。というのも、在日朝鮮人に対する社会的差別は続いているからである。ボクの中学時代の友人にも「在日」がいるが、今まで、そして今でも、彼は自分が「在日」であることを話さない。誰もが知っていてもである。

 また「在日」の存在は、当然日本の植民地支配が生み出したものであり、植民地支配に対する認識をきちんと持たない限り、金嬉老事件を把握することはできないと考えている。

 ところが問い合わせをしてくる記者は、そうした認識をいっさいもたない。おそらく彼は金嬉老事件を何らかのかたちで記事にしようと考えているのだろうが、そうした認識をもたないので、ボクも彼の質問に応えていて、もどかしくてしかたがない。

 少なくとも、取材してくる側は、今なぜこの問題をとりあげるのか、自分自身の問題意識を伝えるべきであろう。しかし、おそらく彼は誰か(ボクはこの誰かは知っている)から促されて取材を始めた、そしてこの問題についての勉強を少しもしていない。少なくとも本田靖春の『私戦』(現在河出文庫)も読んでいないし、ボクがかいた『本川根町史』も読んでいない。礼儀を知らない記者だ。少なくとも、問い合わせる前に、ボクが書いたものは読んでおくべきだ。なぜなら、その誰かに、ボクは抜き刷りを渡しているのだから。

 自分自身の問題意識もない、勉強もしていない、そういう状況で取材も何もないものだ。

 昔の記者、といってももう定年間近の人びとだが、そうした者はいなかった。少なくとも、一定程度の価値観の共有と学習があった。

 記者の資質は、おそらくひどく低下しているのだろう。
コメント
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