「特別展 神仏習合」 奈良国立博物館

奈良国立博物館奈良市登大路50
「特別展 神仏習合 かみとほとけが織りなす信仰と美」
4/7-5/27



この展覧会を十分に味わうためには、一体どれほどの時間が必要なのでしょう。仏像、経典、曼荼羅などの約200点の品々で、日本人の信仰に独特な「神仏習合」の流れを追いかけます。質量共に圧倒的です。

展示は「神と仏との出会い」、つまり日本が古来信仰してきた万の神と、大陸から伝来した仏教の出会う6世紀の頃よりはじまります。そしてその後、500~600年、多様な形態をとりながら「熟成」する「神仏習合」の在り方を眺めていくことになるのです。最後に到達するのは南北朝時代でした。

ここでその詳細な流れについては触れません。(と言うより、私の理解度不足により触れられないのが実情です。)よっていつもの如く、印象的な作品をいくつか挙げていきたいと思います。



まずは恐ろしいほどインパクトのあるチラシ表面も飾った、「女神座像(広島・御調八幡宮)」(平安時代)です。チラシを見る限りではさぞ大きなものではないかと想像してしまいますが、実際には高さ約50センチほどの小さな木像でした。そのつくりは一木造です。右足を折り曲げ、まさに泰然とした面持ちで前を見据えています。口元の紅がまだ微かに残っていました。八幡神という一つの「神仏習合」の形をとった、極めて早い時期の神像彫刻だそうです。



三段に積まれた「須弥山石」(飛鳥時代)は東博の所蔵です。斉明天皇の時代、本来「神」を介していた儀式が、この「須弥山石」(仏教の世界観による世界の中心。)を用いることで仏教のそれへと繋がっていきました。その独特な造形には、まるで何かを封印するような「重石」のようなイメージも喚起させますが、何と側面から水が出るという噴水の仕掛けももっていたのだそうです。その水の出る光景は、この品の出土した飛鳥の資料館でも見ることが出来ます。(もちろんレプリカです。)



「辟邪絵」(平安~鎌倉時代)は鮮烈です。密教との関係も深い鬼神が、牛頭天王(祇園社の祭神。もしくは疫神。)を食らうという光景が凄惨なままに表現されています。手足をちぎり、それを口元へ持っていく様子には恐怖感すら覚えました。また、くっきりと残る彩色もその臨場感を強く伝えてくれます。ちなみにこの作品は5種あり、元々一つの絵巻でもあったそうです。博物館のサイトにて他の部分が紹介されています。



中の経巻の状態も良い「大般若経厨子」(平安時代)には驚きました。経典をお守りするのは、観音開きの扉に描かれた守護神たちです。まだ金も映えているその逞しい神々が、この重々しい扉を封していたのでしょうか。ちなみにこの厨子の中には、全部で300の経巻がおさめられていたのだそうです。(現存するのは166巻。)またこれと対になるもう一基の厨子は、クリーブランド美術館に収められています。計600巻です。



今でも奈良のシンボルである鹿は、古来より様々な像になって表現されています。中でも「春日神鹿御正体」(鎌倉~南北朝時代)や、「黒塗春日神鹿舎利厨子(部分)」(南北朝時代)はその精巧な造形も魅力的です。鹿の背中にのっているのは舎利ですが、これは春日明神の本地、つまりその本来の仏が釈迦であることを示しています。展覧会では、このような「本地垂迹」に関連する品々が多数紹介されています。

全200点のうち約120点程度が国宝、もしくは重文でした。まさに貴重な品々のオンパレードです。

次の日曜日、27日までの開催です。観覧時間には余裕を持ってお出かけ下さい。(5/13)
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