都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「アートとともに 寺田小太郎コレクション」 府中市美術館 6/10
府中市美術館(東京都府中市浅間町1-3)
「アートとともに 寺田小太郎コレクション」
4/29-7/17
府中市美術館で開催中の、日本有数のコレクターである寺田小太郎氏のコレクション展です。ちなみに寺田氏とは、東京オペラシティの建設に伴い私有地を提供した人物で、収集活動もそれを機に始まったのだそうです。難波田親子、相笠昌義、郭仁植、李禹煥など、オペラシティのアートギャラリーでもお馴染みの作家が多数並んでいます。展示作品は、4000点にも及ぶ氏のコレクションから選ばれた約140点。(オペラシティ所有の10点を含む。)それを、「東洋的抽象」や「白と黒」などの4つのセクションにて紹介していきます。とても見応えのある展覧会でした。
一番目の「東洋的抽象」では、まず難波田龍起、史男親子の作品(計10点)が目を引きます。油彩が深淵を見せる龍起と、不安定な線と柔らかな水彩に儚さが感じられる史男の水彩。陽が海に溶けているような史男の「太陽」(1970)などが特に印象に残りました。また寺田氏の難波田親子コレクションは国内随一です。そして氏自身も、龍起の抽象画に出会ってからコレクションへの火がついたと述べています。以前、オペラシティで開催された龍起、史男の展覧会を思わせる空間が形成されていました。
もちろん、このセクションでは李禹煥を外すことが出来ません。彼の作品は計4点。お馴染みの「線より」(1976)と「点より」(1978)に、「風と共に」(1988)のシリーズが2点加わっています。ここでは、小さい方の「風と共に」が魅力的です。ペタペタとライマンの絵画のように塗られたグレーの顔料。所々に見える黒い絵具が画面に良いアクセントをもたらしている。李の作品は、どれも音楽を思わせるようなリズムが感じられますが、この絵もまるでカラカラと静かに音を立てているようでした。それにタッチがザワザワとうごめいて、絵具同士がぶつかり合う。動きのある作品です。(画像はもう一点の「風と共に」です。)
「黒と白」のコーナーでは、山口啓介の「RNA World 5つの空 5つの海」(1990-97)が圧倒的でした。幅4メートル近くもある巨大な屏風絵巻。広がる大地に伸びる地平線。奇怪な形をした乗り物のような物体があちらこちらに描かれている。これはまるで戦車です。そして所々から立ち上がる煙は戦乱の証でしょうか。SF的な戦争の光景。ズンズンと地響きを立てて更新する軍隊。それがこちらへ迫っている。もの凄い迫力を見せつけています。
「戦後日本のすがた・かたち」では、以前、オペラシティの展覧会でも印象深かった相笠昌義の作品が目立っていました。多くの人が描かれた都市の光景。しかしそれらの人々は一つずつ完全に切り離されて孤立している。寂しく悲哀に満ちたサラリーマン。独特の色調にまとめられた相笠の絵画は、どれも非常に刹那的です。ただ、「ユズを持つ女」(1983)のような女性を描いた作品は少し毛色が異なります。寂し気にポーズをとりながらも、どこか内なる強い意思を発露しているようにも見える。この静けさの中にある魂は強固です。力強さすら感じられました。
寺田氏のコレクター活動は今も続いています。最後の「寺田小太郎の部屋」と題された展示室には、呉亜沙の「Every knows me」(2005)や山本麻友香の「Blue Pond」(2004、画像上。)などが並んでいました。そして伊庭靖子の「untitled」(2001、画像下。)が光り輝いている。色彩の波に包まれてしまいそうです。それらが棟方志功の木版画などと同じ空間で展示されている。まさに寺田氏の感性が色濃く反映された場所とも言えるでしょう。
オペラシティの所蔵品展と相性の良い方には、是非おすすめしたい展覧会です。私も期待以上に満足出来ました。来月17日までの開催です。
「アートとともに 寺田小太郎コレクション」
4/29-7/17
府中市美術館で開催中の、日本有数のコレクターである寺田小太郎氏のコレクション展です。ちなみに寺田氏とは、東京オペラシティの建設に伴い私有地を提供した人物で、収集活動もそれを機に始まったのだそうです。難波田親子、相笠昌義、郭仁植、李禹煥など、オペラシティのアートギャラリーでもお馴染みの作家が多数並んでいます。展示作品は、4000点にも及ぶ氏のコレクションから選ばれた約140点。(オペラシティ所有の10点を含む。)それを、「東洋的抽象」や「白と黒」などの4つのセクションにて紹介していきます。とても見応えのある展覧会でした。
一番目の「東洋的抽象」では、まず難波田龍起、史男親子の作品(計10点)が目を引きます。油彩が深淵を見せる龍起と、不安定な線と柔らかな水彩に儚さが感じられる史男の水彩。陽が海に溶けているような史男の「太陽」(1970)などが特に印象に残りました。また寺田氏の難波田親子コレクションは国内随一です。そして氏自身も、龍起の抽象画に出会ってからコレクションへの火がついたと述べています。以前、オペラシティで開催された龍起、史男の展覧会を思わせる空間が形成されていました。
もちろん、このセクションでは李禹煥を外すことが出来ません。彼の作品は計4点。お馴染みの「線より」(1976)と「点より」(1978)に、「風と共に」(1988)のシリーズが2点加わっています。ここでは、小さい方の「風と共に」が魅力的です。ペタペタとライマンの絵画のように塗られたグレーの顔料。所々に見える黒い絵具が画面に良いアクセントをもたらしている。李の作品は、どれも音楽を思わせるようなリズムが感じられますが、この絵もまるでカラカラと静かに音を立てているようでした。それにタッチがザワザワとうごめいて、絵具同士がぶつかり合う。動きのある作品です。(画像はもう一点の「風と共に」です。)
「黒と白」のコーナーでは、山口啓介の「RNA World 5つの空 5つの海」(1990-97)が圧倒的でした。幅4メートル近くもある巨大な屏風絵巻。広がる大地に伸びる地平線。奇怪な形をした乗り物のような物体があちらこちらに描かれている。これはまるで戦車です。そして所々から立ち上がる煙は戦乱の証でしょうか。SF的な戦争の光景。ズンズンと地響きを立てて更新する軍隊。それがこちらへ迫っている。もの凄い迫力を見せつけています。
「戦後日本のすがた・かたち」では、以前、オペラシティの展覧会でも印象深かった相笠昌義の作品が目立っていました。多くの人が描かれた都市の光景。しかしそれらの人々は一つずつ完全に切り離されて孤立している。寂しく悲哀に満ちたサラリーマン。独特の色調にまとめられた相笠の絵画は、どれも非常に刹那的です。ただ、「ユズを持つ女」(1983)のような女性を描いた作品は少し毛色が異なります。寂し気にポーズをとりながらも、どこか内なる強い意思を発露しているようにも見える。この静けさの中にある魂は強固です。力強さすら感じられました。
寺田氏のコレクター活動は今も続いています。最後の「寺田小太郎の部屋」と題された展示室には、呉亜沙の「Every knows me」(2005)や山本麻友香の「Blue Pond」(2004、画像上。)などが並んでいました。そして伊庭靖子の「untitled」(2001、画像下。)が光り輝いている。色彩の波に包まれてしまいそうです。それらが棟方志功の木版画などと同じ空間で展示されている。まさに寺田氏の感性が色濃く反映された場所とも言えるでしょう。
オペラシティの所蔵品展と相性の良い方には、是非おすすめしたい展覧会です。私も期待以上に満足出来ました。来月17日までの開催です。
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NHK交響楽団 「フランク:交響曲」他 6/15
NHK交響楽団 第1573回公演Bプログラム2日目
バッハ 管弦楽組曲第3番第2曲「エア」
武満徹 セレモニアル - An Autumn Ode(1992)
モーツァルト ピアノ協奏曲第25番
フランク 交響曲
指揮 準・メルクル
笙 宮田まゆみ
ピアノ スティーヴン・コワセヴィチ
2006/6/15 19:00 サントリーホール2階
N響のB定期を聴くのは2年ぶりくらいでしょうか。指揮は、このところN響との共演を重ねている準・メルクルです。また、ピアノは当初ヘブラーが予定されていましたが、体調不良により来日不可とのことでコワセヴィチに変更となっていました。
一曲目の「エア」は、言うまでもなく先日亡くなられた岩城宏之さんへの追悼の念をこめて演奏されたものです。最近、あまりN響を指揮されていなかったようですが、今年9月には創立80周年コンサートの指揮も予定されていました。指揮台横に立ったメルクルの挙手での指揮の元、ゆったりしたテンポで、かの静謐な調べがホール全体に響き渡ります。清純なヴァイオリンの響きよりも、コントラバスの力強いピチカートが印象的でした。リズムがあたかも心臓の鼓動のように聞こえてくる。もちろん拍手はありません。あくまでも岩城さんへの祈りの音楽です。
宮田まゆみの笙が「セレモニアル」で登場します。まず笙のソロがホールに大きく鳴り響く。凝縮されたその神秘的な響きは、この場を一気に神聖な、儀式の場へと変化させます。霊の魂を呼ぶかのようにて大きく呼吸する笙の響き。これに誘われて来たのはもちろん管弦楽でした。弦と木管が一音一音、積み重なるようにして響いていく。メルクルの巧みな指揮により、N響の合奏が一つになっています。そして最後はまた笙がソロで鳴っていく。ここで笙は、自身が呼び起こした音の波を静めるかのようにして消えていきます。この日のプログラムの中で一番出来の良い演奏でした。
コワセヴッチを迎えてのモーツァルトのコンチェルトは、一言で示せば非常にマッチョな演奏です。メルクルのキビキビとした指揮がオケをドライブし、かなり剛胆に鳴るコワセヴィチのピアノが追っかける。彼のピアノについてはあまり感銘するところがありませんが、総じて無難に務めを果たしていました。また、やや叩くようなそのピアニズムは、アンダンテよりもアレグレット楽章の方に合っています。一音の美しさよりも、勢いで弾き切る。インテンポのメルクルとの競争です。一方のN響のサポートですが、これはあまり良くありません。メルクルはもっとキレの良い、引き締まった、それでいてリズミカルなモーツァルトを要求していたと思います。ただ残念ながらそれが表現出来ていない。総じて音を引っ張り過ぎました。鈍重です。メルクルの覇気も空回りしていたと思います。
