都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「ジョルジュ・ビゴー展 - 碧眼の浮世絵師が斬る明治」 東京都写真美術館
東京都写真美術館(目黒区三田1-13-3 恵比寿ガーデンプレイス内)
「ジョルジュ・ビゴー展 - 碧眼の浮世絵師が斬る明治」
7/11~8/23
幕末から明治にかけて来日したフランス人画家、ジョルジュ・ビゴー(1860-1927)の画業を明らかにします。東京都写真美術館で開催中の「ジョルジュ・ビゴー展 - 碧眼の浮世絵師が斬る明治」へ行ってきました。
やはりまずビゴーと言えば、教科書に出ていた上の図版の作品です。恥ずかしながら私自身、ビゴーのイメージはその程度しかありませんでしたが、この展覧会はそうした『素人』にも、ビゴーの魅力を伝えられるよう丁寧に組み立てられていました。若い頃に手がけた挿絵などより、来日後の日本で制作された版画の数々、そして帰国後に見出した新天地での制作と、時系列に紹介された作品を見ると、ビゴーの人生を追体験しているような気分になるかもしれません。
それでは展覧会の構成です。
1.来日前の作品(1860-1881)
初期の版画作品。水彩画、または新聞をはじめ、ベストセラーとなったゾラのナナの挿絵などを描く。
2.日本滞在中の作品(1882-1889)
明治15年にフランス汽船によって来日したビゴー。パリで知り合った日本人陸軍卿を訪ね、陸軍のお抱え絵師として制作を始める。文明開化に沸いた当時の日本人の風俗を批判的に捉えた。カリカチュア。
3.帰国後の作品(1899-1927)
日本での経験を買われ日露戦争に主題をとる作品などを制作。後に娘の病気のためにパリを離れ、民衆版画と言われたエピナール版画を描くようになった。その他、発見された銅版の原版など。
来日以前の水彩、及び版画はどれも比較的サイズが小さく、あまりインパクトのある作品は見受けられませんでしたが、おおよそ風刺版画で鳴らしたビゴーとは思わないような素朴な水彩や版画の他、冒頭部分のみの紹介ではあったものの、当時のベストセラーであったゾラの「ナナ」に描いた挿絵などは印象的なものがありました。ちなみに彼は元々、兵士の生活に関心があり、それが初期の「テントの兵舎」を描く切っ掛けになっただけではなく、後の日露戦争などの戦争主題の作品の制作にも繋がっていったそうですが、その辺の経緯もまた興味深いポイントではないでしょうか。出自に関しての詳しい解説があればなお良かったとは思いましたが、ビゴー独自の社会へと開かれた目は来日以前にも蓄積されていたのかもしれません。
日本滞在中のビゴーこそ、上記の有名な図版を挙げるまでもなく、彼の名を世に知らしめた画業の中核です。ここで徹底しているのは、文明開化の渦に呑み込まれ、西欧と日本的なものに挟まれた日本人の生活などを一方的に風刺するのではなく、アジアへと侵出していた西欧人に対しても同様な批判精神を持っていたということでした。日本人の身体的な特徴、つまりメガネや低い身長云々の面を取り出して誇張して描いた連作集は、確かに我々の立場からすれば苦々しいものがありますが、人形のような芸者が西洋人を迎える風景に、そのような目的で来日する西洋人の男を糾弾した「トバエ」シリーズの一枚などは、決してオリエンタリズム一辺倒ではないビゴーの精神を見る上でも重要な作品と言えそうです。
フランスへと帰国したビゴーは意外な方向へと自身の制作を転回させていきます。戦場での記録を活かし、例えば旅順で日本軍が戦死者の死体を埋葬するシーンなどの日露戦争主題の作品を手がけてもいましたが、先にも触れたフランスの地方の民衆版画、エピナール版画には、これまでの彼の作品はない新たな魅力を見る思いがしました。もちろんここでも人形に羽織を着せたモチーフなど、日本関連のものも散見されますが、マリアなどのキリスト教を主題にした作品も登場します。残念ながらこれらの版画は、民衆向けということもあってか、現存する物が大変に少ないそうですが、通常は書かないという署名までを加えて世に出したというエピソードは、ビゴーの作家としての心意気を強く感じました。
会場は写美の一展示室ということで、スペースとしてもそう広くはありませんが、約170点にも及ぶビゴー作品を追いかけるのは相当の時間がかかります。なおその他、写真作品が30点弱ほど出ていましたが、展示中ではあまりビゴーとの関連を詳細に触れていなかっただけに、やや少々消化不良気味に終わってしまう面もありました。
風刺版画メインということで地味なのは事実ですが、ビゴー回顧展としては国内初を銘打った展覧会です。見応えはありました。
