「VOCA展 2009 受賞作家トークVol.2『樫木知子・高木こずえ』」 上野の森美術館

上野の森美術館台東区上野公園1-2
「VOCA展 2009 受賞作家トークVol.2『樫木知子・高木こずえ』」
3/15 15:00~



Vol.1の三瀬夏之介に続きます。VOCA展初日の受賞作家トークより、樫木知子・高木こずえの対談部分をまとめてみました。

「VOCA展 2009 受賞作家トークVol.1『三瀬夏之介』」

[樫木知子(VOCA奨励賞)]

司会 支持体が二枚あるがこれは全体で一つの作品なのか。

樫木 一点一点、それぞれに独立している。二枚で一つではない。

司会 技術的に洗練されているという印象を強く感じる。表面の細かな木目などはどのようにして表現したのか。

樫木 実際に木目を筆で描いた部分とコラージュ風にして貼った部分に分かれている。(後者が3割程度。)ベニアの木目を貼り、そのまま残すこともあるが、あまり奇麗でない木目の時には、薄い着色を施して描くこともある。木目を隠したり開かせたりしているような感覚だ。混ぜ合わせてやっているつもり。

樫木知子「屋上公園」

司会 アクリルの着色の後に何らかの処理をしていると聞くが。

樫木 絵具を付けた後、その塗った絵具を少し落とすようにしてヤスリで表面を削っている。だから常に表面はツルツルになっているはず。

司会 削ることによって生まれた透明感も魅力的だ。その技法はオリジナルのものなのか。

樫木 そう言うわけではない。学生時代、キャンバスの目地を消すためにどうしたら良いかと先生に聞いた時、ヤスリで削る方法を教えてもらった。その方法が自分にあったので今もずっと使っている。

司会 パネル自体がカーブしているが何か理由があるのか。

樫木 筆で引いた線が画面の端に来た時、90度直角の支持体ではそこでとめるのか、さらに横にまで引くのかが自分で良く分からない。だからあえてカーブさせて一本の線が緩やかに続いているような感じに仕上げている。

司会 少女がいたと思ったら、部屋の中に電信柱が立っていたりする。風景はあるのに現実ではないような白昼夢を見ているような気分にもさせられる。人が浮いているのかそれとも立っているのかも判別出来ないような不思議さが魅力的な作品だ。

樫木 そうした面はあるかもしれない。人を描き、それから居場所を探るようにして背景の山や川を描いている。

司会 少女の手足の指が変形しているようにも見えるが。

樫木 人の全体の形のイメージがまずあるので、手足も指もそれに即したもので描いているつもり。実際的な指を描くと、私の描きたい人の雰囲気には合わない。不気味かもしれないが、統一感を考えている。

司会 作品はタイトルが先か、絵のイメージが先なのか。

樫木 絵のイメージが先にある。タイトルはあくまでも後で付ける。

[高木こずえ(府中市美術館賞)]

司会 写真というメディアはいつから使うようになったのか。

高木 高校の時に写真部に入っていた。ただ大学へは写真をやりたいためだけに入ったわけではない。

司会 写真以外の素材を使うことはあるのか。

高木 元々、絵を描くのは好き。ただ美大は自分にとって技術的に難しそうなので諦めた。それに現代アートをどうしてもやりたいという意識もなかった。

司会 初めの頃はどういった写真を撮っていたのか。

高木 モノクロ。銀塩で自分の好きなものばかり撮っていた。

高木こずえ「ground」

司会 今作の技法はどういったものか。

高木 カラーで一度フィルムにおさめ、それを取り込んでデジタル処理している。

司会 様々なモチーフがあるように思えるが。

高木 やはり身近なものを取り込みたいので花や、それに大好きな猫などを入れることが多い。

司会 コラージュの技法について。

高木 コラージュする際、一度色を全部モノクロに変換した上にて、例えば今回であれば金色を帯びた赤で再度統一させていく。また他の作品では別の色を使うことも多い。

司会 作品タイトルの「ground」に込められた意味とは。

高木 これまでは写真を夢中になって撮ってきたが、去年に改めて今後の自分の方向をどうしようかと考えたことがあった。この作品はそうした自分の中の問いの答えでもある。これからの自分の基盤、土台になるようにという点でgroundと名付けた。

