浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

遺稿集、そして三木卓

2013-04-11 20:32:37 | 日記
 今、静岡県の女性史研究の先駆者であった人の遺稿集をつくっている。これになかなか時間をとられている。

 今日、彼女の高校時代、といっても1950年代ではあるが、それから長年つきあいのある方からの追悼文が送られてきた。その文の中に、芥川賞作家の三木卓が、彼女のことを小説のなかに書き込んでいるという記述があった。

 そういえば、彼女から、三木卓との交遊を聞いたことがあった。三木卓は、中学、高校時代に静岡にいた。

 ボクは、遺稿集の巻末に解題を書かなければならないので、指摘されていた三木卓の小説を読まなければならないと思った。その時刻、16時45分。インターネットで調べたら、その本がもっとも近い東図書館にあった。車を走らせると、なぜかボクの車の前には、車もないし、信号も青だった。彼女が、「これ、読みなさいよ」と言っている気がした。

 その本を借りて今読んでいる。三木卓は、彼女に愛情をもっていたことは確実だと思った。

 いやそれよりも、そこで書かれている高校生たちが語っている内容なんかは、ボクが高校生の頃と似通っているのだ。三木卓の小説の舞台は、1950年代前半。ボクの高校時代は1960年代末から70年代はじめである。

 同じように、高校の中に社会科学研究会を組織して、エンゲルスの『空想から科学へ』などを読み、いろいろ論じあっていたことを思いだす。こういう時代は、いつ頃まで続いたのだろうか。おそらく、70年代半ばに消えていったのだろうとボクは思っている。

 ボクは今、その本を読み耽っている。その書名は『柴笛と地図』である。

 なお、町田の住人に断っておくけれども、ボクは「あとがき」に、彼女から「この人はお友だちなのよ」といわれたことを書き記し、そのことをいまもなお町田の住人から揶揄されていることを記しておいた。事実は事実。

  「思い起こせば、かつてMさんは私のことを「お友だちなのよ」と紹介されたことがあった(その場に居合わせたTさ  んはいまだにこのことを揶揄する)。」

 ボクは、すべての原稿が揃った以上、解題を早期に仕上げなければならない。しかし、Tさんが編集した、Sさんの遺稿集の解題のようには、とても書けない。それだけボクは、彼女のことを知っていないからだ。


コメント
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