「生誕100年 靉光展」 東京国立近代美術館

東京国立近代美術館千代田区北の丸公園3-1
「生誕100年 靉光展」
3/30-5/27(会期終了)



生誕100周年を迎えた靉光(本名、石村日郎。1907-1946)の回顧展です。会期最終日の駆け込みで見てきました。



靉光への苦手意識をぬぐい去るのはなかなか難しいようです。常設展示でも接する機会の多い「眼のある風景」(1938)には、いつもどこか背筋の寒くなるような恐怖感と居心地の悪さを覚え、また非常に孤独な面持ちを見る自画像も、その優れた画力には感心しながら、魅力を感じるまでには至っていませんでした。そして結論から言ってしまうと、それらの印象はこの回顧展に接しても殆ど変わらなかったと思います。私には、靉光の閉ざされた「心象風景」をこじ開けるほどの感性がないのかもしれません。見る者に媚びない、モチーフや絵具が沈殿していくような内向きの表現に、奇妙な疎外感すら覚えてしまうのです。



 

とは言え、これまで知らなかった靉光の画に触れられたのは収穫だったと思います。パレットから取り出した絵具をそのままキャンバスへと貼付けたような「海」(1943)や、靉光に独特な色とも言える『燃えたぎる朱色』の登場しない「窓辺の花」(1944)には、素直な美意識を見ることが出来ました。また、これらのような晩年の作品でなくとも、淑やかな女性が描かれた「女」(1934)や、アザミに力強い生命力を感じる「鬼あざみ」(1933)はなかなか魅入るものがあります。



タイトルからは似ても似つかないこの地獄絵図のような光景と、まるで炎のような朱がうねり沈み込む「花園」(1940)はどうなのでしょうか。唯一、画面より浮き出て舞う蝶が写実的に描かれていますが、彼は出口も見当たらないこの深淵な世界に怖れおののきながら彷徨っている靉光自身なのかもしれません。絵がもがいているという表現は適切でしょうか。見ているうちに、その「もがき」の中へ私も引き込まれてしまいそうです。

結局なところ、私は靉光を「感ずる」ことが出来なかったのだと思います。いつかは何か開けてくることに期待しながら、会場を後にする他ありませんでした。(5/27)
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