司会 作品の中の世界とは。

高木 自分の中に見えて来る世界そのもの。色々なモノが生きて死ぬ、そして土へと返って行くという「生」の循環、そうした部分も表現したかった。

以上です。

作家の言葉は私のような受け手にとって、時に作品に匹敵するような深い印象を与えられることがあります。特に高木こずえに関してはつい先日、馬喰町のTARO NASU(~21日まで)でも個展を見たばかりだったので、より興味深いものがありました。

「高木こずえ 展」 TARO NASU

なおVOCA展全体の感想は、別記事で以下にまとめました。

「VOCA展 2009」 上野の森美術館

*展覧会基本情報
「現代美術の展望 VOCA展2009 -新しい平面の作家たち-」
会場:上野の森美術館
会期:3月15日(日)~3月30日(月)[会期中無休]
時間:10:00~17:00(金曜日のみ19:00閉館、入場は閉館30分前まで。)
料金:一般・大学生:¥500、高校生以下:無料

*次回受賞作家トーク
3/28 15:00~ 浅井祐介、今津景、櫻井えりこ(申し込み不要)
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「VOCA展 2009 受賞作家トークVol.1『三瀬夏之介』」 上野の森美術館

上野の森美術館台東区上野公園1-2
「VOCA展 2009 受賞作家トークVol.1『三瀬夏之介』」
3/15 15:00~



本日より春の上野の到来を告げるVOCA展が上野の森美術館で始まりました。私の拙い感想は後回しにするとして、まずは取り急ぎ同日企画された受賞作家トークより、最高賞のVOCA賞を受賞した三瀬夏之介のセッションの様子を再現したいと思います。トークは会場フロア内にて、作品の前に三瀬、樫木、高木の三作家、及び観客とが向き合い、司会と対談する形式で進みました。

[三瀬夏之介(VOCA賞)]

司会 どういう契機で日本画を取り組むことになったのか。

三瀬 そもそも日本画を学べる高校など殆どないが、自分も高校時代は油絵ばかりを描いていた。当然美大への進学も油画を意識することになる。入学後、前期の基礎実習で油絵、もしくは日本画の双方を学んだが、そこで行った水墨の実習が相当に面白かった。具体的には、自分を360度、スクリーン状に囲む紙に様々な風景を描くというものだが、そのイメージに熱中するとともに、水墨に触れることでかつて自身でやっていた水彩の記憶も思い起こすことになった。これで進路は決定。(笑)油は家でやれば良いと日本画を志すことにした。

司会 墨絵が今の制作の原点になったということなのか。

三瀬 日本画の魅力に惹かれたとは言えども、大学の日本画教育には終始、かなり強い疑念を抱いていた。かつて学生時代、作品を批評し合う合評会が存在したが、そこでも出てくる言葉は「生命がない。」などの観念的な言葉ばかりで技術の話がない。また油画では例えばマティスなどの名画を摂取する実習があるのに対し、自分は地面の土を描いたり、それに鶏を描いてばかりで、一種のコンプレックスのようなものも感じていた。また日本画を離れ、いわゆる現代アートの世界へ目が向いたこともある。それに仲間といわゆる日本画ブームの来る前に、日本画とは何かを問うグループ展などを企画しあったこともあった。自分のしていることは何だろうという意識は常に持っているつもりだ。

司会 京都、奈良は日本画制作の牙城のようなイメージもあるが、そこから何か吸収したものはないのか。

三瀬 当時、反骨心ばかりで日本画を問い直そうとしていた私に、教授は色々と文句を付けてきた。(笑)それが色々な意味で今の糧になっている部分もある。

司会 日本画より逸脱しようとする意識を常に持っているのか。具体的に日本画をどうしようと考えているのか。

三瀬 パネルにはめ込めた、また額縁の中にある支持体という部分からもう一度考え直してみる。膠、顔料のちょっとした差異で絵の景色は一変するが、そうした技術的な面も試行錯誤、突き詰めて行く。ともかく大学では技術を全然教えてくれなかったので。(笑)

司会 一般的な日本画というと、画中の余白や間合いなどを通した緊張感を楽しむ面も多いが、三瀬の作品はそれとは正反対でエネルギッシュでかつモノを埋め尽くす圧倒感がある。

