都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「昭和の春信・小村雪岱を応援する(山下裕二)」 埼玉県立近代美術館
埼玉県立近代美術館(さいたま市浦和区常盤9-30-1)
講演会:「昭和の春信・小村雪岱を応援する」
日時:2010/1/31 15:00~
出演:山下裕二(明治学院大学教授)
埼玉県立近代美術館で行われた山下裕二氏による講演会、「昭和の春信・小村雪岱を応援する」を聞いてきました。
山下裕二氏講演「昭和の春信・小村雪岱を応援する」@弐代目・青い日記帳
既にご一緒したTakさんのブログにも充実したレポートが掲載されていますが、ここでは配布されたレジュメと私のメモ書きから、講演の様子を簡単にまとめてみたいと思います。
【雪岱ブーム到来?】~粋でモダンな雪岱~
〔チラシで読み解く雪岱のモダンさ〕
・埼玉県立近代美術館のチラシ:英語で「Settai」のロゴ=「せったい」とまだ読める人は少ないから。かつての「若冲」と同じである。(雪岱が若冲になれるように『応援』するのもこの講演の主旨の一つ。)
→サブタイトルは「粋でモダンで繊細で」=雪岱の本質を示す的確な言葉。古き良き江戸・東京のカッコいい感覚を受け止める表現。
・資生堂アートハウス(掛川。雪岱展を開催した。)のチラシ:洗練された漢字のロゴ。埼玉展同様、洒落た印象を与える。
↓
現代人にも共感を得ることが出来るモダンな魅力。
〔雪岱と同時代の絵師~挿絵画家への熱い眼差し〕
・最近の雪岱に同時代の作家の展覧会
「清方展@サントリー美術館」:清方と雪岱は、ともにこの時代の文化人の磁場のような大きな存在である泉鏡花に関係する。鏡花全集刊行の際、その装丁をともに譲り合ったというエピソードもあった。
「鰭崎英朋@弥生美術館」:同じく泉鏡花本の装丁などを手がけた。
「夢二@日本橋三越」、「杉浦非水@宇都宮美術館」など。
↓
現在、かつての美術史の文脈から軽視されてきた「挿絵」というジャンルに注目が集まっている可能性も。
【雪岱との出会い】~これまでに出会った雪岱作品からそのエッセンスを読み解く~
〔全ての原点は一冊の図録から〕
・リッカー美術館で開催(昭和62年)された「小村雪岱」展の図録=これで初めて雪岱の魅力を知る。
展覧会は残念ながら見ていないが、美術史学科の助手だった29歳の時、古書店で入手した。
それ以前、例えば大学の講義などで雪岱の名前を聞いたことはなかった。
表紙は「おせん」(昭和16年頃)だった。
〔雪岱と春信〕
「春雨」(昭和10年頃)をすぐさま見て思い出したのが春信
→春信「雪中相合傘」に似ている。=雪岱はきっと春信を消化したのだと感じた。
〔雪岱と国貞〕
「赤とんぼ」(昭和12年頃)=国貞風の『エグ味』
眉の感覚が狭く、多少受け口気味の人物表現。またもみあげ、鬢(びん)に独特のフェティシズムを見出すことが出来る。
〔斜線の効果〕
「灯影」(昭和15年)の描写。エグ味の中和された温和な表現。
顔は国貞だが、中間色を用いた色味は春信風。そして注目すべきは斜線の効用。単純化された斜線が美しい。=「縁先美人」でも障子の斜線が印象に深かった。
〔傑作「青柳」〕
青畳の上に三味線と筒。意味ありげなシチュエーション。稽古の前なのか後なのか。=一つのストーリーを切り取った『断面』を巧みに見せる手法。
畳と柱の曲線と柳の曲線のバランス。また瓦も単純な色面の中に細かなニュアンスがある。=福田平八郎の「雨」にも似ている。
→福田平八郎はひょっとして雪岱を見たのではないだろうか。
〔複製と原画〕
私と雪岱は図録の初体験同様、殆どが作品の複製によっている。しかしそもそも、雪岱はその複製制作を生業としていた。原画に恭しく敬意の払われる場所ではない、20世紀の「複製技術時代の芸術」の象徴的事例ではないだろうか。
