都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「牧島如鳩展 - 神と仏の場所 - 」 三鷹市美術ギャラリー
三鷹市美術ギャラリー(三鷹市下連雀3-35-1 CORAL5階)
「牧島如鳩展 - 神と仏の場所 - 」
7/25~8/23
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/6c/0baaa8343d5bf742ba5230d69ff22488.jpg)
栃木県足利市に生まれ、ハリストス正教会(*)の伝道者としてのイコン画家を出発点に、神と仏を独自の視点で描き続けた牧島如鳩(まきしま・にょきゅう 1892-1975)の画業を紹介します。三鷹市美術ギャラリーで開催中の「牧島如鳩展 - 神と仏の場所 - 」へ行ってきました。
美術館公式HPにもありましたが、ちらし表紙の作品画像に度肝を抜かれたのは私だけではないかもしれません。実際、このちらしを見るまで、牧島の名を全く知りませんでしたが、イコンを単に描き続けた職業画家の域はゆうに超え、日本の土着的な風俗を呼び込みつつ、神も仏も一に見て生み出された仏神融合的宗教画の数々には終始圧倒されました。
それでは展覧会の構成です。初めに制作の中心となる宗教画を概観した上で、時系列に牧島の画業を辿る内容となっていました。
1.「イコンと仏画」
初期より晩年のイコン、及び仏画。足利で生まれた牧島は元々、ハリストス教会の聖像画家としてスタートしたが、東方正教自体の土着性、または自身の仏教への関心にも起因して、後に仏画を多数描くようになった。
2.「足利での共同生活」
妻の結核のために伊東へ。妻の死後、弟子たちと足利で共同生活を行う。
3.「小名浜時代およびイコンと仏画の融合」
戦後、小名浜へ。(昭和27年まで滞在。)いわゆる霊験を聞いて様々な仏神融合的な宗教画を手がけていく。
4.「足利・東京放浪」
足利と東京を往復する生活。身なりも貧しく、足利では浮浪者と間違えられることもあった。
5.「願行寺に庵を結ぶ」
東京・文京区の願行寺を終の住処とした牧島。当地の禅僧と交流しながら制作を続ける。
それでは展示順に印象に残った作品を挙げます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/db/44807fe0d72379242d593b6135e8f0c9.jpg)
「ゲフシマニヤの祈り」(1934年)
天には神からの杯が降り、その下でイエスが祈りを捧げている。イエスの表情は恍惚としていながらも、その顔立ちの描写はまさに農夫のようで、非常に逞しい。土着的なものへ牧島の関心が早くも画風に表れているのかもしれない。
「十字架途上の祝福」(1957年)
群衆を導くかのようにしてゴルゴタをあがるイエス。暗がりの地面には骸骨が転がる一方、空は晴れ渡るブルーの強烈な色彩に包まれている。その対比が不気味なほどに鮮烈だ。
「聖母子像」(1950年代後半)
絹本の軸画に描かれたマリア。その様は日本画の素材感もあってエキゾチックだが、紫色の衣に包まれたマリアの姿は素直に美しかった。
「涅槃」(1967年)
血のように赤いシーツの上で眠る釈迦の姿。空には上に挙げた「十字架途上」でも見られた原色に鮮やかなブルーの晴天が広がっている。老若男女、獣までが寄り添って寄り添って群がる様子は異様な雰囲気。隣の日本画の「涅槃」と見比べるのも興味深かった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/21/866ddb2a92e71d9cbfb63928cbad7ab7.jpg)
「医術」(1929年)
結核治療のため妻が入院した伊東の病院に贈られたという一枚。中央の壇上にはイエスと菩薩を思わせる男性が並び、左下には帝王切開で子どもの生まれる手術の様子、また右下にはレントゲンを受ける妻とその様を説明する牧島本人の姿が描かれている。荒涼たる岩山、そして中身のくり抜かれた木などの背景は暗鬱で、手前中央に咲く麻酔の素材となる芥子の花は妖しく咲いていた。これぞ牧島とも言うべき特異な画風。
「空の中のイエス」(1959年頃)
全ては『空』であるという仏教の教えとイエスを重ね合わせて見た作品。漢字の『空』の冠の部分が天使に、また工の部分が寝台に見立てられ、その中をイエスが眠りこけている。こうしたイメージは一体どこから沸いてくるのだろうか。心底驚かされた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/9d/196d1b59048a03b02c5570e436a8e822.jpg)
「慈母観音像」(1948年)