三瀬 指摘の意味の日本画という観点からでは決して正統派ではいないつもりだ。

三瀬夏之介「J」

司会 受賞作「J」について。「J」とは神武天皇の頭文字と聞いたが。

三瀬 それを含め、「J」には色々な意味合いをこめている。もともと日本画を描く過程において、日本画とは何か、また日本画を否定しようと様々な迷いや問を発してきた。そしてその根底には日本の意識、また日本人として絵を描くことの問題という問いを持ち続けてきた部分もあった。「J」はJapanのJかもしれない。

司会 三メートルほどの巨大な紙を使っているが。

三瀬 VOCAの規定で縦2メートル50センチというものがあるので、実際は上部を詰めている。

司会 中はコラージュの技法も多く用いられている。

三瀬 4種類ほどの様々な和紙を用いている。もちろんそれは絵を描くための上質な紙であり、また時には襖に使う紙であったりもする。

司会 印刷物もちらほら見受けられるが。

三瀬 連想ゲームの意識で色々な紙を使っているつもり。直感を大切にしたい。例えばJで用いられる大仏の手だが、これも大仏を見ていて手が山のように見えたから組み込んでいる。またUFOや魔人などを出すのも、あえて全体を意識せずに一度、絵の世界を不安定にしてあえて壊したいという願望があるから。無造作にスケッチを貼ることもある。

司会 作品には様々なモチーフが埋め込まれ、それらが組み合わさることで膨大な情報を発信している。三瀬の魅力はそここそあるのではなかろうか。

三瀬 壊す意識と言えども、最終的にはあるべき姿、ようは安定を目指すことはもちろん意識している。良く構図の面で混沌とし過ぎている云々と指摘を受けることがあるが、何とか同じ空間に不安定なモノを馴染ませようとする努力はしているつもりだ。

司会 今回のVOCA展で気になった作家はいるか。

三瀬 今、一緒に並んで座っている奨励賞の樫木さん、また府中市美術館賞の高木さんには共通したものを感じるがどうだろうか。例えば高木さんであれば、形もバラバラな図像が全体の中で永久に動いているかのようなイメージ。また一推しは浅井祐介。ひたすら描き続け、それらが分裂するように増殖していく、ようは描かなくては何も始まらず、ひたすら絵を描き続けたいというような運動を常にしているという姿勢にも多いに引きつけられる。

会場質問 絵の中にハシゴや階段がたくさんあるのは何故か。

三瀬 小さい頃のおまじないから由来している。当時、ノストラダムス云々で世紀末ブームがあったが、未来を知ろうというおまじないが奈良界隈で流行った。(笑)それは砂山に小さなハシゴを一晩刺して、朝そのままなら良い方向が、また倒れていたら死んでしまうという命をかけたもの。(笑)そのイメージを大切にしている。

以上です。

司会の方との呼吸が若干噛み合なかったせいか、いつもの快活な三瀬節とまでいきませんでしたが、それでも随所に笑いありの話で、あっという間に三、四十分が過ぎてしまいました。なおその後、同会場内で引き続き行われた樫木、高木の両氏のトークについては、下のリンク先エントリにまとめています。合わせてご覧下されば幸いです。

「VOCA展 2009 受賞作家トークVol.2『樫木知子・高木こずえ』」

なお受賞作家トークは次回、28日(土)午後3時より、三瀬氏も推薦の浅井祐介、また今津景、櫻井りえこの三名が予定されています。展示入場料の他は申し込みなど一切不要のイベントです。興味のある方はご参加下さい。

*展覧会基本情報
「現代美術の展望 VOCA展2009 -新しい平面の作家たち-」
会場:上野の森美術館
会期:3月15日(日)~3月30日(月)[会期中無休]
時間:10:00~17:00(金曜日のみ19:00閉館、入場は閉館30分前まで。)
料金:一般・大学生:¥500、高校生以下:無料

*関連エントリ(拙ブログ)
「三瀬夏之介 アーティストトーク」 佐藤美術館
「三瀬夏之介 - 冬の夏 - 」 佐藤美術館

*関連リンク(佐藤美術館個展時の対談を掲載)
「Round About 第61回 三瀬夏之介」(アートアクセス)
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「三瀬夏之介 - 冬の夏 - 」 佐藤美術館

