昔々、『朝日新聞』の朝刊に「天声人語」というコラムがありました。人びとは、批判的な精神と幅広い教養、そして少し余韻を残した筆致に感動したものです。
でも、今、『朝日新聞』の「天声人語」は、「権声刃語」と化しています。権力の声を刃(やいば)のように振り下ろしてくるのです。
それにひきかえ、『中日新聞』は、往年の「天声人語」にあった批判的精神と教養、そして余韻を残す筆致に溢れています。「社説」も同様です。『朝日新聞』から、かつてのあの格調高い内容が消えてどのくらい経つのでしょうか。『朝日新聞』が、自公政権翼賛の御用新聞となったのはいつ頃だったのか、あまりにも時間が経過していて、思い出せません。
さて、下記二つは、サッチャーイギリス元首相の死にちなんだコラムです。最初が、『中日新聞』の4月9日。あとが、『朝日新聞』の4月10日。読み比べてください。批判的な精神がジャーナリズムの本質です。
テムズ川のほとりにそびえる英国会議事堂。下院本会議場の入り口付近に、三体の立像がある。一体は第一次大戦時の首相ロイド・ジョージ、もう一体は第二次大戦時の首相チャーチル。残る一つがサッチャーさんの像だ
▼銅像の除幕は、二〇〇七年。サッチャーさんは名宰相と並んだ自分の像を見て、上機嫌で語った。「(鉄の女だから)鉄の像の方が良かったわね」「これ以上の連れは望むべくもないわ」と
▼チャーチルらが大戦という国難に総力戦を指導して勝利を得たのに対し、サッチャーさんは政治・経済改革で歴史に名を刻んだ。非寛容なキリスト教徒にして小売業者だった父に多大な影響を受けた元首相は、極端に妥協を嫌う市場主義の信奉者となった
▼共産圏との対峙(たいじ)という微妙なバランスの中で培われた欧州の福祉重視の政策を、目の敵にした。弱肉強食の市場原理を至上のものとした
▼そうした新自由主義的な改革は、レーガン米大統領とも共鳴し合い、一九八〇年代の政治潮流を形作った。その後のソ連崩壊と冷戦終結やグローバリズム時代の到来を見れば、サッチャーさんは、歴史の勝者に見える
▼だが、行き過ぎた規制緩和は金融危機の連鎖を招いた。サッチャー時代の英国で起きた格差拡大は、いま世界共通の難題だ。サッチャーさんは逝った。恐らく、敗者のすすり泣きには耳をふさいだまま。
亡くなった英国のサッチャー元首相は、寝る前にスコッチウイスキーをたしなんだという。現職のころは、その味を世界に広める伝道師を自任していたと回顧録にある
▼中曽根元首相の書く思い出話が愉快だ。サッチャー首相との間でロボット開発の話になった。中曽根氏は言った。ロボットは鉄でできたフランケンシュタインではない。多神教の日本ではかれらを兄弟のように扱う。「祝日には『一杯やりなさい』とコップのビールを置いてくる」と
▼サッチャー首相はすかさず「そのときはビールにしないでスコッチに」と言って笑わせた。当時、スコッチは高嶺(たかね)の花だった。英国は日本の高率の酒税を引き下げるよう強く求めていた。実現したのは後継の竹下政権の時である。サッチャー首相のおかげで安く飲めるようになると、はやすメディアもあった
▼「鉄の女」の強力なリーダーシップは日本政治にも影響を与えた。小泉元首相が演じた「抵抗勢力」との攻防は、その好例だろう。ご本家は、身内の保守党内の穏健派を「ウエット」と呼んで排除した。弱虫、臆病といった意味である
▼回顧録では、穏健派もやがてそう呼ばれることを受け入れたと書いている。蔑称がいつか本来の意味から離れることは政治の世界では珍しくない、保守党を意味する「トーリー」も、元はアイルランドの追い剥(は)ぎのことだった、と
▼罵(ののし)りあいからでも対話は生まれるという政治観だろうか。その奥底にあったのは烈々とした矜恃(きょうじ)に違いない。
『朝日新聞』のコラムから、矜恃が消えて多くの時間が経過しました。しかし、コラム子には、ひとりよがりの矜恃だけが遺されているようで、サッチャーの政治がお好みのようです。
