日曜日の社説である。その内容はとてもよい。
ただ社説の中に、ある企業の社員食堂のことが記されている。職場における差別と分断である。中日新聞社には、そういうことはないのであろうか。今はどうか知らないが、同じ中日新聞の記事を書く記者には、中日新聞の記者と「中日通信」の記者がいて、そこに差別があることを、以前中日新聞記者から聞いたことがある。それはなくなったのだろうか。
中日新聞社員の労働組合は、新聞労連には入っていない単独組合である。社員の中には、中日新聞社の少数組合である新聞労連加盟の東京新聞労働組合の組合員がいる。中日新聞労組員が日々書いていることと社内の実態とに齟齬があると感じた人が、東京新聞労働組合に移っている。自分自身を安全なところにおいて、みずからは闘うことなく社会を批判する人はどこにでもいる。要領がいいのである。そういう人は、いつのまにか管理職に「出世」する。私の身近にもいた。しかし、そういう人を私は遠ざけてきた。なぜなら信用できないからだ。
さて社説を掲げる。内容的にはよい。
二〇二三年度の公的年金額が決まりました。賃金や物価が上昇したので年金額も増えます。ただ、その額は、年金額の上昇を抑える仕組みが働くため物価上昇分に届かず、実質的には目減りです。
抑えられた給付額は、将来世代の年金財源に充てられます。この仕組みは、〇四年の制度改正で導入が決まりました。
少子高齢化が進み、年金額の伸びを抑えないと現役世代が支払う保険料は際限なく上がります。それを防ぐために、保険料を一定のところまで引き上げて固定し、そこから得られる財源で年金を払う方式への変更です。
この改正では厚生労働省のある官僚の嘆きが忘れられません。
それまでは年金額について、高齢期の生活を支えるためにさまざまな経済指標を集め、突っ込んだ議論をしていたといいます。
しかし、制度の考え方が必要な額でなく、払える額に変わってからは、こんな議論もなくなってしまったそうです。
◆低下する社会の「防貧力」
日本の社会保障制度は、戦後の混乱期の貧困から救う「救貧」や貧困に陥ることを防ぐ「防貧」を中心に整備されてきました。高齢期の生活を主に支える公的年金は防貧の代表です。
戦後の経済発展とともに年金、医療、介護、雇用、労災などの社会保険を整備して高齢や失業に伴う収入減や、傷病など医療の費用を社会全体で分担する仕組みを防貧力として育ててきました。
しかし、必要な額ではなく、払える額しか払わないのでは、防貧力が土台から崩れかねません。
その最大の要因は少子化に伴う人口減少と経済の停滞です。少子化は社会を支える人材を、経済の停滞は一人一人の支える力をそれぞれ奪います。
国民生活基礎調査によると、二〇年の全世帯の所得中央値は四百四十万円で二十五年前の五百五十万円から二割減り、逆に四百万円未満の世帯数割合は増えています=グラフ。社会を中心で支える中間層が貧しくなっているのです。
もうひとつ、社会保障制度を静かにむしばんでいる要因として「分断」が挙げられます。
社会保障制度は支え合いの営みであり、それなしに制度は成り立ちませんが、制度を揺るがすような人間関係のざらつきが広がっているのです。
企業の人事管理を支援する専門家からこんな話を聞きました。
ある企業の社員食堂では出入り口に近い便利な場所を社員とパート従業員が利用し、奥の薄暗い場所は派遣社員や外部から来ている委託企業の従業員が利用するとの暗黙のルールがあるそうです。
事情を知らない外部従業員が、いつもは社員が使う場所に座ろうものなら、苦情が出そうな空気が支配しているといいます。会話もかわされないことでしょう。そこにあるのは分断です。
以前なら、立場が違っても同じ職場の仲間意識があり、それが安心感にもつながっていました。
しかし、社会のあらゆる場面で個人が分断され、他人には構っていられなくなりました。自分以外を「敵」と見なすこともしばしばです。貧困が分断を拡大させ、コロナ禍で加速しています。
自分の弱みを人に語り、理解し合うことで人はつながります。
でも分断が進むと、同じ社会で生きていながら気持ちの交換が滞ってしまいます。話を聞いてもらいたいのに聞いてもらえないという不安が募り、助け合う気持ちも擦り切れています。
絵本「ぼく モグラ キツネ 馬」(チャーリー・マッケジー著・川村元気訳、飛鳥新社)は、少年が動物たちとの対話を通して生きる意味を考える物語です。
少年が「いままでにあなたがいったなかで、いちばんゆうかんなことばは?」と聞くと、馬は「たすけて」。「いちばん強かったのはいつ?」と聞くと、馬は「弱さをみせることができたとき」と答えます。
◆支え合い再生のために
支え合いを再生するために、まずはお互いに人の話を聞くことから始めてはどうでしょう。
誰かに自分の弱さを聞いてもらって理解してもらう。そうすれば不安でいっぱいの心に安心が芽生え、ほかの誰かの不安にも耳を傾ける余裕ができるでしょう。
物語の馬が「勇敢な言葉」だと語った「助けて」のひと言が言える、そして聞いてあげられる社会にしたい。だって「困った時はお互いさま」ですから。