【その後の雪岱体験】~雪岱関連書籍など~
・「小村雪岱」星川清司著 平凡社 1996年(絶版):清方と泉鏡花全集についても言及。雪岱と鏡花との出会いなどの記述があった。
・埼玉県立近代美術館「小村雪岱・須田剋太展」図録 1998年:謎めいた取り合わせの二人展の展覧会図録。
・平凡社ライブラリー「日本橋檜物町」 2006年:雪岱の追悼画集。古書で購入した。
・小村雪岱夫妻肖像写真:資生堂アートハウスで初見。展示図録に掲載されていた。しゃがむ雪岱と素朴な印象を与える妻が立つ構図。ちなみに妻は雪岱の死後、数年で亡くなっている。
→雪岱は1940年に亡くなった。戦前のそうした時期に生涯を終えたということもまた、雪岱を言わば忘れられた作家にさせてしまった理由の一つかもしれない。一方の清方は戦後も生き続けて名を馳せた。
【そしてこの展覧会】~出品作解説~
・「川庄」(昭和10年頃)
布を斜めにあわせた美しい表具。(=斜めに走る格子と同様に斜線の効用が見られる。)
「心中天網島」の愛想づかし(男女の別れ)の場面。 雪岱風の女性と『シュッ』と立つ男性の取り合わせ。=洗練された印象。
・「見立寒山拾得」(制作年不詳)
春信の「見立寒山拾得図」(墨流し)を消化した一枚。=春信は見立画の名人。
春信が見立を絵画モチーフで詳細に説明するのに対し、雪岱はそこまで説明しない。=春信のセンスを『濾過』
・「美人立姿」(昭和9年頃)
S字型の春信風人物表現と国貞風の顔。
右下のカヤツリグサと桔梗のセンス=由来は琳派、しかも宗達の金銀泥下絵ではないか。
雪岱は東京美術学校卒業後、国華社に入社し、木版制作に従事した。そこで宗達の下絵を学んだ可能性がある。
・「菊」(初期作)
十二単の女性。全く雪岱らしくない。まさにやまと絵風。
雪岱は美術学校時代、古典的な作風で知られる松岡映丘に師事した経歴がある。そこでやまと絵の素養を養ったに違いない。
絵巻物では構造物を斜線で示すことが多い。雪岱の俯瞰する視点も、松岡映丘のやまと絵を通した絵巻物の吹き抜け屋台の構図から摂取したのではないだろうか。
・「青柳」・「落葉」・「雪の朝」
おそらくは四季山水図を意識した4連作シリーズ。うち3作が現在揃っている。=「引き蘢もり四季山水図」
何れも人がいない。そこに雪岱の洗練された心象風景が広がる。
「夏の景」だけが不足。それを想像するのも楽しいが、そのヒントに泉鏡花の最初の挿絵集「日本橋」をもってくることが出来ないだろうか。構図、モチーフに似た要素が多い。
・「春昼」(明治42年)
東京美術学校の卒業制作作品。意外な厚塗りで、雪岱らしいキレの良い線描は見られない。
雪岱の画風はあくまでも時間を経過した試行錯誤の末に確立したことがわかる。
【雪岱の現代性】~古今のさかいをまぎらかす~
雪岱はやまと絵を摂取しただけでなく、例えば仏教美術に対する思い入れも深かった。(阿修羅への記述なども確認出来る。)
圴質でかつニュアンスのある線は仏画を見たからではないだろうか。(一方での清方の線には抑揚がある。)
↓
かつての日本の美術の蓄積(春信、仏画、やまと絵、琳派など。)を受け止め、それを当時の現代的なファッションの感覚を取り入れてアレンジしていったのが雪岱。
=「和漢のさかいをまぎらかす」とは室町の茶の湯の世界で語られた言葉だが、雪岱はまさに日本美術の「古今のさかいをまぎらかし」たに違いない。
タイトルに「応援する」とあるように、雪岱の生涯なり業績を追い過ぎることなく、随所に山下さんらしい鋭いジョークも交えた楽しい講演でした。立ち見席も出る盛況でしたが、90分、あっという間に終わってしまったような気がします。
講演の前後に雪岱展を拝見しました。感想は別途記事にします。
