購読している雑誌『DAYS JAPAN』が届いた。創刊号から購読しているから、もうかなりの量になる。
全体として、なぜ世界はいつまでも悲惨がいっぱいあるのだろうか、これはいつも思っていることだけれども、あらためて強く思った。今月号には、シリアやアフリカの写真が並ぶ。もちろんフクシマも。
今ボクはメンデルスゾーンの交響曲を聴きながらこれを書いているが、音楽はかくもさわやかに流れてくるのに、世界はなぜかくも悲惨を生み出すのか。
今月号でもっとも印象に残ったのは、履き物の写真である。ただ履き物が並んでいる。その履き物は、かろうじて履き物であり続けているという、もうボロボロの履き物だ。
スーダンの難民たちが、数週間から1ヶ月間歩き通した際に履いていたものだ。なぜかくも苦難を強いるのだろうか。戦争、といっても国家間の戦争ではない。内戦だ。
ソマリア、スーダン、コンゴ・・・アフリカの各所で戦闘が繰り広げられ、多くの人が亡くなり、負傷し、難民が歩き続ける。
ボクは性善説をとるが、しかし多くの人間は欲の前でヒューマニズムを棄てる。
ボクは高校生の頃、以前書いたことがあるが、ヴェトナムの少女の写真、ナパーム弾をあびた上半身焼けただれた裸の写真を見て、反戦の意志を固めた。こういうことは絶対にあってはならないというヒューマニズムだった。
しかしそれ以降も、世界各地で同じようなことが続いている。
人間には良心が備わっているという確信は持ちながらも、それを否定することが繰り返し現れてくる。世界は、ボクの人間性の質を試しているのかもしれない。しかしそうであっても、とにかくこの悲惨はなくさなければならない。
この雑誌、書店にも並んでいる。見て欲しい。
全体として、なぜ世界はいつまでも悲惨がいっぱいあるのだろうか、これはいつも思っていることだけれども、あらためて強く思った。今月号には、シリアやアフリカの写真が並ぶ。もちろんフクシマも。
今ボクはメンデルスゾーンの交響曲を聴きながらこれを書いているが、音楽はかくもさわやかに流れてくるのに、世界はなぜかくも悲惨を生み出すのか。
今月号でもっとも印象に残ったのは、履き物の写真である。ただ履き物が並んでいる。その履き物は、かろうじて履き物であり続けているという、もうボロボロの履き物だ。
スーダンの難民たちが、数週間から1ヶ月間歩き通した際に履いていたものだ。なぜかくも苦難を強いるのだろうか。戦争、といっても国家間の戦争ではない。内戦だ。
ソマリア、スーダン、コンゴ・・・アフリカの各所で戦闘が繰り広げられ、多くの人が亡くなり、負傷し、難民が歩き続ける。
ボクは性善説をとるが、しかし多くの人間は欲の前でヒューマニズムを棄てる。
ボクは高校生の頃、以前書いたことがあるが、ヴェトナムの少女の写真、ナパーム弾をあびた上半身焼けただれた裸の写真を見て、反戦の意志を固めた。こういうことは絶対にあってはならないというヒューマニズムだった。
しかしそれ以降も、世界各地で同じようなことが続いている。
人間には良心が備わっているという確信は持ちながらも、それを否定することが繰り返し現れてくる。世界は、ボクの人間性の質を試しているのかもしれない。しかしそうであっても、とにかくこの悲惨はなくさなければならない。
この雑誌、書店にも並んでいる。見て欲しい。