メインはフランクの交響曲でしたが、ハッキリ申し上げてかなり苦手な曲です。演奏についても何とも書きようがありません。サントリーで聴くN響は、やはり響きのまとまり、そして個々の奏者のレベルの高さを感じます。それはもちろんこのフランクでも同様です。ティンパニもしっかりと鳴り、トランペットもぶれない。もちろんヴァイオリンも器用に立ち回る。それにフィナーレも盛り上がります。フォルテッシモでの美感はさすがです。濁りません。しかし残念ながら、そこから何かを感じとれるまでには達しませんでした。どうも良く分かりません。
メルクルはとても力のある指揮者かと思います。これまでにもN響で何度か聴いてきました。ただいつも、不思議と感銘するまでには至らない。もしかしたらあまり相性が良くないのかもしれません。(もちろん、別のオーケストラで聴けば印象が変化するかもしれませんが。)全体的に今ひとつ煮え切らないコンサートでした。
バッハ 管弦楽組曲第3番第2曲「エア」
武満徹 セレモニアル - An Autumn Ode(1992)
モーツァルト ピアノ協奏曲第25番
フランク 交響曲
指揮 準・メルクル
笙 宮田まゆみ
ピアノ スティーヴン・コワセヴィチ
2006/6/15 19:00 サントリーホール2階
N響のB定期を聴くのは2年ぶりくらいでしょうか。指揮は、このところN響との共演を重ねている準・メルクルです。また、ピアノは当初ヘブラーが予定されていましたが、体調不良により来日不可とのことでコワセヴィチに変更となっていました。
一曲目の「エア」は、言うまでもなく先日亡くなられた岩城宏之さんへの追悼の念をこめて演奏されたものです。最近、あまりN響を指揮されていなかったようですが、今年9月には創立80周年コンサートの指揮も予定されていました。指揮台横に立ったメルクルの挙手での指揮の元、ゆったりしたテンポで、かの静謐な調べがホール全体に響き渡ります。清純なヴァイオリンの響きよりも、コントラバスの力強いピチカートが印象的でした。リズムがあたかも心臓の鼓動のように聞こえてくる。もちろん拍手はありません。あくまでも岩城さんへの祈りの音楽です。
宮田まゆみの笙が「セレモニアル」で登場します。まず笙のソロがホールに大きく鳴り響く。凝縮されたその神秘的な響きは、この場を一気に神聖な、儀式の場へと変化させます。霊の魂を呼ぶかのようにて大きく呼吸する笙の響き。これに誘われて来たのはもちろん管弦楽でした。弦と木管が一音一音、積み重なるようにして響いていく。メルクルの巧みな指揮により、N響の合奏が一つになっています。そして最後はまた笙がソロで鳴っていく。ここで笙は、自身が呼び起こした音の波を静めるかのようにして消えていきます。この日のプログラムの中で一番出来の良い演奏でした。
コワセヴッチを迎えてのモーツァルトのコンチェルトは、一言で示せば非常にマッチョな演奏です。メルクルのキビキビとした指揮がオケをドライブし、かなり剛胆に鳴るコワセヴィチのピアノが追っかける。彼のピアノについてはあまり感銘するところがありませんが、総じて無難に務めを果たしていました。また、やや叩くようなそのピアニズムは、アンダンテよりもアレグレット楽章の方に合っています。一音の美しさよりも、勢いで弾き切る。インテンポのメルクルとの競争です。一方のN響のサポートですが、これはあまり良くありません。メルクルはもっとキレの良い、引き締まった、それでいてリズミカルなモーツァルトを要求していたと思います。ただ残念ながらそれが表現出来ていない。総じて音を引っ張り過ぎました。鈍重です。メルクルの覇気も空回りしていたと思います。
メインはフランクの交響曲でしたが、ハッキリ申し上げてかなり苦手な曲です。演奏についても何とも書きようがありません。サントリーで聴くN響は、やはり響きのまとまり、そして個々の奏者のレベルの高さを感じます。それはもちろんこのフランクでも同様です。ティンパニもしっかりと鳴り、トランペットもぶれない。もちろんヴァイオリンも器用に立ち回る。それにフィナーレも盛り上がります。フォルテッシモでの美感はさすがです。濁りません。しかし残念ながら、そこから何かを感じとれるまでには達しませんでした。どうも良く分かりません。
メルクルはとても力のある指揮者かと思います。これまでにもN響で何度か聴いてきました。ただいつも、不思議と感銘するまでには至らない。もしかしたらあまり相性が良くないのかもしれません。(もちろん、別のオーケストラで聴けば印象が変化するかもしれませんが。)全体的に今ひとつ煮え切らないコンサートでした。
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「武満徹 - Visions in Time展」 東京オペラシティアートギャラリー 6/10
東京オペラシティアートギャラリー(新宿区西新宿3-20-2)
「武満徹 - Visions in Time展」
4/9-6/18
没後10年を迎えた武満徹(1930-96)の展覧会です。良く知られた作曲家としての武満だけではなく、絵画や詩、または映画など、総合芸術家としての武満にスポットを当てた企画でした。
会場には、武満の自筆楽譜や映画のポスターから、彼がインスピレーションを受けた(もしくは親交のあった。)芸術家の作品までが並びます。「彼が関心を示した多用な領域からの展示品によって多層的多面的に紹介する」(公式HPより。)ということで、紹介される芸術家はクレーやルドン、それにサム・フランシスやイサム・ノグチまでと多種多様です。そう言えばこの会場の雰囲気、以前に世田谷美術館で開催された瀧口修造展と良く似ています。瑞々しい緑色の飛沫が迸る堂本尚郎の「宇宙」(1999)を見ながら、それを「無限に動く世界の実相」と称した武満の言葉を読む。「夢の縁へ」(ギターとオーケストラのための)が、デルヴォー(「水のニンフ」が展示されています。)へのオマージュとして作曲されていた。そして、クラインよりも詩的なブルーだと述べたサム・フランシスの「ブルー#2」(1961)の美しさ。あたかも自分が武満になったような感覚で作品と対面していく。また、私としてはクレーの「大聖堂」(1932)や、ルドンの「眼を閉じて」(1890)などが拝見できたのも嬉しいところでした。
武満の曲をヘッドホンで聴くコーナーもあります。尺八の音色に耳を傾けながら、黒光りする御影石の質感が素晴らしいイサム・ノグチの「黒い太陽」(1967-69)をしばし眺めていく。近いようで遠い音楽と美術の関係が、ここでは一つになっています。中央部分の空洞から風が抜けてくる感覚。それが尺八の伸びやかな音にのって靡いている。太陽が息を吸ったり、吐いたりする様子。そのリズムがまた武満の音楽のリズムとなって頭の中を駆け巡る。心地良い瞬間です。
音楽面では、自筆楽譜や御代田の作曲室の展示に見応えがありました。ドビュッシーやベルクの楽譜が積まれた木製の机。鉛筆が整然と並んでいます。それに、楽譜への書き込みも非常に整っている印象を受けました。律儀な方であったのでしょうか。また楽譜では、図形楽譜と呼ばれるものが印象的です。デザイナー杉浦康平との共作で進められたこれらの作品。そこに、音楽が視覚化されたようなイメージは湧いてきませんが、どれもまさに楽譜の絵画とでも言えるようなものばかりでした。
アートギャラリーだけではなく、コンサートホールなどオペラシティ全体を挙げての企画です。主催者側も大変力が入っていることと思います。ただ、私の期待が大き過ぎたようです。展覧会自体にはやや構成の甘い部分があったようにも感じられました。会場で紹介された武満の音楽や言葉はとても少ない。また映画のコーナーは殆どポスターの紹介で終っています。もう少し映像を交えることは出来なかったのでしょうか。(いくらゴールデン・シネマ・ウィークがあったとはいえ。)武満のインスピレーションを核として、それを取り巻いたアートを提示していく。その世界はあまりにも広かったのかもしれません。やや消化不良気味にてまとまっていた印象も否めませんでした。
久々に武満が聴きたくなってきました。オペラシティが今年の目玉にも据えている展覧会。今月18日までの開催です。(ぐるっとパスを使いました。)
「武満徹 - Visions in Time展」
4/9-6/18
没後10年を迎えた武満徹(1930-96)の展覧会です。良く知られた作曲家としての武満だけではなく、絵画や詩、または映画など、総合芸術家としての武満にスポットを当てた企画でした。
会場には、武満の自筆楽譜や映画のポスターから、彼がインスピレーションを受けた(もしくは親交のあった。)芸術家の作品までが並びます。「彼が関心を示した多用な領域からの展示品によって多層的多面的に紹介する」(公式HPより。)ということで、紹介される芸術家はクレーやルドン、それにサム・フランシスやイサム・ノグチまでと多種多様です。そう言えばこの会場の雰囲気、以前に世田谷美術館で開催された瀧口修造展と良く似ています。瑞々しい緑色の飛沫が迸る堂本尚郎の「宇宙」(1999)を見ながら、それを「無限に動く世界の実相」と称した武満の言葉を読む。「夢の縁へ」(ギターとオーケストラのための)が、デルヴォー(「水のニンフ」が展示されています。)へのオマージュとして作曲されていた。そして、クラインよりも詩的なブルーだと述べたサム・フランシスの「ブルー#2」(1961)の美しさ。あたかも自分が武満になったような感覚で作品と対面していく。また、私としてはクレーの「大聖堂」(1932)や、ルドンの「眼を閉じて」(1890)などが拝見できたのも嬉しいところでした。
武満の曲をヘッドホンで聴くコーナーもあります。尺八の音色に耳を傾けながら、黒光りする御影石の質感が素晴らしいイサム・ノグチの「黒い太陽」(1967-69)をしばし眺めていく。近いようで遠い音楽と美術の関係が、ここでは一つになっています。中央部分の空洞から風が抜けてくる感覚。それが尺八の伸びやかな音にのって靡いている。太陽が息を吸ったり、吐いたりする様子。そのリズムがまた武満の音楽のリズムとなって頭の中を駆け巡る。心地良い瞬間です。
音楽面では、自筆楽譜や御代田の作曲室の展示に見応えがありました。ドビュッシーやベルクの楽譜が積まれた木製の机。鉛筆が整然と並んでいます。それに、楽譜への書き込みも非常に整っている印象を受けました。律儀な方であったのでしょうか。また楽譜では、図形楽譜と呼ばれるものが印象的です。デザイナー杉浦康平との共作で進められたこれらの作品。そこに、音楽が視覚化されたようなイメージは湧いてきませんが、どれもまさに楽譜の絵画とでも言えるようなものばかりでした。