佐藤美術館新宿区大京町31-10
「三瀬夏之介 - 冬の夏 - 」
1/15-2/22(会期終了)



結局、会期中には感想をまとめきれませんでしたが、今、改めて展示に接して思ったことを『記録』として残しておきます。三瀬夏之介の個展へは計三回ほど行ってきました。

[一回目(会期一週目)]

パネル34枚の「奇景」からしてともかく戸惑いを覚える。景色が描かれているにも関わらず、一瞥しただけでは何も開けてこない。奇岩奇石が視界を遮り、巨大魔人が唐突に出現して暴れていると思うと、一転しての余白に満ちた場が広がっていた。まさにカオス。こうした作品はその細部へ入りこむことで、また見る側の地を確保出来るものだが、そもそも天地無用の空間の何処に入れるのかすら分からない。作品に距離を置かれているどころか、一般的な鑑賞行為を拒否されているような気がした。一方、再現アトリエなどの4階インスタレーションは、夏之介の『分からない』画中空間がそのまま立体絵巻となって展開されている。どこを歩くのか、どれが見るべき作品なのか、それすら迷う混沌とした展示室だった。立体はコーネルの小箱のよう。出来ることならドールハウスのような小屋の中へ逃げ込みたい。



[二回目(作家アーティストトーク開催日)]

「三瀬夏之介 アーティストトーク」(拙ブログ)

作家の話を伺うことで、一回目に感じた戸惑いは一度ながらも解消されていく。それにしてもご本人が意外にも気さくな方で驚愕。優しい笑顔のどこにあのような超ど級のスケールを生み出す力があるのだろうか。紙を絨毯のように敷き、筆をとりつつ、半ば乱雑に事物を入れる様は、作品を自由に操る『主』としての貫禄すら漂っていた。魔人は三瀬の化身かもしれない。



[三回目(会期最終日)]

見納めにということで最終日に三たび信濃町へと向かう。スケールをあえて破綻させた「奇景」に登場する魔人の横顔がやはり本人に似ているように思えてならない。4階のアトリエは前々回とは打って変わって、混沌と言うよりも何らかの責苦を受ける不気味な部屋のように思えた。中央の椅子はまるで拷問台。オルガンの調べはヘルマン・ニッチの世界を呼び込んで来る。樹脂や絵具の激しく散る抽象絵画はあたかも血の付いた壁のようだった。睨みつけるカラスのオブジェは、ここで果てた人間を死体を狙っているのかもしれない。標本は古び、禁断の遺跡の中へ足を踏み入れてしまったような感覚さえ覚えた。見る者を撥ね付ける、作ると言うよりも滅びの美学を思わせる『廃墟』は、美術館の湿った空気までを支配していた。

今更になってこうした印象を書いたのにはもちろん理由があります。それは言うまでもなく、明日から三瀬が最高賞を受賞したVOCA展が始まるからです。三瀬の言葉を借りれば『絵描き』本人のプライベートな空間を覗き込んだような佐藤美術館とは異なり、壁面に絵画作品の並ぶいかにも『展示然』としたVOCAでは、また受容の形が全然異なってくるのではないでしょうか。その違いにも注視しながら、早速、会期初日に行ってくるつもりです。

なお本展覧会中に行われた三瀬本人と佐藤美術館学芸部長、立島惠氏の対談の様子が、以下のサイトに掲載されています。そちらも合わせてご覧ください。

「Round About 第61回 三瀬夏之介」(アートアクセス)
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「伊庭靖子 - まばゆさの在処 - 」 神奈川県立近代美術館 鎌倉

神奈川県立近代美術館 鎌倉神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-53
「伊庭靖子 - まばゆさの在処 - 」
2/14-3/22