乳房を露にした観音の手には、裸のイエスが抱かれている。七色に輝く光背、または観音の冠は精緻でかつ色鮮やかに描かれていた。まるでインド絵画のようでもある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/e3/804182de1c7b77cc0ec8370cc17ab24b.jpg)
「魚籃観音像」(1952年)
牧島の作品の中で一番惹かれた一枚。これほど艶やかでかつ威厳に満ちた魚籃観音を描いた作家が他にいるのだろうか。空には星も瞬き、また天使たちを従え、波間から大きく沸き立つ水の羽衣をまといながら、眼下には街ものぞむ空にて堂々と君臨している。左からはマリアが近づいているのもまた牧島ならではの表現だろう。ちなみに本作は今も所蔵の小名浜の漁協の一室に飾られているらしい。思わず足がすくむほどに圧倒された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/ca/17d2555012560bef33bedb990a1b4aa5.jpg)
「沐浴図」(1950年代前半)
特異な牧島の画風の中でも際立つ作品。一糸纏わぬ女性たちが海を望む浴場にて思い思いに寛いでいる。海に浮かぶ島、そして前景の浴場など、その光景はまるでダリかデルヴォーでも思わせるようにシュール。おおよそこの世の景色とは思えないような空間が広がっている。
如何でしょうか。ともかく一点一点、何かしらの感銘を受け、または驚かされるような作品ばかりでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/3a/129f9d22b8353293209f8555205116e8.jpg)
同ギャラリーでは2006年の高島野十郎以来のヒット企画ではないでしょうか。アクの強い画家なので好き嫌いは分かれますが、言葉は悪いながらも騙されたと思って行ってみて下さい。日本の近代絵画史にこのような希有な作家がいたのかと感心すること間違いありません。
23日までの開催です。なお同ギャラリーは休館日の月曜を除き、連日夜8時(入館は7時半まで)まで開館しています。もちろんおすすめします。
*日本ハリストス正教会は、キリスト教の教会。自治独立が認められている正教会所属教会のひとつ。ハリストスは「キリスト」の意。府主教座は神田のニコライ堂。明治時代に、ロシア正教会の修道司祭聖ニコライによって正教の教えがもたらされ、これがその後の日本ハリストス正教会の設立につながった。(Wikiより引用。)
「牧島如鳩展 - 神と仏の場所 - 」
7/25~8/23
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/6c/0baaa8343d5bf742ba5230d69ff22488.jpg)
栃木県足利市に生まれ、ハリストス正教会(*)の伝道者としてのイコン画家を出発点に、神と仏を独自の視点で描き続けた牧島如鳩(まきしま・にょきゅう 1892-1975)の画業を紹介します。三鷹市美術ギャラリーで開催中の「牧島如鳩展 - 神と仏の場所 - 」へ行ってきました。
美術館公式HPにもありましたが、ちらし表紙の作品画像に度肝を抜かれたのは私だけではないかもしれません。実際、このちらしを見るまで、牧島の名を全く知りませんでしたが、イコンを単に描き続けた職業画家の域はゆうに超え、日本の土着的な風俗を呼び込みつつ、神も仏も一に見て生み出された仏神融合的宗教画の数々には終始圧倒されました。
それでは展覧会の構成です。初めに制作の中心となる宗教画を概観した上で、時系列に牧島の画業を辿る内容となっていました。
1.「イコンと仏画」
初期より晩年のイコン、及び仏画。足利で生まれた牧島は元々、ハリストス教会の聖像画家としてスタートしたが、東方正教自体の土着性、または自身の仏教への関心にも起因して、後に仏画を多数描くようになった。
2.「足利での共同生活」
妻の結核のために伊東へ。妻の死後、弟子たちと足利で共同生活を行う。
3.「小名浜時代およびイコンと仏画の融合」
戦後、小名浜へ。(昭和27年まで滞在。)いわゆる霊験を聞いて様々な仏神融合的な宗教画を手がけていく。
4.「足利・東京放浪」
足利と東京を往復する生活。身なりも貧しく、足利では浮浪者と間違えられることもあった。
5.「願行寺に庵を結ぶ」
東京・文京区の願行寺を終の住処とした牧島。当地の禅僧と交流しながら制作を続ける。
それでは展示順に印象に残った作品を挙げます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/db/44807fe0d72379242d593b6135e8f0c9.jpg)
「ゲフシマニヤの祈り」(1934年)