アートギャラリーだけではなく、コンサートホールなどオペラシティ全体を挙げての企画です。主催者側も大変力が入っていることと思います。ただ、私の期待が大き過ぎたようです。展覧会自体にはやや構成の甘い部分があったようにも感じられました。会場で紹介された武満の音楽や言葉はとても少ない。また映画のコーナーは殆どポスターの紹介で終っています。もう少し映像を交えることは出来なかったのでしょうか。(いくらゴールデン・シネマ・ウィークがあったとはいえ。)武満のインスピレーションを核として、それを取り巻いたアートを提示していく。その世界はあまりにも広かったのかもしれません。やや消化不良気味にてまとまっていた印象も否めませんでした。
久々に武満が聴きたくなってきました。オペラシティが今年の目玉にも据えている展覧会。今月18日までの開催です。(ぐるっとパスを使いました。)
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岩城宏之さんが死去
リゲティ死去のニュースを耳にしたばかりだと言うのに、また信じられない訃報が飛び込んできました。指揮者の岩城宏之さんが亡くなられたそうです。73歳。あまりにも早過ぎます。
指揮者・岩城宏之氏が死去(YOMIURI ONLINE)
指揮者・岩城さんの死、音楽界から悼む声相次ぐ(YOMIURI ONLINE)
何度も病魔克服、岩城宏之さんの“棒ふり人生”に幕(YOMIURI ONLINE)
岩城宏之さん:亡くなる3日前まで、ベートーベンを勉強(mainichi-msn)
指揮者の岩城宏之さん死去 エッセーでも活躍(asahi.com)
岩城宏之氏、最後まで妥協せず 70歳超え“振る”マラソン(Sankei Web)
訃報 指揮者の岩城宏之氏死去(ぶらあぼ)
あれだけご活躍なさっていた方なのに、残念ながら一度も実演に接することが出来ませんでした。私にとっての岩城さんとは、やはりテレビなどで幅広く活躍されるというマルチな方です。ベートーヴェンの交響曲を一日で演奏するというような話題性抜群の企画を立ち上げながら、その一方では長年に渡り日本の現代音楽の発展に尽力されていた。こんなに多彩な活動を見せていた指揮者は他に思いつきません。あまりにも大きな方を亡くしてしまいました。
実演を聴けなかったのが自分で悔しいとすら思います。本当に無念です。ご冥福をお祈り致します。
指揮者・岩城宏之氏が死去(YOMIURI ONLINE)
指揮者・岩城さんの死、音楽界から悼む声相次ぐ(YOMIURI ONLINE)
何度も病魔克服、岩城宏之さんの“棒ふり人生”に幕(YOMIURI ONLINE)
岩城宏之さん:亡くなる3日前まで、ベートーベンを勉強(mainichi-msn)
指揮者の岩城宏之さん死去 エッセーでも活躍(asahi.com)
岩城宏之氏、最後まで妥協せず 70歳超え“振る”マラソン(Sankei Web)
訃報 指揮者の岩城宏之氏死去(ぶらあぼ)
あれだけご活躍なさっていた方なのに、残念ながら一度も実演に接することが出来ませんでした。私にとっての岩城さんとは、やはりテレビなどで幅広く活躍されるというマルチな方です。ベートーヴェンの交響曲を一日で演奏するというような話題性抜群の企画を立ち上げながら、その一方では長年に渡り日本の現代音楽の発展に尽力されていた。こんなに多彩な活動を見せていた指揮者は他に思いつきません。あまりにも大きな方を亡くしてしまいました。
実演を聴けなかったのが自分で悔しいとすら思います。本当に無念です。ご冥福をお祈り致します。
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ジェルジ・リゲティ氏が死去
ハンガリー生まれの現代音楽作曲家、ジェルジ・リゲティ氏が亡くなられました。83歳だったそうです。
現代作曲家、ジェルジ・リゲティさん死去(asahi.com)
作曲家のジェルジ・リゲティ氏が死去 第3回世界文化賞受賞(Sankei Web)
追悼のエントリを書けるほど氏の音楽を聴き込んでいないのですが、リゲティと言えば、やはりキューブリックの「2001年宇宙の旅」の挿入音楽が挙げられると思います。私も子供心にこの映画を見て、初めてかの曲を耳にした時、まずこれが「音楽」だということに驚かされるとともに、背筋が凍るような恐怖感を感じました。リゲティはいわゆる「前衛」の中でも、忘れ去られることなく後世に残る作曲家です。今後は、一般的なコンサートでも頻繁に取り上げられることを願いたいです。
リゲティのCDは、ワーナーから発売されたシリーズくらいしか聴いたことがありません。ヴァイオリン協奏曲などは比較的素直に聴けます。これを機会に再度、リゲティの研ぎすまされ、そして凝縮された濃密な音楽に耳を傾けたいものです。
ご冥福をお祈りします。
現代作曲家、ジェルジ・リゲティさん死去(asahi.com)
作曲家のジェルジ・リゲティ氏が死去 第3回世界文化賞受賞(Sankei Web)
追悼のエントリを書けるほど氏の音楽を聴き込んでいないのですが、リゲティと言えば、やはりキューブリックの「2001年宇宙の旅」の挿入音楽が挙げられると思います。私も子供心にこの映画を見て、初めてかの曲を耳にした時、まずこれが「音楽」だということに驚かされるとともに、背筋が凍るような恐怖感を感じました。リゲティはいわゆる「前衛」の中でも、忘れ去られることなく後世に残る作曲家です。今後は、一般的なコンサートでも頻繁に取り上げられることを願いたいです。
リゲティのCDは、ワーナーから発売されたシリーズくらいしか聴いたことがありません。ヴァイオリン協奏曲などは比較的素直に聴けます。これを機会に再度、リゲティの研ぎすまされ、そして凝縮された濃密な音楽に耳を傾けたいものです。
ご冥福をお祈りします。
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「リュック・タイマンス展 『Restoration』」 WAKO WORKS OF ART 6/10
WAKO WORKS OF ART(新宿区西新宿3-18-2-101)
「リュック・タイマンス展 『Restoration』」
5/12-6/24
KENJI TAKI GALLERYと隣り合うギャラリーです。ベルギー出身の画家、リュック・タイマンスの個展が開催されています。「イエズス会」をテーマとする大きな絵画作品が並んでいました。
教会を描いた大きな油彩画が目に留まります。淡い色合いの油彩絵具。画面全体がかげろうのように揺らいでいます。そして奇妙な立体感。まるで粘土細工のような質感です。白く、光に溶けてまどろむ教会の姿。光が建物の色と形を支配している。画面に包み込まれるような印象も受けました。
しばらくこの教会を見ていると、とある印象派の作品を思い出しました。それはモネが連作として手がけた「ルーアン大聖堂」です。同じ構図を執拗に描き、それぞれの瞬間の光の移ろいを描いた名作。タイマンスの教会も、そんなモネの光を受け継いでいます。建物を見ているのではなく光を見ている。とても心地良い感覚です。
タイトル(Restoration=教皇権の復活)をひも解くと、何やらとても難解なイメージがありますが、(キャプションは非常に哲学的です。)この油彩の味わいだけでも大切にしたい作品かと思いました。今月24日までの開催です。
「リュック・タイマンス展 『Restoration』」
5/12-6/24
KENJI TAKI GALLERYと隣り合うギャラリーです。ベルギー出身の画家、リュック・タイマンスの個展が開催されています。「イエズス会」をテーマとする大きな絵画作品が並んでいました。
教会を描いた大きな油彩画が目に留まります。淡い色合いの油彩絵具。画面全体がかげろうのように揺らいでいます。そして奇妙な立体感。まるで粘土細工のような質感です。白く、光に溶けてまどろむ教会の姿。光が建物の色と形を支配している。画面に包み込まれるような印象も受けました。
しばらくこの教会を見ていると、とある印象派の作品を思い出しました。それはモネが連作として手がけた「ルーアン大聖堂」です。同じ構図を執拗に描き、それぞれの瞬間の光の移ろいを描いた名作。タイマンスの教会も、そんなモネの光を受け継いでいます。建物を見ているのではなく光を見ている。とても心地良い感覚です。
タイトル(Restoration=教皇権の復活)をひも解くと、何やらとても難解なイメージがありますが、(キャプションは非常に哲学的です。)この油彩の味わいだけでも大切にしたい作品かと思いました。今月24日までの開催です。
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「村岡三郎展 『Memory』」 KENJI TAKI GALLERY/東京 6/10
KENJI TAKI GALLERY/東京(新宿区西新宿3-18-2-102)
「村岡三郎展 『Memory <1944-2006>』」
6/8-7/15
初台は、新国立劇場やアートギャラリーなどでしばしば足を運んでいますが、ギャラリーまでへ行ったのは今回が初めてです。KENJI TAKI GALLERYでは、彫刻家、村岡三郎(1928~)の個展が開催されていました。
宙から吊るされた鋭利な金属片と、その先にある人のサイズほどの立て板。金属板には踏み台と肘掛けが出っ張っている。どうやらこれは、上の画像のように人がぽっかり入る装置のようですが、「Saburo Muraoka sleeping on the Standing Bed」(2006)というタイトルはかなり謎めいています。と言うのも、この形、そして手前の金属との関係が、まるで拷問具のように見えるからです。尖った金属片がこのBedに入った者を突き刺す。痛々しいイメージ。そんな恐怖感すら覚える作品でした。
ところで村岡三郎の作品は、今、東京国立近代美術館の常設展示の「持続/切断」(7/30まで)でも見ることが出来ます。こちらは河原温や草間彌生らの作品とともに、「折れた酸素」などの彫刻が展示されているとのことでした。こちらも是非拝見したいです。今月15日までの開催です。
「村岡三郎展 『Memory <1944-2006>』」
