「メキシコ20世紀絵画展」 世田谷美術館

世田谷美術館世田谷区砧公園1-2
「メキシコ20世紀絵画展」
7/4-8/30



フリーダ・カーロをはじめとするメキシコの近代絵画、約70点を概観します。世田谷美術館での「メキシコ20世紀絵画展」へ行ってきました。

構成は以下の通りです。

第1章「文明の受容」:近代国家成立史。歴史上の人物など、祖国のイメージを絵画に置き換える。ディエゴ・リベラ「死者の日」他。
第2章「文化の発信」:メキシコのイメージを内外に発信する。固有の文化の絵画で紹介。サトゥルニノ・エラン「収穫」など。
第3章「進歩」:メキシコ革命以降の絵画作品。海外の美術動向との関連。フリーダ・カーロ「メダリオンをつけた自画像」など。



展示は表題の通り、いわゆる近代国家を形成した20世紀のメキシコの絵画をテーマ別に見ていくものでしたが、肩の力を抜いて、メキシコの近代絵画名品展として捉えてもそう問題はないかもしれません。残念ながら惹かれたものは多くありませんでしたが、以下、いつものように印象深かった作品を挙げてみました。

フリーダ・カーロ「メダリオンをつけた自画像」(1948年/個人蔵)
冒頭に登場する本展覧会の目玉。弓形の広い展示室に一点展示と破格の扱い。婚礼の衣装を纏ったカーロ自身の姿が描かれている。太い眉に大きく見開かれた目などには作家自身の強い意志が感じられるが、頬に垂れて洩れる三粒の涙には目を奪われた。身体が不自由だった彼女の悲しみの現れなのだろうか。何やら顔が閉じ込められたような様子もその印象と重なった。

ラモン・カノ・マニリャ「ソチトル・ピサウアクに捧げるダンス」(年代不詳/メキシコ国立美術館)
背中に様々な装飾をつけ、祝宴の場面で愉しそうに踊る人々が捉えられている。燃えるような朱色に包まれた画面に南国の熱気を感じた。

アブラハム・アンヘル「士官学校の生徒」(1923年/メキシコ国立近代美術館)
軍服に身を固めた少年の横姿。引き締まった表情には緊張感が漂う。画家は19歳で亡くなったそうだが、この生徒の青春はどこへいくのだろうか。

ホセ・クレメンテ・オロスコ「死者」(1925-28年/カリーリョ・ヒル美術館)
メキシコ壁画運動の三大巨匠の一人と言われるオロスコの作品。4つの蝋燭に囲まれ、白い布に包まれた死者の姿が暗がりより浮かび上がる。異様な迫力。

サトゥルニノ・エラン「収穫」(1909年/ブライステン・コレクション)
ゴーギャンの再来と言われたエラン。収穫に勤しむ農夫の姿をダイナミックなタッチで描く。ゴーギャンよりは色遣いが単調だが、その明るさは魅力なのかもしれない。

ホセ・チャベス・モラド「ツォンパントリ(骸骨の城)」(1931年/メキシコ国立近代美術館)
町中の看板を鮮やかな色遣いでシュール描く。まるで古賀春江のようだ。

フランシスコ・ゴイティア「魔女」(1916年/フランシスコ・ゴイティア美術館)
今回一番グロテスクな作品。目は爛れ、皮膚はめくれた魔女のポートレートを正面から描く。元々、考古学を研究していた画家とのことだが、処刑された人間を素材にして制作した作品の可能性もあるらしい。直視することすらためらうほど不気味だ。



なお構成と会場内の順路がかなり錯綜しています。(例えばカーロのメダリオンは第3章の扱いですが、実際には冒頭に登場していました。)またそのせいか、出品リストと展示作品の順番が悉く乖離していました。これは嬉しくありません。



むしろ本展示に続く収蔵品展、「利根山光人とマヤ・アステカの拓本」の方を興味深くご覧になった方も多かったのではないでしょうか。メキシコに魅せられ、当地へ出かけてアステカの文字や絵を写した美術家、利根山光人の拓本が多数展示されています。色鉛筆での拓本体験も手軽で楽しめました。


*体験ブースで写したアステカ神話の太陽神「トナティウ」。戦いの神様でもあったそうです。

今月末、30日まで開催されています。(「マヤ・アステカの拓本」は9月11日まで開催。)
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