天には神からの杯が降り、その下でイエスが祈りを捧げている。イエスの表情は恍惚としていながらも、その顔立ちの描写はまさに農夫のようで、非常に逞しい。土着的なものへ牧島の関心が早くも画風に表れているのかもしれない。
「十字架途上の祝福」(1957年)
群衆を導くかのようにしてゴルゴタをあがるイエス。暗がりの地面には骸骨が転がる一方、空は晴れ渡るブルーの強烈な色彩に包まれている。その対比が不気味なほどに鮮烈だ。
「聖母子像」(1950年代後半)
絹本の軸画に描かれたマリア。その様は日本画の素材感もあってエキゾチックだが、紫色の衣に包まれたマリアの姿は素直に美しかった。
「涅槃」(1967年)
血のように赤いシーツの上で眠る釈迦の姿。空には上に挙げた「十字架途上」でも見られた原色に鮮やかなブルーの晴天が広がっている。老若男女、獣までが寄り添って寄り添って群がる様子は異様な雰囲気。隣の日本画の「涅槃」と見比べるのも興味深かった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/21/866ddb2a92e71d9cbfb63928cbad7ab7.jpg)
「医術」(1929年)
結核治療のため妻が入院した伊東の病院に贈られたという一枚。中央の壇上にはイエスと菩薩を思わせる男性が並び、左下には帝王切開で子どもの生まれる手術の様子、また右下にはレントゲンを受ける妻とその様を説明する牧島本人の姿が描かれている。荒涼たる岩山、そして中身のくり抜かれた木などの背景は暗鬱で、手前中央に咲く麻酔の素材となる芥子の花は妖しく咲いていた。これぞ牧島とも言うべき特異な画風。
「空の中のイエス」(1959年頃)
全ては『空』であるという仏教の教えとイエスを重ね合わせて見た作品。漢字の『空』の冠の部分が天使に、また工の部分が寝台に見立てられ、その中をイエスが眠りこけている。こうしたイメージは一体どこから沸いてくるのだろうか。心底驚かされた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/9d/196d1b59048a03b02c5570e436a8e822.jpg)
「慈母観音像」(1948年)
乳房を露にした観音の手には、裸のイエスが抱かれている。七色に輝く光背、または観音の冠は精緻でかつ色鮮やかに描かれていた。まるでインド絵画のようでもある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/e3/804182de1c7b77cc0ec8370cc17ab24b.jpg)
「魚籃観音像」(1952年)
牧島の作品の中で一番惹かれた一枚。これほど艶やかでかつ威厳に満ちた魚籃観音を描いた作家が他にいるのだろうか。空には星も瞬き、また天使たちを従え、波間から大きく沸き立つ水の羽衣をまといながら、眼下には街ものぞむ空にて堂々と君臨している。左からはマリアが近づいているのもまた牧島ならではの表現だろう。ちなみに本作は今も所蔵の小名浜の漁協の一室に飾られているらしい。思わず足がすくむほどに圧倒された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/ca/17d2555012560bef33bedb990a1b4aa5.jpg)
「沐浴図」(1950年代前半)
特異な牧島の画風の中でも際立つ作品。一糸纏わぬ女性たちが海を望む浴場にて思い思いに寛いでいる。海に浮かぶ島、そして前景の浴場など、その光景はまるでダリかデルヴォーでも思わせるようにシュール。おおよそこの世の景色とは思えないような空間が広がっている。
如何でしょうか。ともかく一点一点、何かしらの感銘を受け、または驚かされるような作品ばかりでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/3a/129f9d22b8353293209f8555205116e8.jpg)
同ギャラリーでは2006年の高島野十郎以来のヒット企画ではないでしょうか。アクの強い画家なので好き嫌いは分かれますが、言葉は悪いながらも騙されたと思って行ってみて下さい。日本の近代絵画史にこのような希有な作家がいたのかと感心すること間違いありません。
23日までの開催です。なお同ギャラリーは休館日の月曜を除き、連日夜8時(入館は7時半まで)まで開館しています。もちろんおすすめします。
*日本ハリストス正教会は、キリスト教の教会。自治独立が認められている正教会所属教会のひとつ。ハリストスは「キリスト」の意。府主教座は神田のニコライ堂。明治時代に、ロシア正教会の修道司祭聖ニコライによって正教の教えがもたらされ、これがその後の日本ハリストス正教会の設立につながった。(Wikiより引用。)
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