6/8-7/15
初台は、新国立劇場やアートギャラリーなどでしばしば足を運んでいますが、ギャラリーまでへ行ったのは今回が初めてです。KENJI TAKI GALLERYでは、彫刻家、村岡三郎(1928~)の個展が開催されていました。
宙から吊るされた鋭利な金属片と、その先にある人のサイズほどの立て板。金属板には踏み台と肘掛けが出っ張っている。どうやらこれは、上の画像のように人がぽっかり入る装置のようですが、「Saburo Muraoka sleeping on the Standing Bed」(2006)というタイトルはかなり謎めいています。と言うのも、この形、そして手前の金属との関係が、まるで拷問具のように見えるからです。尖った金属片がこのBedに入った者を突き刺す。痛々しいイメージ。そんな恐怖感すら覚える作品でした。
ところで村岡三郎の作品は、今、東京国立近代美術館の常設展示の「持続/切断」(7/30まで)でも見ることが出来ます。こちらは河原温や草間彌生らの作品とともに、「折れた酸素」などの彫刻が展示されているとのことでした。こちらも是非拝見したいです。今月15日までの開催です。
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「カルティエ現代美術財団コレクション展」 東京都現代美術館 6/3
東京都現代美術館(江東区三好4-1-1)
「カルティエ現代美術財団コレクション展」
4/22-7/2
カルティエ現代美術財団による、世界初という大規模なコレクション展です。出品作家は、日本人を含めた約30名。絵画やインスタレーション、それに写真からビデオアートまで、多種多様な作品にて会場を彩ります。予想以上に楽しめました。
展示会場は地下2階から地上3階まで、要は企画展示室の全てです。どちらかと言えば大きなインスタレーション作品が多く、途中で疲れるようなことはありませんが、それでも相当のボリューム感です。ただどの作品も、難しいことを抜きにして、ダイレクトに感性を刺激してくれるものばかり。まずは、特に印象に残ったものを挙げていきたいと思います。
まずは1階入口を抜けてすぐにある巨大なオブジェ、ライザ・ルーの「裏庭」(1995-99)です。何やらキラキラと光る素材にて、テーブルや花壇などのある庭の光景が象られた作品。ともかくその大きさからしてもの凄いインパクトがありますが、その素材を知ってさらに驚かされました。何とそれらは一つ一つのビーズから出来ているのです。確かに良く見ると、どれも僅か1センチほどのビーズが連なり、さらには束となっていることが分かります。床一面に生えた芝から、洗濯カゴの中に入れられたくちゃくちゃのバスタオルまで、全てがビーズ製。完成までに3年以上もかかったそうです。チープな素材でありながら、思いがけない美しい質感を見せる作品。これは良い導入かと思いました。
素材の面白さと言えば、その次の展示室の、ジャン=ミシェル=オトニエルの「ユニコーン」(2003)も魅力的です。神輿か祭壇のようなオブジェ。素材は吹きガラスでした。もちろんそれらが透明感に溢れながら、カラフルに光り輝いている。ガラスの不定形な味わいもまた美的です。まるで手で制作したかのような温もりが感じられます。
リチャード・アーシュワーガーの「クエスチョン・マーク」(1994)は、単なる「?マーク」が意外なほどに可愛らしい作品でした。ナイロンとグラスファイバーで作られた大きな「?」が、ピリオドを従えて宙から吊るされている。白い展示空間に良く映えます。誰しもが思うような現代アートへの疑問を、この「?」が一手に引き受けている。ここはしばし立ち止まって、各作品のナゾナゾに改めて挑戦したいところでした。
パンフレット表紙に掲載されているロン・ミュエクの「イン・ベッド」(2005)は抜群の存在感です。ともかくその巨大な頭に注目です。白い布団に包まれて、物思いに横を向いている。頬には手が添えられています。彼女は何を思うのでしょうか。むっちりとした皮膚や、不気味に乾いた髪の毛の質感も非常に優れている。巨大な展示室の中にて、静かに思考する大きな女性。もしかしたら、誰もいない夜にはむくむくと動き出しているかもしれない。そんな奇異なイメージすら呼び起こすような、生々しい作品でもありました。
このペースで感想を書いていくと収集がつかなくなりそうなので、これ以降は足早に進めます。まず次の3階展示室では、一番始めの巨大眼球作品、トニー・アウスラーの「ミラー・メイズ」(2003)に驚かされました。大きな球体に映し出された様々な目。それが入場者の視線を遮るかのようにきょろきょろと動いている。10個の大きな眼球に包まれた時の恐怖感がたまりません。また同じく3階では、アラン・セシャスの「大きな頭」や、ペレシャンのシリアスなビデオ作品、さらには、ヴァレジョンの肉片のこぼれ落ちそうなタイルや、力強い無言のメッセージを感じるアンデュジャールの写真作品などが印象に残りました。どれも優れていたと思います。
2階にて人気の松井えり奈を楽しんだ後は、いよいよ最後の地下2階展示室です。ここでは、森山大道の「新宿」(2002)シリーズと、「ポラロイド・ポラロイド」(1997)がともに充実していました。特に後者は圧巻です。ポラロイドによって、展示室をぐるりと一周、プライベートな部屋の空間が誕生しています。コラージュの連続体。部屋の景色に溶け込んだアニメキャラクター、特にドキンちゃんが妙に存在感を発揮していました。この森山は私には新鮮です。
地下の大空間では、サラ・ジーのインスタレーションが目を引きます。梯子やバケツなどのチープ極まりない素材によりながら、あたかもカンディンスキーの世界を立体空間で表現しているような凄まじい作品です。窓から受ける光に当たって、モービルのように美しく変化していく。しばらく眺めていたい作品でした。
今年に入って、独仏の一私企業(もしくは財団)のコレクション展を3つ見てきました。(「ドイツ銀行@原美術館」と「ダイムラー@オペラシティ」)おそらくそれらの中では、このカルティエが一番評価の定まらない作品が集まっていたのかと思います。しかしどれも感覚的で、エンターテイメントとしても楽しめる作品が多い。もちろん、キャプションもノートのような形になって付いています。しかしそれらはあくまでも作品の種明かしです。まずは自由に色々と感じとってみて、その感覚を大切にしていく。そんな現代アートならではの楽しみ方が出来る展覧会です。また、このような表面的とも言える分かり易さは、作品としての美感があればアートとして十分に満足出来ます。来月2日までの開催。是非おすすめしたいです。
「カルティエ現代美術財団コレクション展」
4/22-7/2
カルティエ現代美術財団による、世界初という大規模なコレクション展です。出品作家は、日本人を含めた約30名。絵画やインスタレーション、それに写真からビデオアートまで、多種多様な作品にて会場を彩ります。予想以上に楽しめました。
展示会場は地下2階から地上3階まで、要は企画展示室の全てです。どちらかと言えば大きなインスタレーション作品が多く、途中で疲れるようなことはありませんが、それでも相当のボリューム感です。ただどの作品も、難しいことを抜きにして、ダイレクトに感性を刺激してくれるものばかり。まずは、特に印象に残ったものを挙げていきたいと思います。
まずは1階入口を抜けてすぐにある巨大なオブジェ、ライザ・ルーの「裏庭」(1995-99)です。何やらキラキラと光る素材にて、テーブルや花壇などのある庭の光景が象られた作品。ともかくその大きさからしてもの凄いインパクトがありますが、その素材を知ってさらに驚かされました。何とそれらは一つ一つのビーズから出来ているのです。確かに良く見ると、どれも僅か1センチほどのビーズが連なり、さらには束となっていることが分かります。床一面に生えた芝から、洗濯カゴの中に入れられたくちゃくちゃのバスタオルまで、全てがビーズ製。完成までに3年以上もかかったそうです。チープな素材でありながら、思いがけない美しい質感を見せる作品。これは良い導入かと思いました。
素材の面白さと言えば、その次の展示室の、ジャン=ミシェル=オトニエルの「ユニコーン」(2003)も魅力的です。神輿か祭壇のようなオブジェ。素材は吹きガラスでした。もちろんそれらが透明感に溢れながら、カラフルに光り輝いている。ガラスの不定形な味わいもまた美的です。まるで手で制作したかのような温もりが感じられます。
リチャード・アーシュワーガーの「クエスチョン・マーク」(1994)は、単なる「?マーク」が意外なほどに可愛らしい作品でした。ナイロンとグラスファイバーで作られた大きな「?」が、ピリオドを従えて宙から吊るされている。白い展示空間に良く映えます。誰しもが思うような現代アートへの疑問を、この「?」が一手に引き受けている。ここはしばし立ち止まって、各作品のナゾナゾに改めて挑戦したいところでした。
パンフレット表紙に掲載されているロン・ミュエクの「イン・ベッド」(2005)は抜群の存在感です。ともかくその巨大な頭に注目です。白い布団に包まれて、物思いに横を向いている。頬には手が添えられています。彼女は何を思うのでしょうか。むっちりとした皮膚や、不気味に乾いた髪の毛の質感も非常に優れている。巨大な展示室の中にて、静かに思考する大きな女性。もしかしたら、誰もいない夜にはむくむくと動き出しているかもしれない。そんな奇異なイメージすら呼び起こすような、生々しい作品でもありました。
このペースで感想を書いていくと収集がつかなくなりそうなので、これ以降は足早に進めます。まず次の3階展示室では、一番始めの巨大眼球作品、トニー・アウスラーの「ミラー・メイズ」(2003)に驚かされました。大きな球体に映し出された様々な目。それが入場者の視線を遮るかのようにきょろきょろと動いている。10個の大きな眼球に包まれた時の恐怖感がたまりません。また同じく3階では、アラン・セシャスの「大きな頭」や、ペレシャンのシリアスなビデオ作品、さらには、ヴァレジョンの肉片のこぼれ落ちそうなタイルや、力強い無言のメッセージを感じるアンデュジャールの写真作品などが印象に残りました。どれも優れていたと思います。
2階にて人気の松井えり奈を楽しんだ後は、いよいよ最後の地下2階展示室です。ここでは、森山大道の「新宿」(2002)シリーズと、「ポラロイド・ポラロイド」(1997)がともに充実していました。特に後者は圧巻です。ポラロイドによって、展示室をぐるりと一周、プライベートな部屋の空間が誕生しています。コラージュの連続体。部屋の景色に溶け込んだアニメキャラクター、特にドキンちゃんが妙に存在感を発揮していました。この森山は私には新鮮です。