23日まで開催されています。
「ジョルジュ・ビゴー展 - 碧眼の浮世絵師が斬る明治」
7/11~8/23
幕末から明治にかけて来日したフランス人画家、ジョルジュ・ビゴー(1860-1927)の画業を明らかにします。東京都写真美術館で開催中の「ジョルジュ・ビゴー展 - 碧眼の浮世絵師が斬る明治」へ行ってきました。
やはりまずビゴーと言えば、教科書に出ていた上の図版の作品です。恥ずかしながら私自身、ビゴーのイメージはその程度しかありませんでしたが、この展覧会はそうした『素人』にも、ビゴーの魅力を伝えられるよう丁寧に組み立てられていました。若い頃に手がけた挿絵などより、来日後の日本で制作された版画の数々、そして帰国後に見出した新天地での制作と、時系列に紹介された作品を見ると、ビゴーの人生を追体験しているような気分になるかもしれません。
それでは展覧会の構成です。
1.来日前の作品(1860-1881)
初期の版画作品。水彩画、または新聞をはじめ、ベストセラーとなったゾラのナナの挿絵などを描く。
2.日本滞在中の作品(1882-1889)
明治15年にフランス汽船によって来日したビゴー。パリで知り合った日本人陸軍卿を訪ね、陸軍のお抱え絵師として制作を始める。文明開化に沸いた当時の日本人の風俗を批判的に捉えた。カリカチュア。
3.帰国後の作品(1899-1927)
日本での経験を買われ日露戦争に主題をとる作品などを制作。後に娘の病気のためにパリを離れ、民衆版画と言われたエピナール版画を描くようになった。その他、発見された銅版の原版など。
来日以前の水彩、及び版画はどれも比較的サイズが小さく、あまりインパクトのある作品は見受けられませんでしたが、おおよそ風刺版画で鳴らしたビゴーとは思わないような素朴な水彩や版画の他、冒頭部分のみの紹介ではあったものの、当時のベストセラーであったゾラの「ナナ」に描いた挿絵などは印象的なものがありました。ちなみに彼は元々、兵士の生活に関心があり、それが初期の「テントの兵舎」を描く切っ掛けになっただけではなく、後の日露戦争などの戦争主題の作品の制作にも繋がっていったそうですが、その辺の経緯もまた興味深いポイントではないでしょうか。出自に関しての詳しい解説があればなお良かったとは思いましたが、ビゴー独自の社会へと開かれた目は来日以前にも蓄積されていたのかもしれません。
日本滞在中のビゴーこそ、上記の有名な図版を挙げるまでもなく、彼の名を世に知らしめた画業の中核です。ここで徹底しているのは、文明開化の渦に呑み込まれ、西欧と日本的なものに挟まれた日本人の生活などを一方的に風刺するのではなく、アジアへと侵出していた西欧人に対しても同様な批判精神を持っていたということでした。日本人の身体的な特徴、つまりメガネや低い身長云々の面を取り出して誇張して描いた連作集は、確かに我々の立場からすれば苦々しいものがありますが、人形のような芸者が西洋人を迎える風景に、そのような目的で来日する西洋人の男を糾弾した「トバエ」シリーズの一枚などは、決してオリエンタリズム一辺倒ではないビゴーの精神を見る上でも重要な作品と言えそうです。
フランスへと帰国したビゴーは意外な方向へと自身の制作を転回させていきます。戦場での記録を活かし、例えば旅順で日本軍が戦死者の死体を埋葬するシーンなどの日露戦争主題の作品を手がけてもいましたが、先にも触れたフランスの地方の民衆版画、エピナール版画には、これまでの彼の作品はない新たな魅力を見る思いがしました。もちろんここでも人形に羽織を着せたモチーフなど、日本関連のものも散見されますが、マリアなどのキリスト教を主題にした作品も登場します。残念ながらこれらの版画は、民衆向けということもあってか、現存する物が大変に少ないそうですが、通常は書かないという署名までを加えて世に出したというエピソードは、ビゴーの作家としての心意気を強く感じました。
会場は写美の一展示室ということで、スペースとしてもそう広くはありませんが、約170点にも及ぶビゴー作品を追いかけるのは相当の時間がかかります。なおその他、写真作品が30点弱ほど出ていましたが、展示中ではあまりビゴーとの関連を詳細に触れていなかっただけに、やや少々消化不良気味に終わってしまう面もありました。
風刺版画メインということで地味なのは事実ですが、ビゴー回顧展としては国内初を銘打った展覧会です。見応えはありました。
23日まで開催されています。
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