今一推しの展覧会です。「自ら撮影した果物、プリン、クッションなどの素材を絵画へと転換する」(ちらしより引用、一部改変。)、伊庭靖子の個展へ行ってきました。



対象を厳密な写実で表す絵画はそう珍しくありませんが、差し込む光や影、それに周囲の空気までを一種のフェイクとして平面におこす作家はあまり他にいません。限りなく現実に近い非現実の創出こそ伊庭の本質です。光を纏い、そのプルンとした感触までも表したプリンは本物よりもより瑞々しく、白いシーツに包まれたクッションのフカフカとした様は、もはや視覚だけでは捉えきれない触覚の世界にまで絵を立ち入らせていました。虚空に置かれ、うっすらとした青みを帯びた皿は、全く澱みない清潔感を醸し出しながら、冷ややかでかつ凛とした佇まいを演出しています。シーツで揺らめく光の陰影、または果実の熟れる高い質感は、それ自体の持つ美しさをもゆうに超えてはいないでしょうか。フェルメールのコンテンポラリー版としても差し支えありません。

フェイクとしての美しさは、対象を一時写真に収め、それから絵画におこす作業そのものにも由来しているのでしょうか。ファインダーを通すことで表れるブレは、例えば最新作の陶器の表面を描いた作品でも見て取ることが出来ます。青い文様の描かれた器の表面には白い光の反射する痕跡が残り、それの揺らめきまでをも再現することで、一種の像としてのモチーフを生み出していました。被写体にカメラを近づけ、焦点の定まらなくなった時に開ける未知のイメージが描かれています。陶器は光に微睡み、何とも言えない静寂の気配も呼び寄せていました。



ある程度定まったモチーフのみを描き続けているストイックな姿勢にも好感が持てます。椿会、BASEの個展と見続けてきましたが、今回もじわじわと余韻の残るような深い感銘を味わえました。写実の観点からすれば足りない部分には、むしろ見る側の自由な想像力で補われるわけです。



22日までの開催されています。改めてお見逃しなきよう強くおすすめします。
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「清方美の誕生 - 下絵等の比較(第一期)」 鎌倉市鏑木清方記念美術館

鎌倉市鏑木清方記念美術館神奈川県鎌倉市雪ノ下1-5-25
「清方美の誕生 - 下絵等の比較(第一期)」
2/7-3/25



主に肖像画の下絵を参照します。鎌倉市鏑木清方記念美術館で開催中の「清方美の誕生 - 下絵等の比較(第一期)」へ行ってきました。

目玉は修復を経て初めて公開された「薄雪 下絵」(上チラシ作品)です。近松門左衛門の「冥土の飛脚」を題材に、男女の抱擁する姿の描かれた本作は、刹那的な両者の情熱の高まりを見事に示しています。このずしりと重みを感じる質感表現には、清方の的確なデッサン力を伺い知れるのではないでしょうか。乱れた衣の様も流麗であり、また官能的でした。



清方美と言われると美人画ばかりを想像してしまいますが、意外にも男性肖像が多く出ているのも本展示の特徴かもしれません。本画と下絵が並ぶ「慶喜恭順」は印象に残りました。やや前に屈みながらも、気位を失わない慶喜が静かに座っています。ちなみに実際に清方は、この作品を描く30年も前に、慶喜が寛永寺に謹慎する様を見たことがあるそうです。そうした記憶も蘇らせていたのかもしれません。似絵の伝統すら思わせる見事な一枚でした。

「雨華庵風流」と聞いてピンと来たらあなたも立派な抱一ファンです。出家して頭を剃り上げた抱一が、楽器を前にしながら、何故か三角座りの格好をして居る様子が描かれています。清方がまさか抱一を手がけていたとは知りませんでした。

肖像下絵の他、華やかな牡丹のデッサンなども紹介されています。

神奈川県美鎌倉館へ行くために少し立ち寄ったつもりでしたが、思いの外にじっくりと見入ってしまいました。

「鏑木清方/新潮日本美術文庫」

25日までの開催です。*3/28から4/22は第二期。
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「高木こずえ 展」 TARO NASU

TARO NASU千代田区東神田1-2-11
「高木こずえ 展」
2/27-3/21



曼荼羅をイメージしたというフォトコラージュが篝火のように煌めきます。高木こずえの新作写真展へ行ってきました。

夜、人里離れた森の奥にてボッと炎が舞い上がる様を想像して下さい。黒を背景に、植物や動物、または人形などのモチーフを組み合わせて一種の装飾的な図像を作る様は、まるで暗闇の中で輝く炎でした。個々の形は朱の色の渦に呑み込まれ、殆ど原型をとどめないままに絡み合って、抽象と具象の間で揺れる妖し気なイメージを生み出しています。遠くからは細部を伺えませんが、近づいて目を凝らすと、それ自体に完結した物語が紡がれているのかもしれません。