地下の大空間では、サラ・ジーのインスタレーションが目を引きます。梯子やバケツなどのチープ極まりない素材によりながら、あたかもカンディンスキーの世界を立体空間で表現しているような凄まじい作品です。窓から受ける光に当たって、モービルのように美しく変化していく。しばらく眺めていたい作品でした。
今年に入って、独仏の一私企業(もしくは財団)のコレクション展を3つ見てきました。(「ドイツ銀行@原美術館」と「ダイムラー@オペラシティ」)おそらくそれらの中では、このカルティエが一番評価の定まらない作品が集まっていたのかと思います。しかしどれも感覚的で、エンターテイメントとしても楽しめる作品が多い。もちろん、キャプションもノートのような形になって付いています。しかしそれらはあくまでも作品の種明かしです。まずは自由に色々と感じとってみて、その感覚を大切にしていく。そんな現代アートならではの楽しみ方が出来る展覧会です。また、このような表面的とも言える分かり易さは、作品としての美感があればアートとして十分に満足出来ます。来月2日までの開催。是非おすすめしたいです。
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「ナポレオンとヴェルサイユ展」 江戸東京博物館 6/3
江戸東京博物館(墨田区横網1-4-1)
「ヴェルサイユ宮殿博物館 - ナポレオンとヴェルサイユ展 - 」
4/8-6/18
ヴェルサイユ宮殿博物館の所蔵品によって、ナポレオンの半生を簡単にたどる展覧会です。勇壮なナポレオンの肖像画から宮殿の調度品、さらには皇妃ジョゼフィーヌゆかりの装飾具までが展示されています。
絵画ではやはりダヴィットの作品が特に優れていました。まずは有名な「マラの死」(1793)でしょうか。フランスの理論家として知られるマラ。入浴中に殺害されたという劇的なシーンが描かれています。隆々とした肉体。ペンを持ったまま腕をだらりと垂らしています。そして胸の傷口からは血が滴り落ちている。もちろん、凶器は床へ無造作に捨てられたナイフです。血がべっとりとついています。また、右側から差し込む光の陰影や、浴槽の横の木箱、それに緑や白のシーツの質感も見事でした。死を迎えて、痛々しくもどこか恍惚としているマラの表情。これは確かに魅せる作品です。
ダヴィットの描いたボナパルトの作品では、「サン=ベルナール山からアルプスを越えるボナパルト」(1800)が見応え十分でした。アルプスの険しい頂きを白馬に跨がって駆けるボナパルト。口元は引き締まり、右手は力強く行く手を指しています。また、アルプスの空には何やら暗雲が漂っています。その下では嵐が吹き荒れているのでしょうか。ボナパルトのマントや馬の鬣は、風に大きく靡いていました。もちろん彼はそんな嵐にも全く動揺していない。泰然とした、また威厳に満ちた神々しい姿をこれ見よがしに示します。もちろん実際にはラバを使ってアルプスを越えています。あくまでも、この作品は架空で理想のボナパルトでしょう。(そもそも、彼はモデルとしてポーズをとっていないと思います。)それにしても、ダヴィットのボナパルト賛美の描写には全く隙がありません。ラバを白馬にかえて彼を美化しているのはまだしも、左下にハッキリと刻まれたボナパルトの文字。それらが殆ど薄く消えかかっているハンニバルやカールらの上位に示されています。こんな細かいところまでしっかりと彼の威光を知らしめている。大したものです。
ダヴィット以外では、ジェラールの「戴冠式の正装の皇帝ナポレオン」も立派でした。目を近づけてみると、意外にも細部の描写が粗いのですが、白い毛皮の質感は見事です。威厳を見せつけるボナパルト。胸に付けたレジオン・ドヌール勲章が目立たないほど優雅で華麗な立ち姿です。
会場には、絵画の他にも、ボナパルトの使用した家具や、マリー=ルイーズの装飾品などが所狭しと展示されています。それにしても、江戸博の企画展示室は動線がまるで迷路のようです。お世辞にも優れた展示環境とは言えません。ただそんな中でも、当時の宮殿室内を再現したコーナーなどを設けている。なかなか力の入った展覧会です。
人気の展覧会なのか、館内は身動きをとるのも大変なほど混雑していました。通常は夕方17:30に閉館してしまいますが、土曜日だけは夜19:30まで開いています。その時間帯は比較的ゆっくり見られるかもしれません。今月18日までの開催です。
「ヴェルサイユ宮殿博物館 - ナポレオンとヴェルサイユ展 - 」
4/8-6/18
ヴェルサイユ宮殿博物館の所蔵品によって、ナポレオンの半生を簡単にたどる展覧会です。勇壮なナポレオンの肖像画から宮殿の調度品、さらには皇妃ジョゼフィーヌゆかりの装飾具までが展示されています。
絵画ではやはりダヴィットの作品が特に優れていました。まずは有名な「マラの死」(1793)でしょうか。フランスの理論家として知られるマラ。入浴中に殺害されたという劇的なシーンが描かれています。隆々とした肉体。ペンを持ったまま腕をだらりと垂らしています。そして胸の傷口からは血が滴り落ちている。もちろん、凶器は床へ無造作に捨てられたナイフです。血がべっとりとついています。また、右側から差し込む光の陰影や、浴槽の横の木箱、それに緑や白のシーツの質感も見事でした。死を迎えて、痛々しくもどこか恍惚としているマラの表情。これは確かに魅せる作品です。
ダヴィットの描いたボナパルトの作品では、「サン=ベルナール山からアルプスを越えるボナパルト」(1800)が見応え十分でした。アルプスの険しい頂きを白馬に跨がって駆けるボナパルト。口元は引き締まり、右手は力強く行く手を指しています。また、アルプスの空には何やら暗雲が漂っています。その下では嵐が吹き荒れているのでしょうか。ボナパルトのマントや馬の鬣は、風に大きく靡いていました。もちろん彼はそんな嵐にも全く動揺していない。泰然とした、また威厳に満ちた神々しい姿をこれ見よがしに示します。もちろん実際にはラバを使ってアルプスを越えています。あくまでも、この作品は架空で理想のボナパルトでしょう。(そもそも、彼はモデルとしてポーズをとっていないと思います。)それにしても、ダヴィットのボナパルト賛美の描写には全く隙がありません。ラバを白馬にかえて彼を美化しているのはまだしも、左下にハッキリと刻まれたボナパルトの文字。それらが殆ど薄く消えかかっているハンニバルやカールらの上位に示されています。こんな細かいところまでしっかりと彼の威光を知らしめている。大したものです。
ダヴィット以外では、ジェラールの「戴冠式の正装の皇帝ナポレオン」も立派でした。目を近づけてみると、意外にも細部の描写が粗いのですが、白い毛皮の質感は見事です。威厳を見せつけるボナパルト。胸に付けたレジオン・ドヌール勲章が目立たないほど優雅で華麗な立ち姿です。
会場には、絵画の他にも、ボナパルトの使用した家具や、マリー=ルイーズの装飾品などが所狭しと展示されています。それにしても、江戸博の企画展示室は動線がまるで迷路のようです。お世辞にも優れた展示環境とは言えません。ただそんな中でも、当時の宮殿室内を再現したコーナーなどを設けている。なかなか力の入った展覧会です。
人気の展覧会なのか、館内は身動きをとるのも大変なほど混雑していました。通常は夕方17:30に閉館してしまいますが、土曜日だけは夜19:30まで開いています。その時間帯は比較的ゆっくり見られるかもしれません。今月18日までの開催です。
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「神坂雪佳展」 日本橋高島屋8階ホール 6/4
日本橋高島屋8階ホール(中央区日本橋2-4-1)
「京琳派 神坂雪佳展 - 宗達、光琳から雪佳へ - 」
5/24-6/5(会期終了)
全く未知の作家でしたが、「弐代目・青い日記帳」のTakさんのご推薦とあれば見逃すわけにはいきません。明治から昭和にかけて琳派を継承し、さらには独自のスタイルへと発展させた神坂雪佳(1866-1942)の展覧会です。雪佳以前の琳派の系譜(宗達、光琳など。)と、自身の日本画、工芸などが幅広く展示されています。大変失礼ながら、デパートの企画だとは思えないほど見応えのある展覧会でした。
雪佳の絵画では、生き物を描いた作品の方が私は好みです。まずは、パンフレット表紙にも掲載されている「金魚玉図」でしょう。ガラス器越しに映った金魚の姿。淡い朱色と黄色がたらし込み(他の作品にも多用されています。)によって滲むように交じり合っています。それにしてもこの金魚、何とも不格好です。ふくよかな体と、ギョロッと睨むような目。また、下部に大きく余白がとられた縦長の構図のせいか、どう見ても金魚がガラス器に入っているようには思えません。丸い器は月で、天から金魚が降りて来ている。言わば、金魚来迎図。とても滑稽でユニークな作品でした。
「白鳳図」は非常にアニメーション的です。細部はむしろ大胆に描かれ、見事な羽がダイナミックに伸ばされている。崖の岩場の表現は、独特のたらし込みによって重々しい質感を生み出し、それに対する白鳳はあくまでも鮮やかな白が目立っています。そして特に面白いのは、この白鳳が見せる表情でした。妙に曲がって尖るクチバシはどこかアヒルのよう。横を向いてツーンとすましていますが、今にもこちら側を向いて「ガーガー」と鳴きそうな気配です。
雪佳は琳派を継承した単なる日本画家ではありません。絵画以外にも、陶器や呉服などに意匠を施しています。ここでは、私の趣味にも合う清水六兵衛(五代)の手がけた「波の図赤楽茶碗」が魅力的でした。温もりが感じられる赤茶けた器に、大きく飛び上がった白波。またこの波の描写は、先の「白鳳図」の白い羽ともどこか似ています。赤茶色と白の組み合わせの妙と、ダイナミックな波の描写。ともに美感として危うさすら感じさせるほど大胆です。遊び心にも溢れていました。
「琳派の意匠」と題された最後のコーナーには、もうとんでもなく可愛らしい犬の作品がありました。それがこの「狗児」(百々世草から。)です。ぶてっと座り込む二匹の子犬。何やらにゅっと首を突き出した先には、小さなカタツムリが一匹。(これもまた可愛い!)そして、奥で控える茶色の子犬は、ぼんやりとこちらを見ています。(少し眠そう?)そして、剛胆な3本の竹。雪佳の描く木や植物は、どれもシャープな線の妙味よりも面の素朴な味わい(たらし込みを含めて。)が魅力的ですが、これもまるで書のような描写です。画面がぐっと引き締まります。思わず笑みがこぼれてしまうような作品でした。