展覧会は2月14日までの開催です。
講演会:「昭和の春信・小村雪岱を応援する」
日時:2010/1/31 15:00~
出演:山下裕二(明治学院大学教授)
埼玉県立近代美術館で行われた山下裕二氏による講演会、「昭和の春信・小村雪岱を応援する」を聞いてきました。
山下裕二氏講演「昭和の春信・小村雪岱を応援する」@弐代目・青い日記帳
既にご一緒したTakさんのブログにも充実したレポートが掲載されていますが、ここでは配布されたレジュメと私のメモ書きから、講演の様子を簡単にまとめてみたいと思います。
【雪岱ブーム到来?】~粋でモダンな雪岱~
〔チラシで読み解く雪岱のモダンさ〕
・埼玉県立近代美術館のチラシ:英語で「Settai」のロゴ=「せったい」とまだ読める人は少ないから。かつての「若冲」と同じである。(雪岱が若冲になれるように『応援』するのもこの講演の主旨の一つ。)
→サブタイトルは「粋でモダンで繊細で」=雪岱の本質を示す的確な言葉。古き良き江戸・東京のカッコいい感覚を受け止める表現。
・資生堂アートハウス(掛川。雪岱展を開催した。)のチラシ:洗練された漢字のロゴ。埼玉展同様、洒落た印象を与える。
↓
現代人にも共感を得ることが出来るモダンな魅力。
〔雪岱と同時代の絵師~挿絵画家への熱い眼差し〕
・最近の雪岱に同時代の作家の展覧会
「清方展@サントリー美術館」:清方と雪岱は、ともにこの時代の文化人の磁場のような大きな存在である泉鏡花に関係する。鏡花全集刊行の際、その装丁をともに譲り合ったというエピソードもあった。
「鰭崎英朋@弥生美術館」:同じく泉鏡花本の装丁などを手がけた。
「夢二@日本橋三越」、「杉浦非水@宇都宮美術館」など。
↓
現在、かつての美術史の文脈から軽視されてきた「挿絵」というジャンルに注目が集まっている可能性も。
【雪岱との出会い】~これまでに出会った雪岱作品からそのエッセンスを読み解く~
〔全ての原点は一冊の図録から〕
・リッカー美術館で開催(昭和62年)された「小村雪岱」展の図録=これで初めて雪岱の魅力を知る。
展覧会は残念ながら見ていないが、美術史学科の助手だった29歳の時、古書店で入手した。
それ以前、例えば大学の講義などで雪岱の名前を聞いたことはなかった。
表紙は「おせん」(昭和16年頃)だった。
〔雪岱と春信〕
「春雨」(昭和10年頃)をすぐさま見て思い出したのが春信
→春信「雪中相合傘」に似ている。=雪岱はきっと春信を消化したのだと感じた。
〔雪岱と国貞〕
「赤とんぼ」(昭和12年頃)=国貞風の『エグ味』
眉の感覚が狭く、多少受け口気味の人物表現。またもみあげ、鬢(びん)に独特のフェティシズムを見出すことが出来る。
〔斜線の効果〕
「灯影」(昭和15年)の描写。エグ味の中和された温和な表現。
顔は国貞だが、中間色を用いた色味は春信風。そして注目すべきは斜線の効用。単純化された斜線が美しい。=「縁先美人」でも障子の斜線が印象に深かった。
〔傑作「青柳」〕
青畳の上に三味線と筒。意味ありげなシチュエーション。稽古の前なのか後なのか。=一つのストーリーを切り取った『断面』を巧みに見せる手法。
畳と柱の曲線と柳の曲線のバランス。また瓦も単純な色面の中に細かなニュアンスがある。=福田平八郎の「雨」にも似ている。
→福田平八郎はひょっとして雪岱を見たのではないだろうか。
〔複製と原画〕
私と雪岱は図録の初体験同様、殆どが作品の複製によっている。しかしそもそも、雪岱はその複製制作を生業としていた。原画に恭しく敬意の払われる場所ではない、20世紀の「複製技術時代の芸術」の象徴的事例ではないだろうか。
【その後の雪岱体験】~雪岱関連書籍など~
