浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「主権回復の日」

2013-04-28 09:03:01 | 日記
 よくわからない。なぜこういう日を設定して祝うのか。

 だいたいにして、今の日本の主権は回復しているのか。1945年に終わった戦争で敗戦となった日本にアメリカ軍を中心とした連合国軍(占領軍)が入ってきた。まさに敗戦国日本は、占領されたのである。占領軍のほとんどはアメリカ軍であった。

 そして1951年、サンフランシスコ講和条約が結ばれた。これは日本の占領状態が終わるはずの講和条約であった。ところが、米軍はそのまま日本に残留した。新たに締結された日米安全保障条約のためだ。そして日米行政協定(→日米地位協定)が結ばれ、米軍には様々な特権が与えられた。たとえば、日本の空は、米軍が自由に飛ぶことができる。米軍人、軍属は、パスポートもなく、ビザもなく日本に入ることができる。外交官以上の特権を与えられている。

 そして沖縄などが分離され、日本本土は日米安保体制下の、いちおう日本政府の支配下に入ったが、沖縄などは占領状態がそのまま続いた。4月28日、つまりサンフランシスコ講和条約が発効した日、沖縄は日本から米軍のもとに差し出されたのである。だから沖縄では、「屈辱の日」と呼んでいる。

 そして米軍占領下、沖縄には、もちろん日本国憲法は適用されず、沖縄の人びとは無権利状態におかれた。土地を奪われ、人権を奪われ・・・・・筆舌に尽くしがたい日々を送りながら、しかし沖縄の人びとは少しずつ人権を闘いとってきた。その際、日本政府はなんら救いの手をさしのべなかった。

 そして日本は、今もアメリカの「属国」といわれている。アメリカがくしゃみをすれば、日本が風邪を引くという体たらくだ。日本の主権は、確実におかされている。

 安倍内閣は、一方で対米隷属を強化し、その反面日本の排外的なナショナリズムを高揚させようとしている。きちんと考えれば矛盾であるが、アメリカへの隷属を強めれば強めるほど、排外的ナショナリズムを高揚させずにはいられない。後者は前者の「イチジクの葉」でもあるが、支配層の中ではそれらは矛盾なく同居しているのである。

 信じられない時代へと、日本は入り込もうとしている。

 しかし人びとは、安倍政権に高い支持率を与えている。理念より、とにかくカネが儲かればよいのだ、と人びとはうそぶく。
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久しぶり

2013-04-28 08:54:03 | 日記
 理性と学識と、正確な現実認識とが良い具合に混じり合うと、文章も、そしてその内容もより訴える力を持つ。

 久しぶりに、『朝日新聞』の「天声人語」の主張を褒めてあげたくなった。

 立憲主義を再確認する

 原点に立ち返って憲法を議論し直そうという国会議員らの動きが広がっている。憲法とは何か、何のためにあるのか。そもそもから考える、という。確かに、それ抜きの議論が先走っている。歓迎したい

▼民主党の議員らが25日に「立憲フォーラム」という超党派の議員連盟をつくった。同じ日に、やはり超党派の議連「13条を考える会」も発足した。いずれも、憲法の根っこにある立憲主義という考え方を改めて確認しようとしている

▼個人の権利や自由が、国家権力なり社会の多数派なりによって奪われることがあってはならない。そのために権力を憲法によって縛っておく、というのが立憲主義である。様々に異なる価値観を持つ人々が、公正に平穏に共存できる社会をつくる。そのための知恵である

▼個人の尊重という思想は従来の改憲派には好かれていない。いまの憲法のせいで、「ほっといてくれ」と国家に背を向ける国民が増えた。憲法を通じ、国家が国民にもっと「ああしろ、こうしろ」と言うべきだ。そんな発想が根強い。立憲主義への無知なのか、あるいは懐疑か嫌悪か

▼もとより憲法とは国民からの国家への命令であり、逆に国家からの国民への命令が法律である。ああしろ、こうしろが必要なら法律のレベルでやればいいことであり、憲法でどうこうする話では本来ない

▼立憲主義を蔑(ないがし)ろにして改憲をする。そのとき憲法は憲法という名前の別物になる。それでいいのか。目下の議論の最前線は実はここにある。


 短い文章に、自民党や維新の議員が、憲法の存在意義を蔑ろにして、学校の「生徒心得」(「廊下を走るな」「学校を休む場合は学校に連絡すること」など、あれをしてはいけない、こうしなさい、とかが書かれている)のように憲法を変えようとしているという現実認識と、そう特別に勉強しなければならないほどのことでもないが、立憲主義についての学識と、それらを理性的に処理して、憲法の本質を投げ捨てても良いかと訴えている。

 本来、コラムというのはこういうものでなければならない。
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