「なごみの琳派」として知られる芳中なども展示されていました。もちろんこちらも少しでしたが楽しめます。(「光琳画譜」の鳥がまた最高に可愛い!)海外から、ある種の「逆輸入」にて再評価されてきた作家とのことですが、もっと多くの作品を見たいとも思いました。
「京琳派 神坂雪佳展 - 宗達、光琳から雪佳へ - 」
5/24-6/5(会期終了)
全く未知の作家でしたが、「弐代目・青い日記帳」のTakさんのご推薦とあれば見逃すわけにはいきません。明治から昭和にかけて琳派を継承し、さらには独自のスタイルへと発展させた神坂雪佳(1866-1942)の展覧会です。雪佳以前の琳派の系譜(宗達、光琳など。)と、自身の日本画、工芸などが幅広く展示されています。大変失礼ながら、デパートの企画だとは思えないほど見応えのある展覧会でした。
雪佳の絵画では、生き物を描いた作品の方が私は好みです。まずは、パンフレット表紙にも掲載されている「金魚玉図」でしょう。ガラス器越しに映った金魚の姿。淡い朱色と黄色がたらし込み(他の作品にも多用されています。)によって滲むように交じり合っています。それにしてもこの金魚、何とも不格好です。ふくよかな体と、ギョロッと睨むような目。また、下部に大きく余白がとられた縦長の構図のせいか、どう見ても金魚がガラス器に入っているようには思えません。丸い器は月で、天から金魚が降りて来ている。言わば、金魚来迎図。とても滑稽でユニークな作品でした。
「白鳳図」は非常にアニメーション的です。細部はむしろ大胆に描かれ、見事な羽がダイナミックに伸ばされている。崖の岩場の表現は、独特のたらし込みによって重々しい質感を生み出し、それに対する白鳳はあくまでも鮮やかな白が目立っています。そして特に面白いのは、この白鳳が見せる表情でした。妙に曲がって尖るクチバシはどこかアヒルのよう。横を向いてツーンとすましていますが、今にもこちら側を向いて「ガーガー」と鳴きそうな気配です。
雪佳は琳派を継承した単なる日本画家ではありません。絵画以外にも、陶器や呉服などに意匠を施しています。ここでは、私の趣味にも合う清水六兵衛(五代)の手がけた「波の図赤楽茶碗」が魅力的でした。温もりが感じられる赤茶けた器に、大きく飛び上がった白波。またこの波の描写は、先の「白鳳図」の白い羽ともどこか似ています。赤茶色と白の組み合わせの妙と、ダイナミックな波の描写。ともに美感として危うさすら感じさせるほど大胆です。遊び心にも溢れていました。
「琳派の意匠」と題された最後のコーナーには、もうとんでもなく可愛らしい犬の作品がありました。それがこの「狗児」(百々世草から。)です。ぶてっと座り込む二匹の子犬。何やらにゅっと首を突き出した先には、小さなカタツムリが一匹。(これもまた可愛い!)そして、奥で控える茶色の子犬は、ぼんやりとこちらを見ています。(少し眠そう?)そして、剛胆な3本の竹。雪佳の描く木や植物は、どれもシャープな線の妙味よりも面の素朴な味わい(たらし込みを含めて。)が魅力的ですが、これもまるで書のような描写です。画面がぐっと引き締まります。思わず笑みがこぼれてしまうような作品でした。
「なごみの琳派」として知られる芳中なども展示されていました。もちろんこちらも少しでしたが楽しめます。(「光琳画譜」の鳥がまた最高に可愛い!)海外から、ある種の「逆輸入」にて再評価されてきた作家とのことですが、もっと多くの作品を見たいとも思いました。
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「大塚聡『Counting Waves - 波をかぞえる - 』」 TSCA 6/3
Takuro Someya Contemporary Art(千葉県柏市若葉町3-3)
「大塚聡『Counting Waves - 波をかぞえる - 』」
5/27-6/24
柏に新たな現代アートの拠点が出現しました。元々、作業所(もしくは倉庫?)として使われていたような古い建物を改装したギャラリーです。名称は「Takuro Someya Contemporary Art」。(略称TSCA。和名は染谷コンテンポラリーアート。)白石コンテンポラリーアート(SCAI)から独立された染谷卓郎氏の運営する施設です。今、そのオープニングとして、ミラーやLEDなどを使ったインスタレーションを手がける大塚聡の個展が開かれています。ギャラリーの広いスペースを上手く利用した展示。どれも静かに見入りたい作品ばかりでした。
建物の2階部分が展示スペースです。入口脇の細い階段(かなり狭いので注意!)を上がって進むとまず見えてくるのは、大きなミラー越しに、細く白い光がいくつも点滅するインスタレーション作品でした。静かに、そして弱々しく、遠くからこちらへゆっくりと迫ってくる光の線。それが大きなミラーのあちこちにてゆっくりと動いている。自分の姿がミラーに写り込んでやや見えにくい部分もありましたが、まるで光の粒のシャワーを全身で受け止めているような雰囲気です。また、ミラーの形や光線のイメージはどれも洗練されています。光のミクロの世界をのぞくような作品でした。
この作品以外には、セピア色がかった、どこか懐かしい感覚の写真がいくつか展示されています。また、透明な定規上にプリントされた風景写真なども並んでいました。鳥や、広がりのある遠景が素朴に写っている。ちなみにこの写真の一部は、いわゆる骨董写真をプリントしたものだそうです。だからこそノスタルジー的な味わいが実現されていたのかもしれません。
光のインスタレーションでは、ちょうど廊下のような狭い場所にあった作品が特に優れていました。ミラーの反対側にあるプロジェクターに投影された景色と連動して光が変化する。小さな光の束が、すっと飛び交っては消えていく感覚。心地良い雰囲気が感じられます。そして廊下の最後にある大きなインスタレーションは、どれも眩しいほどに光線が動いています。地の底から、闇の奥から、そして宇宙の果てから、静かに、ただ一直線に伸びた光の道。ミラーが生み出した深淵の空間で、光が生き、そして死んでいく。光の生成がミニマルに表現されていました。
柏駅南口から徒歩10分とありますが、実際にはかなり分かりにくい場所にあります。初めてなら15分弱ほどかかるのではないでしょうか。もちろん画廊HPの地図(これがまた大まかで分かりにくいのですが…。)は必携です。是非プリントして持って行かれることをおすすめします。また、オープン時間が夜22時までと良心的です。(日・月休み。昼12時から。)近くには古い民家を使ったカフェなどもありました。まずは今、ホットな柏の街を散歩がてらに、一度足を運んでみてはいかがでしょう。今月24日までの開催です。(ちなみに、このギャラリーは常設ではなく期間限定だそうです。次回の展示は秋、冬を予定しているとのことでした。)
*TSCAの外観。外からはギャラリーとは全く分かりません。白く囲われた、車庫のような部分が入口です。(付近に目立つ看板も掲示されていません。見つけるのは至難の業?!)
「大塚聡『Counting Waves - 波をかぞえる - 』」
5/27-6/24
柏に新たな現代アートの拠点が出現しました。元々、作業所(もしくは倉庫?)として使われていたような古い建物を改装したギャラリーです。名称は「Takuro Someya Contemporary Art」。(略称TSCA。和名は染谷コンテンポラリーアート。)白石コンテンポラリーアート(SCAI)から独立された染谷卓郎氏の運営する施設です。今、そのオープニングとして、ミラーやLEDなどを使ったインスタレーションを手がける大塚聡の個展が開かれています。ギャラリーの広いスペースを上手く利用した展示。どれも静かに見入りたい作品ばかりでした。
建物の2階部分が展示スペースです。入口脇の細い階段(かなり狭いので注意!)を上がって進むとまず見えてくるのは、大きなミラー越しに、細く白い光がいくつも点滅するインスタレーション作品でした。静かに、そして弱々しく、遠くからこちらへゆっくりと迫ってくる光の線。それが大きなミラーのあちこちにてゆっくりと動いている。自分の姿がミラーに写り込んでやや見えにくい部分もありましたが、まるで光の粒のシャワーを全身で受け止めているような雰囲気です。また、ミラーの形や光線のイメージはどれも洗練されています。光のミクロの世界をのぞくような作品でした。
この作品以外には、セピア色がかった、どこか懐かしい感覚の写真がいくつか展示されています。また、透明な定規上にプリントされた風景写真なども並んでいました。鳥や、広がりのある遠景が素朴に写っている。ちなみにこの写真の一部は、いわゆる骨董写真をプリントしたものだそうです。だからこそノスタルジー的な味わいが実現されていたのかもしれません。
光のインスタレーションでは、ちょうど廊下のような狭い場所にあった作品が特に優れていました。ミラーの反対側にあるプロジェクターに投影された景色と連動して光が変化する。小さな光の束が、すっと飛び交っては消えていく感覚。心地良い雰囲気が感じられます。そして廊下の最後にある大きなインスタレーションは、どれも眩しいほどに光線が動いています。地の底から、闇の奥から、そして宇宙の果てから、静かに、ただ一直線に伸びた光の道。ミラーが生み出した深淵の空間で、光が生き、そして死んでいく。光の生成がミニマルに表現されていました。
柏駅南口から徒歩10分とありますが、実際にはかなり分かりにくい場所にあります。初めてなら15分弱ほどかかるのではないでしょうか。もちろん画廊HPの地図(これがまた大まかで分かりにくいのですが…。)は必携です。是非プリントして持って行かれることをおすすめします。また、オープン時間が夜22時までと良心的です。(日・月休み。昼12時から。)近くには古い民家を使ったカフェなどもありました。まずは今、ホットな柏の街を散歩がてらに、一度足を運んでみてはいかがでしょう。今月24日までの開催です。(ちなみに、このギャラリーは常設ではなく期間限定だそうです。次回の展示は秋、冬を予定しているとのことでした。)
*TSCAの外観。外からはギャラリーとは全く分かりません。白く囲われた、車庫のような部分が入口です。(付近に目立つ看板も掲示されていません。見つけるのは至難の業?!)