でも、今、『朝日新聞』の「天声人語」は、「権声刃語」と化しています。権力の声を刃(やいば)のように振り下ろしてくるのです。
それにひきかえ、『中日新聞』は、往年の「天声人語」にあった批判的精神と教養、そして余韻を残す筆致に溢れています。「社説」も同様です。『朝日新聞』から、かつてのあの格調高い内容が消えてどのくらい経つのでしょうか。『朝日新聞』が、自公政権翼賛の御用新聞となったのはいつ頃だったのか、あまりにも時間が経過していて、思い出せません。
さて、下記二つは、サッチャーイギリス元首相の死にちなんだコラムです。最初が、『中日新聞』の4月9日。あとが、『朝日新聞』の4月10日。読み比べてください。批判的な精神がジャーナリズムの本質です。
テムズ川のほとりにそびえる英国会議事堂。下院本会議場の入り口付近に、三体の立像がある。一体は第一次大戦時の首相ロイド・ジョージ、もう一体は第二次大戦時の首相チャーチル。残る一つがサッチャーさんの像だ
▼銅像の除幕は、二〇〇七年。サッチャーさんは名宰相と並んだ自分の像を見て、上機嫌で語った。「(鉄の女だから)鉄の像の方が良かったわね」「これ以上の連れは望むべくもないわ」と
▼チャーチルらが大戦という国難に総力戦を指導して勝利を得たのに対し、サッチャーさんは政治・経済改革で歴史に名を刻んだ。非寛容なキリスト教徒にして小売業者だった父に多大な影響を受けた元首相は、極端に妥協を嫌う市場主義の信奉者となった
▼共産圏との対峙(たいじ)という微妙なバランスの中で培われた欧州の福祉重視の政策を、目の敵にした。弱肉強食の市場原理を至上のものとした
▼そうした新自由主義的な改革は、レーガン米大統領とも共鳴し合い、一九八〇年代の政治潮流を形作った。その後のソ連崩壊と冷戦終結やグローバリズム時代の到来を見れば、サッチャーさんは、歴史の勝者に見える
▼だが、行き過ぎた規制緩和は金融危機の連鎖を招いた。サッチャー時代の英国で起きた格差拡大は、いま世界共通の難題だ。サッチャーさんは逝った。恐らく、敗者のすすり泣きには耳をふさいだまま。
亡くなった英国のサッチャー元首相は、寝る前にスコッチウイスキーをたしなんだという。現職のころは、その味を世界に広める伝道師を自任していたと回顧録にある
▼中曽根元首相の書く思い出話が愉快だ。サッチャー首相との間でロボット開発の話になった。中曽根氏は言った。ロボットは鉄でできたフランケンシュタインではない。多神教の日本ではかれらを兄弟のように扱う。「祝日には『一杯やりなさい』とコップのビールを置いてくる」と
▼サッチャー首相はすかさず「そのときはビールにしないでスコッチに」と言って笑わせた。当時、スコッチは高嶺(たかね)の花だった。英国は日本の高率の酒税を引き下げるよう強く求めていた。実現したのは後継の竹下政権の時である。サッチャー首相のおかげで安く飲めるようになると、はやすメディアもあった
▼「鉄の女」の強力なリーダーシップは日本政治にも影響を与えた。小泉元首相が演じた「抵抗勢力」との攻防は、その好例だろう。ご本家は、身内の保守党内の穏健派を「ウエット」と呼んで排除した。弱虫、臆病といった意味である
▼回顧録では、穏健派もやがてそう呼ばれることを受け入れたと書いている。蔑称がいつか本来の意味から離れることは政治の世界では珍しくない、保守党を意味する「トーリー」も、元はアイルランドの追い剥(は)ぎのことだった、と
▼罵(ののし)りあいからでも対話は生まれるという政治観だろうか。その奥底にあったのは烈々とした矜恃(きょうじ)に違いない。
『朝日新聞』のコラムから、矜恃が消えて多くの時間が経過しました。しかし、コラム子には、ひとりよがりの矜恃だけが遺されているようで、サッチャーの政治がお好みのようです。