浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

仙台(2)

2013-04-03 10:02:10 | 日記
 閖上地区。何ともない都市の郊外を走っていると、急に何もないところに入る。何もないというのは語弊がある。

 民家がところどころにあった。だがそこは誰も住んではいない。寺もあった。墓地もあった。しかし、民家はかつてあったところにはなくなっていた。それぞれの敷地をあらわす土地の境界は見られた。だが家はない。

 あの日、テレビでみた閖上地区へ津波が押し寄せ、すべてを呑み込んでいったさまが思い浮かぶ。ほんとうに呑み込まれてしまった。ただ風が吹いていた。

 そしてところどころに、生花があった。おそらく亡くなられた方を悼むためだろう。

 車を走らせていると、小高い山のようなところがあった。そこは神社があったところのようだ。小山の前に写真があった。津波の前と後とを明確に示すものだ。街並みすべてを、津波は呑み込んでしまったことがよくわかる。

 閖上中学校。中学生が14人、亡くなられていた。献花台があり、机に亡くなられて中学生の愛称が書かれていた。

 タクシーがつき、家族連れが黙祷を捧げていた。そして近くにあるプレハブの建物には津波を風化させまいとする地元の方が、訪れてくる見学者に説明をしていた。

 いつもこの地区には、地震があったとき津波の警報が出された。だが、いつも空振りだった。地震後、近所の人々が避難してきた。しかし津波は来ない。家に帰った人がいた。

 しかし、今度は津波は来た。そして多くの人を呑み込んでいった。

 油断があった、と言われた。どんな津波がくるのか、自然は事前には語らない。だから、来なくても、とにかく最悪のことを考えて避難することが大切だと、説明された方は語った。

 東海地震も、来る来るといわれながら未だに来ていない。だが東日本大震災を経て出されたのは、警戒は怠ってはいけない、ということだ。

 自然の脅威は、人知を超える。それを忘れた人間に、自然は襲いかかってくるのだ。
コメント
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