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「田口和奈『その中にある写真』」 TARO NASU GALLERY 6/3
TARO NASU GALLERY(港区六本木6-8-14 コンプレックス北館2階)
「田口和奈『その中にある写真』」
5/26-6/17
今年2月の佐倉市立美術館の「カオスモス」展でも拝見した、田口加奈の個展です。美しくポーズをとる女性たち。モノトーンタッチの大きなポートレート作品が5点ほど並んだ展覧会です。
簡単に言えば、田口の作品は非常に凝っています。まず遠目からだと、どれも女性を写し出したモノクロ写真のように見えてきますが、近づくと驚くほど精緻な油彩画が元になっていることが分かります。つまり、自らの絵画を撮影した写真。それが作品の最終な形なのです。しかし、その元となる油彩も、既成の写真から絵画に起こして描写したもの。こうなってくると、作品が一体、写真なのか絵画なのか分からなくなります。写真と絵画の曖昧な境界線。もちろん、その間に揺れる妙味が独創的な面白さを生み出します。ちなみに作品はどれも錯視的です。油彩絵具の重い質感が強くにじみ出ていながら、写真のシャープな質感も押し出されている。強いて言えば、写真と絵画の両方の良い部分を足して合わせた。これは確かに引き込まれます。
「カオスモス」展では、少し展示場が大き過ぎたようにも感じましたが、今回の個展では、ポーズをとる女性の存在感がダイレクトに伝わる展示です。面と向かってこれらの女性に対峙していくこと。作品によっては、描写の精緻さに幾分バラツキがあった(非常に良く出来ているものとそうでないものが混ざっているようにも思いました。)ようにも感じられましたが、総じて高い美感を誇ります。湿った髪の毛、甘い口元。そしてうつろな目。どれも個が剥き出しにされていない。あくまでも静かにポーズをとるだけの女性たち。生気が抜かれている。ゾクゾクするような冷たい感触が伝わってきました。
6月17日までの開催です。これはおすすめします。
「田口和奈『その中にある写真』」
5/26-6/17
今年2月の佐倉市立美術館の「カオスモス」展でも拝見した、田口加奈の個展です。美しくポーズをとる女性たち。モノトーンタッチの大きなポートレート作品が5点ほど並んだ展覧会です。
簡単に言えば、田口の作品は非常に凝っています。まず遠目からだと、どれも女性を写し出したモノクロ写真のように見えてきますが、近づくと驚くほど精緻な油彩画が元になっていることが分かります。つまり、自らの絵画を撮影した写真。それが作品の最終な形なのです。しかし、その元となる油彩も、既成の写真から絵画に起こして描写したもの。こうなってくると、作品が一体、写真なのか絵画なのか分からなくなります。写真と絵画の曖昧な境界線。もちろん、その間に揺れる妙味が独創的な面白さを生み出します。ちなみに作品はどれも錯視的です。油彩絵具の重い質感が強くにじみ出ていながら、写真のシャープな質感も押し出されている。強いて言えば、写真と絵画の両方の良い部分を足して合わせた。これは確かに引き込まれます。
「カオスモス」展では、少し展示場が大き過ぎたようにも感じましたが、今回の個展では、ポーズをとる女性の存在感がダイレクトに伝わる展示です。面と向かってこれらの女性に対峙していくこと。作品によっては、描写の精緻さに幾分バラツキがあった(非常に良く出来ているものとそうでないものが混ざっているようにも思いました。)ようにも感じられましたが、総じて高い美感を誇ります。湿った髪の毛、甘い口元。そしてうつろな目。どれも個が剥き出しにされていない。あくまでも静かにポーズをとるだけの女性たち。生気が抜かれている。ゾクゾクするような冷たい感触が伝わってきました。
6月17日までの開催です。これはおすすめします。
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「佐藤好彦個展『 1 : 4 : 9』」 ヴァイスフェルト 6/3
ヴァイスフェルト(港区六本木6-8-14 コンプレックス北館3階)
「佐藤好彦個展『 1 : 4 : 9』」
5/12-6/10
既製品を反復し、または変形させることで、思いがけない造形の面白さを提供する佐藤好彦の個展です。高さ2メートルはゆうに超えるだろうという巨大なスピーカー。それが真っ白な展示室に一つだけドーンと置かれています。まずは、奇妙で謎めいたその存在感に圧倒される展覧会です。
このスピーカーの名前は「Model 432001」。大小様々な振動板が、まるで目のようにいくつも付いています。そして裏側にも同じような振動板がたくさん群がっている。またスピーカーからは、どこかで聴いたような音楽や英語の会話、それにけたたましい警報音などが流れていました。音は、表と裏の両方にてステレオが完成する仕組みになっているのか、狭い展示室に不気味なサラウンド効果をもたらします。ともかく、その形、大きさともに、奇異で不思議です。これは一体何を意味するのでしょう。
その答えは、タイトルと形、そして流れてくる音にありました。ドーンと立った分厚い板のような存在感。これは、かの有名なSF超大作「2001年宇宙の旅」に登場する「モノリス」のイメージなのです。そして1:4:9とは、まさに「モノリス」と同様に、27.5×110×147.5(センチ)の大きさを表すという仕掛け。そう言われてみれば、スピーカーから発せられる音が、あたかも「モノリス」を取り巻く磁場のような役割をしているようにも感じられます。また、これが「モノリス」のイメージだと気がつかなくても、その事物の存在感は強烈です。まさに磁場に吸引されていく感覚。もちろんスピーカー自体のクオリティーも非常に高い。これだけ作り込んであると、さすがに作品の魅力も増すと言うものです。
「モノリス」に遭遇した衝撃の体験をスピーカーで味わえる(?)展覧会です。今週の土曜日、10日までの開催です。
「佐藤好彦個展『 1 : 4 : 9』」
5/12-6/10
既製品を反復し、または変形させることで、思いがけない造形の面白さを提供する佐藤好彦の個展です。高さ2メートルはゆうに超えるだろうという巨大なスピーカー。それが真っ白な展示室に一つだけドーンと置かれています。まずは、奇妙で謎めいたその存在感に圧倒される展覧会です。
このスピーカーの名前は「Model 432001」。大小様々な振動板が、まるで目のようにいくつも付いています。そして裏側にも同じような振動板がたくさん群がっている。またスピーカーからは、どこかで聴いたような音楽や英語の会話、それにけたたましい警報音などが流れていました。音は、表と裏の両方にてステレオが完成する仕組みになっているのか、狭い展示室に不気味なサラウンド効果をもたらします。ともかく、その形、大きさともに、奇異で不思議です。これは一体何を意味するのでしょう。
その答えは、タイトルと形、そして流れてくる音にありました。ドーンと立った分厚い板のような存在感。これは、かの有名なSF超大作「2001年宇宙の旅」に登場する「モノリス」のイメージなのです。そして1:4:9とは、まさに「モノリス」と同様に、27.5×110×147.5(センチ)の大きさを表すという仕掛け。そう言われてみれば、スピーカーから発せられる音が、あたかも「モノリス」を取り巻く磁場のような役割をしているようにも感じられます。また、これが「モノリス」のイメージだと気がつかなくても、その事物の存在感は強烈です。まさに磁場に吸引されていく感覚。もちろんスピーカー自体のクオリティーも非常に高い。これだけ作り込んであると、さすがに作品の魅力も増すと言うものです。
「モノリス」に遭遇した衝撃の体験をスピーカーで味わえる(?)展覧会です。今週の土曜日、10日までの開催です。
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「森万里子 『Tom Na H-iu』」 SCAI 6/3
SCAI THE BATHHOUSE(台東区谷中6-1-23)
「森万里子 『Tom Na H-iu』」
4/21-6/3(会期終了)
2002年には木場のMOTでも個展を開催したという、森万里子の展覧会です。SCAIの大きな展示室に、高さ3メートルものガラスの立方体が一つ。それが仄かに、ただひたすらに点滅し続けています。暗がりの中で光の鼓動が刻まれている。そんな印象も受ける作品でした。
タイトルの「Tom Na H-iu」(トムナフーリ)とは、古代ケルトにおける精魂転生の場(画廊HPより)を意味する言葉なのだそうです。森は、そんなケルト伝説と、神秘的な石柱のイメージを組み合わせて、この巨大な立体作品を制作します。また、中で点滅する光は、スーパーカミオカンデから受信されたニュートリノのデータのイメージとのことです。(実際には、過去の受信データを短縮して再生させているそうです。)恒星が死を迎えた時(超新星爆発)に発せられるニュートリノと、魂の転生を意味するこのモニュメント。その組み合わせによって生まれたものとは、まさに生命の永劫回帰する場でしょうか。科学的なコンセプトによりながらも、何やら神々しい雰囲気も漂う作品でした。
光は様々な色になって点滅し続けます。そしてそれら別々の色を持った光は、時に溶け合うようにして混ざり合っていく。その瞬間が特に美しい。もう一歩、この立体と連動しあうような作品があれば良かったのですが、(展示として物足りなさも残りました。)もっと開放的な場に設置したらより映える作品かとも思いました。少し空間が足りません。
