「4つの物語 - コレクションと日本近代美術」 川村記念美術館

川村記念美術館千葉県佐倉市坂戸631
「4つの物語 - コレクションと日本近代美術」
6/27-9/23



川村記念美術館で開催中の「4つの物語 - コレクションと日本近代美術」へ行ってきました。

本展のポイントを簡単に挙げておきます。

・川村美のコレクションで抜け落ちている日本近代美術のエッセンスを、抽象絵画を含む同館の欧米絵画より比較、検討して提示する。
・全72点の出品作のうち、約7割5分が他館よりの貸出作品。(国内の公立美術館がメイン。出品リスト。)
・レンブラントを基点とした劉生、高島、中村、松本ら自画像群の揃う前半部がハイライト。ヴォルスから日本の戦後美術を再考する最終章は私感ながらも大味。

続いて展覧会の構成です。

1:レンブラントと絵画技法の摂取/展開 - 肖像とリアリズム
2:ルノワールと日本の油絵 - 裸婦と家族の肖像
3:マレーヴィッチ、ヴァントンゲルローと同時代の抽象絵画 - 近代と精神
4:ヴォルス・ポロックと戦後美術 - 運動と物質



前述の通り各章とも、同館の欧米絵画コレクションを、主に他館の日本近代絵画と並べる内容となっていましたが、例えば第2章のルノワールの「水浴する女」と中村彝の「裸体」など、一見して比較し得る作品はまだしも、後半部、特にヴォルスから吉原、そして李などのもの派までを並べる箇所には、その違い過ぎる作風に戸惑いを覚えたのは私だけではなかったかもしれません。主題から類似性もある人物画の第1、2章と、いくらポロックと書が同じように「絵具や墨を飛び散らせた」(公式HPより引用。)とは言え、表現の志向性から異なる作品を並べた第3、4章はもはや別個の展覧会と捉えた方が良いのではないでしょうか。前後半で頭を切り替えるのは大変でした。

 

冒頭にいくつか並ぶ自画像群を見ると、かつて芸大美で開催された自画像展を思い出します。ここでは松本竣介の二点をはじめ、高島野十郎の鬼気迫る「自画像」なども見応え十分でしたが、とりわけ異彩を放っていた原撫松の「影の自画像」も深く心にとまりました。この作品はまさに自画像の影絵に他なりません。じっとこちらを見つめるレンブラントはもちろん、目に妖気の漂う野十郎には、本人の自我が絵から強く放たれていますが、逆に原の絵画は自我に匿名性を被せることで、その在り方に一定の疑問を投げかけています。他の作品にはない、むしろ影だからこそなし得たインパクトが感じられました。



同館所蔵品とのことで以前にも見ていたはずでしたが、第3章のヴァントンゲルローの「形態と色彩の機能」は自分でも意外なほど惹かれるものがありました。カラフルな線と面が白の空間にシンプルに浮かぶことで、例えばカンディンスキーよりも抑制的な、音楽に例えればバッハのチェンバロ曲のようなイメージを与えてきます。そしてそれに呼応するのが、村井正誠の抽象なのかもしれません。青や赤の四角が奇を衒わずに並ぶ姿は、ヴァントンゲルローと同じような端正なリズムを刻んでいました。



繰り返しになりますが最終章には書まで登場します。その意欲的な構成は大いに買いたいところですが、率直なところ、ポロックやヴォルス、そして李と言った好きな作家の作品が、不思議にもあの文脈、展示室で並べられると、どうも雑多に見えてしまうのが残念でなりませんでした。自分の心持ちに問題があったのかもしれませんが、いつもは風を感じ、そのリズミカルな線の揺らぎを心地良く思う李の絵画が汚いとさえ思ったのは初めてです。

絵を見るだけでは消化しにくい部分があるのも事実なので、ギャラリートーク、その他ガイドツアーなどを利用するのも良いかもしれません。スケジュールなどは公式HPをご参照下さい。

なお前回の特別企画展を飾ったロスコが、先だって新設された変形7角形をとる常設展内の「ロスコ・ルーム」へと戻っていました。どうも私はまだこの部屋に馴染めませんが、まるで地底の洞穴を思わせる暗がりの空間で、マグマを吹き出すかのようにも揺らぐロスコ絵画の熱気を浴びるのも希有な体験ではないでしょうか。

「太陽を曳く馬(上)/高村薫/新潮社」

9月23日まで開催されています。
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