「狩野派誕生」 大倉集古館

大倉集古館(港区虎ノ門2-10-3 ホテルオークラ東京本館正門前)
「狩野派誕生 - 栃木県立博物館コレクション - 」
4/1-5/27

狩野派発祥の地が関東にあったとは知りませんでした。初代正信、元信らの初期狩野派を中心に、江戸狩野の探幽までを概観します。出品は約40点ほどでした。



一般的に、狩野派の出自は北伊豆・加茂郡の豪族だとされていますが、最近では、それより分かれた上総・伊北庄(現在の千葉県いすみ市)であるという説も唱えられているそうです。そしてその上総狩野家と栃木足利の長尾家が、正信の名品「観瀑図」を通して繋がり(*1)、結果、栃木県立博物館による初期狩野派作品の蒐集の要因にもなりました。だから、ここで一見、まるで縁のないような「栃木」と「狩野派」が結びついているわけなのです。

早々に上洛した正信と関東の関係については、実際のところ殆ど分かっていませんが、自らの弟子を関東へ遣わしたことは明らかになっています。それが、狩野玉楽、官南、石樵昌安らという、あまり聞き慣れない絵師たちによる「小田原狩野派」のグループです。この展覧会では彼らの作品についても紹介されていました。



元信流花鳥図の系譜を組む、狩野派の「花鳥図屏風」(室町時代)は興味深い作品です。襖を屏風に仕立て、何やら花鳥画における「理想風景」を追求したような光景が細やかなタッチにて表現されています。画面上部の柳に群れるのは燕でしょうか。総じてタッチの硬いこの作品において、殆ど唯一、風の流れも感じる自然らしさを思わせていました。



狩野興以の「月下猿猴図」(江戸時代)も印象に残りました。禅画の「猿猴捉月」(*2)の画題に由来しているものですが、月へ向ってその長い手を伸ばす猿に同情すら感じるほど可愛らしい作品です。猿の顔自体もまるで満月のようです。ふさふさとした毛並みから、ぽっかりとその円い顔を見せています。



一風変わっているのは伝狩野山楽の「野馬図屏風」(江戸時代)でしょう。金箔の映える大きな屏風に、やや劇画的で、奇妙に荒々しい馬たちがたくさん群れています。前足を強く蹴り、また首をのばしたりして吼えるような表情を見せるのも、やはり彼らが野馬であるからなのでしょうか。金だけでなく、鮮やかな緑も眩しい作品でした。



探幽は別格です。中でも「瀟湘八景図巻」(1646)は見事の一言につきます。殆ど抽象の美すら感じさせる山水の世界が、実に冴えた筆にて鮮やかに描かれていました。散らされた墨が山の頂となり、滲んだそれが森や雲にも姿を変えていく様子はまさに圧巻です。墨が変幻自在に動き回り、この小さな画面に幻想的な景色を生み出しています。これは一推しです。

500円の小冊子が良く出来ていました。普段、あまり紹介されない初期狩野派を楽しめる、またとない展覧会なのかと思います。

明日、27日までの開催です。(5/20)

*1 上総狩野家叡昌の娘、理哲尼が長尾家に嫁ぎ、長尾家の菩提寺に「観瀑図」が所蔵されている。
*2 猿が湖面に映る月を取ろうとして溺れ死んだ話に、自らの力に余る大望を抱くことの浅はかさを説く。(ともに展覧会冊子より。)
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