MOTでの個展は、残念ながら私が美術に関心を寄せる以前のことなので見ていません。いつかはまとまった形にて鑑賞してみたいと思います。
「森万里子 『Tom Na H-iu』」
4/21-6/3(会期終了)
2002年には木場のMOTでも個展を開催したという、森万里子の展覧会です。SCAIの大きな展示室に、高さ3メートルものガラスの立方体が一つ。それが仄かに、ただひたすらに点滅し続けています。暗がりの中で光の鼓動が刻まれている。そんな印象も受ける作品でした。
タイトルの「Tom Na H-iu」(トムナフーリ)とは、古代ケルトにおける精魂転生の場(画廊HPより)を意味する言葉なのだそうです。森は、そんなケルト伝説と、神秘的な石柱のイメージを組み合わせて、この巨大な立体作品を制作します。また、中で点滅する光は、スーパーカミオカンデから受信されたニュートリノのデータのイメージとのことです。(実際には、過去の受信データを短縮して再生させているそうです。)恒星が死を迎えた時(超新星爆発)に発せられるニュートリノと、魂の転生を意味するこのモニュメント。その組み合わせによって生まれたものとは、まさに生命の永劫回帰する場でしょうか。科学的なコンセプトによりながらも、何やら神々しい雰囲気も漂う作品でした。
光は様々な色になって点滅し続けます。そしてそれら別々の色を持った光は、時に溶け合うようにして混ざり合っていく。その瞬間が特に美しい。もう一歩、この立体と連動しあうような作品があれば良かったのですが、(展示として物足りなさも残りました。)もっと開放的な場に設置したらより映える作品かとも思いました。少し空間が足りません。
MOTでの個展は、残念ながら私が美術に関心を寄せる以前のことなので見ていません。いつかはまとまった形にて鑑賞してみたいと思います。
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6月の予定と5月の記録
毎月恒例の「予定と振りかえり」です。既に、神坂雪佳展とナポレオン展、そしてカルティエ現代美術財団コレクション展は見終えています。随時、感想をアップしていく予定です。
6月の予定
展覧会
「神坂雪佳展」 日本橋高島屋8階ホール(6/5まで)
「ナポレオンとヴェルサイユ展」 江戸東京博物館(6/18まで)
「武満徹 - Visions in Time展」 東京オペラシティー(6/18まで)
「緑雨の景観」 山種美術館(6/25まで)
「イサム・ノグチ展」 横浜美術館(6/25まで)
「カルティエ現代美術財団コレクション展」 東京都現代美術館(7/2まで)
「花鳥 - 愛でる心、彩る技<若冲を中心に> 第3期」 三の丸尚蔵館(7/2まで)
「ルオーとローランサン」 松下電工汐留ミュージアム(7/9まで)
「アートとともに - 寺田小太郎コレクション」 府中市美術館(7/17まで)
「ルーヴル美術館展 - 古代ギリシャの芸術」 東京藝術大学大学美術館(8/20まで)
コンサート
「目白バ・ロック音楽祭2006 寺神戸亮」 バッハ「無伴奏チェロ組曲」 17日
「日本フィル第581回定期演奏会」 ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」他 30日
5月の記録(リンクは私の感想です。)
展覧会
3日 「素顔の伊東深水展」 目黒区美術館
3日 「播磨ゆかりの江戸絵画」 大倉集古館
3日 「近代陶磁器にみる東と西」 泉屋博古館分館
5日 「出光美術館名品展1」 出光美術館
7日 「ホルスト・ヤンセン展/2006年常設展第1期/美術館物語」 埼玉県立近代美術館
14日 「エルンスト・バルラハ展」 東京藝術大学大学美術館
14日 「プラド美術館展 その2」 東京都美術館
21日 「所蔵作品展 花より工芸」 東京国立近代美術館工芸館
22日 「花鳥 - 愛でる心、彩る技<若冲を中心に> 第2期」 宮内庁三の丸尚蔵館
21日 「雪舟からポロックまで」 ブリヂストン美術館
27日 「ポンペイの輝き」 Bunkamura ザ・ミュージアム
28日 「芸大コレクション展 大正昭和前期の美術」 東京藝術大学大学美術館
ギャラリー
14日 「銀座あおぞらDEアート」 泰明小学校校庭
20日 「石居麻耶展 -彼方より来たるもの」 ごらくギャラリー
27日 「青木野枝展」 ギャラリー21+葉
27日 「Floating 篠塚聖哉展」 フタバ画廊
コンサート
5日 「熱狂の日音楽祭2006」 モーツァルト「ホルン協奏曲第3番」他/ベルリン古楽アカデミー
5日 「熱狂の日音楽祭2006」 モーツァルト「レクイエム」/コルボ
6日 「熱狂の日音楽祭2006」 モーツァルト「ヴェスペレ」他/ノイマン
19日 「ラ・プティット・バンド東京公演」 バッハ「ブランデンブルク協奏曲第4番」他/クイケン
27日 「東京交響楽団第536回定期演奏会」 ショスタコーヴィチ「交響曲第7番」他/キタエンコ
5月は「ぐるっとパス」を購入したことにより、これまで一度も行ったことのない美術館へも足を運びました。(大倉集古館や泉屋博古館など。)また恒例の若冲展も、3期目が始まっています。こちらも忘れないように早めに見てきたいです。
音楽では、やはりまず「熱狂の日」を挙げなくてはなりませんが、キタエンコと東響の「レニングラード」も忘れ難いコンサートでした。と言うこと(?)で、今月もショスタコーヴィチのコンサートを入れてみます。曲は私の大変苦手な「革命」。しかし、指揮は名匠のネーメ・ヤルヴィです。これは期待したいと思います。ちなみに、日フィルを聴くのは数年ぶりです。どんな響きを聴かせてくれるでしょうか。
それでは今月もどうぞ宜しくお願いします。
6月の予定
展覧会
「神坂雪佳展」 日本橋高島屋8階ホール(6/5まで)
「ナポレオンとヴェルサイユ展」 江戸東京博物館(6/18まで)
「武満徹 - Visions in Time展」 東京オペラシティー(6/18まで)
「緑雨の景観」 山種美術館(6/25まで)
「イサム・ノグチ展」 横浜美術館(6/25まで)
「カルティエ現代美術財団コレクション展」 東京都現代美術館(7/2まで)
「花鳥 - 愛でる心、彩る技<若冲を中心に> 第3期」 三の丸尚蔵館(7/2まで)
「ルオーとローランサン」 松下電工汐留ミュージアム(7/9まで)
「アートとともに - 寺田小太郎コレクション」 府中市美術館(7/17まで)
「ルーヴル美術館展 - 古代ギリシャの芸術」 東京藝術大学大学美術館(8/20まで)
コンサート
「目白バ・ロック音楽祭2006 寺神戸亮」 バッハ「無伴奏チェロ組曲」 17日
「日本フィル第581回定期演奏会」 ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」他 30日
5月の記録(リンクは私の感想です。)
展覧会
3日 「素顔の伊東深水展」 目黒区美術館
3日 「播磨ゆかりの江戸絵画」 大倉集古館
3日 「近代陶磁器にみる東と西」 泉屋博古館分館
5日 「出光美術館名品展1」 出光美術館
7日 「ホルスト・ヤンセン展/2006年常設展第1期/美術館物語」 埼玉県立近代美術館
14日 「エルンスト・バルラハ展」 東京藝術大学大学美術館
14日 「プラド美術館展 その2」 東京都美術館
21日 「所蔵作品展 花より工芸」 東京国立近代美術館工芸館
22日 「花鳥 - 愛でる心、彩る技<若冲を中心に> 第2期」 宮内庁三の丸尚蔵館
21日 「雪舟からポロックまで」 ブリヂストン美術館
27日 「ポンペイの輝き」 Bunkamura ザ・ミュージアム
28日 「芸大コレクション展 大正昭和前期の美術」 東京藝術大学大学美術館
ギャラリー
14日 「銀座あおぞらDEアート」 泰明小学校校庭
20日 「石居麻耶展 -彼方より来たるもの」 ごらくギャラリー
27日 「青木野枝展」 ギャラリー21+葉
27日 「Floating 篠塚聖哉展」 フタバ画廊
コンサート
5日 「熱狂の日音楽祭2006」 モーツァルト「ホルン協奏曲第3番」他/ベルリン古楽アカデミー
5日 「熱狂の日音楽祭2006」 モーツァルト「レクイエム」/コルボ
6日 「熱狂の日音楽祭2006」 モーツァルト「ヴェスペレ」他/ノイマン
19日 「ラ・プティット・バンド東京公演」 バッハ「ブランデンブルク協奏曲第4番」他/クイケン
27日 「東京交響楽団第536回定期演奏会」 ショスタコーヴィチ「交響曲第7番」他/キタエンコ
5月は「ぐるっとパス」を購入したことにより、これまで一度も行ったことのない美術館へも足を運びました。(大倉集古館や泉屋博古館など。)また恒例の若冲展も、3期目が始まっています。こちらも忘れないように早めに見てきたいです。
音楽では、やはりまず「熱狂の日」を挙げなくてはなりませんが、キタエンコと東響の「レニングラード」も忘れ難いコンサートでした。と言うこと(?)で、今月もショスタコーヴィチのコンサートを入れてみます。曲は私の大変苦手な「革命」。しかし、指揮は名匠のネーメ・ヤルヴィです。これは期待したいと思います。ちなみに、日フィルを聴くのは数年ぶりです。どんな響きを聴かせてくれるでしょうか。
それでは今月もどうぞ宜しくお願いします。
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