・「小村雪岱」星川清司著 平凡社 1996年(絶版):清方と泉鏡花全集についても言及。雪岱と鏡花との出会いなどの記述があった。
・埼玉県立近代美術館「小村雪岱・須田剋太展」図録 1998年:謎めいた取り合わせの二人展の展覧会図録。
・平凡社ライブラリー「日本橋檜物町」 2006年:雪岱の追悼画集。古書で購入した。
・小村雪岱夫妻肖像写真:資生堂アートハウスで初見。展示図録に掲載されていた。しゃがむ雪岱と素朴な印象を与える妻が立つ構図。ちなみに妻は雪岱の死後、数年で亡くなっている。
→雪岱は1940年に亡くなった。戦前のそうした時期に生涯を終えたということもまた、雪岱を言わば忘れられた作家にさせてしまった理由の一つかもしれない。一方の清方は戦後も生き続けて名を馳せた。
【そしてこの展覧会】~出品作解説~
・「川庄」(昭和10年頃)
布を斜めにあわせた美しい表具。(=斜めに走る格子と同様に斜線の効用が見られる。)
「心中天網島」の愛想づかし(男女の別れ)の場面。 雪岱風の女性と『シュッ』と立つ男性の取り合わせ。=洗練された印象。
・「見立寒山拾得」(制作年不詳)
春信の「見立寒山拾得図」(墨流し)を消化した一枚。=春信は見立画の名人。
春信が見立を絵画モチーフで詳細に説明するのに対し、雪岱はそこまで説明しない。=春信のセンスを『濾過』
・「美人立姿」(昭和9年頃)
S字型の春信風人物表現と国貞風の顔。
右下のカヤツリグサと桔梗のセンス=由来は琳派、しかも宗達の金銀泥下絵ではないか。
雪岱は東京美術学校卒業後、国華社に入社し、木版制作に従事した。そこで宗達の下絵を学んだ可能性がある。
・「菊」(初期作)
十二単の女性。全く雪岱らしくない。まさにやまと絵風。
雪岱は美術学校時代、古典的な作風で知られる松岡映丘に師事した経歴がある。そこでやまと絵の素養を養ったに違いない。
絵巻物では構造物を斜線で示すことが多い。雪岱の俯瞰する視点も、松岡映丘のやまと絵を通した絵巻物の吹き抜け屋台の構図から摂取したのではないだろうか。
・「青柳」・「落葉」・「雪の朝」
おそらくは四季山水図を意識した4連作シリーズ。うち3作が現在揃っている。=「引き蘢もり四季山水図」
何れも人がいない。そこに雪岱の洗練された心象風景が広がる。
「夏の景」だけが不足。それを想像するのも楽しいが、そのヒントに泉鏡花の最初の挿絵集「日本橋」をもってくることが出来ないだろうか。構図、モチーフに似た要素が多い。
・「春昼」(明治42年)
東京美術学校の卒業制作作品。意外な厚塗りで、雪岱らしいキレの良い線描は見られない。
雪岱の画風はあくまでも時間を経過した試行錯誤の末に確立したことがわかる。
【雪岱の現代性】~古今のさかいをまぎらかす~
雪岱はやまと絵を摂取しただけでなく、例えば仏教美術に対する思い入れも深かった。(阿修羅への記述なども確認出来る。)
圴質でかつニュアンスのある線は仏画を見たからではないだろうか。(一方での清方の線には抑揚がある。)
↓
かつての日本の美術の蓄積(春信、仏画、やまと絵、琳派など。)を受け止め、それを当時の現代的なファッションの感覚を取り入れてアレンジしていったのが雪岱。
=「和漢のさかいをまぎらかす」とは室町の茶の湯の世界で語られた言葉だが、雪岱はまさに日本美術の「古今のさかいをまぎらかし」たに違いない。
タイトルに「応援する」とあるように、雪岱の生涯なり業績を追い過ぎることなく、随所に山下さんらしい鋭いジョークも交えた楽しい講演でした。立ち見席も出る盛況でしたが、90分、あっという間に終わってしまったような気がします。
講演の前後に雪岱展を拝見しました。感想は別途記事にします。
展覧会は2月14日までの開催です。
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