曼荼羅よりも、私には万華鏡を覗いた雰囲気に近いような気がします。ミクロのイメージが凝縮されていました。

高木は本年のVOCA展にて府中市美術鑑賞を受賞しました。

今月21日までの開催です。
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「源氏千年と物語絵」 永青文庫

永青文庫文京区目白台1-1-1
「源氏千年と物語絵」
1/10-3/15



源氏物語に関する資料、及び他の物語絵などを紹介します。永青文庫で開催中の「源氏千年と物語絵」へ行ってきました。

 

源氏の展示と聞くと、直ぐさま源氏絵の並ぶ様を連想しますが、今回は永青文庫の主、細川家の誇る桃山期の「最高の源氏学者」(チラシより引用)、細川幽斎(1534-1610)の手がけた様々な研究資料がメインでした。中でも幽斎の書写した「源氏物語」五十五冊と、それを収めた蒔箱には目を奪われます。流麗な文字によって記された大意、そして細かな注釈など、源氏に対する幽斎の熱意と敬意を感じ取れるのではないでしょうか。箱を彩る梅の花々もまた鮮やかでした。



よって物語絵に関しては、主に源氏以外の作品が紹介されています。中でも見るべきは、修復を経て、約5年ぶりに公開されたという重文の「長谷雄草紙」です。これは平安時代の実在した文学者、紀長谷雄(きのはせお)を主人公とする絵巻で、彼が男に変装した鬼と双六勝負に勝ち、百日間は契ってはならない条件で美女を得るものの、途中たまらずに関係を持つことで女は消え、あげくの果てには後に鬼より約束違反を責められるという仰天ストーリーが、生き生きとした精緻な筆にて表されています。展示の最後は、ちょうど鬼に問いつめられる紀長谷雄が焦りながら、神に祈りを捧げて退散を願うシーンでした。また彼の念じた神は、もう一点紹介されていた「北野天神縁起絵巻」にも登場する道真公であったそうです。自分で約束を反故にしたばかりか、最後の必至の神頼みとは何とも虫の良い話ではないでしょうか。ちなみに両絵巻とも巻替えでの一部分のみの公開です。ご注意下さい。



永青文庫へは初めて行きました。鬱蒼とした茂みの中の建物の外観をはじめ、古びて傷んだ書棚の並ぶ内部空間などは、廃屋風ならぬ隠れ家と言った趣が感じられます。実際、隣接の野間のイメージで出向いたので、その秘境的な佇まいには驚かされるものもありました。



HPの記載の通り、お出かけには目白から椿山荘へ向かうバスが便利のようです。行きは副都心線雑司ヶ谷駅から目白通りを、帰りは新江戸川公園から神田川沿いを江戸川橋駅まで歩きましたが、両者とも早歩き気味でたっぷり15分はかかりました。雰囲気は悪くありませんが、一人歩きするにはやや寂しいところです。

「源氏物語1/新潮文庫/円地文子訳」

今更ながら源氏を円地訳でほぼ読み終えたところなので、私としてはタイムリーな展示ともなりました。次の日曜日、15日まで開催されています。
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「風間サチコ - 昭和残像伝 - 」 無人島プロダクション

無人島プロダクション杉並区高円寺南3-58-15 平間ビル3F)
「風間サチコ - 昭和残像伝 - 」
2/4-3/14



「木版画の手法」(公式HPより引用)で、昭和30年代の三池炭坑の記憶を取り戻します。風間サチコの新作個展を見てきました。

冒頭の二点、実際に当時、現地で発売されていたという土産品の「石炭人形」から世界は始まりました。太郎、そして次郎と名付けられた彼らは、風間の描く三池炭坑を支える一介の労働者として必至に働きはじめます。頭にはライトをつけたヘルメットをかぶり、時にサイボーグ化した手足にて狭い坑道の中を力強く行き来する様子は、労働というよりも格闘と言った方が適切なのかもしれません。多発した事故など、一時は日本の屋台骨を支えながらも斜陽を迎えていた彼の時代の炭坑を、どちらかというと決してペシニズム一辺倒ではなく、半ば敬意を払いながら蘇らせていました。悲哀と活力は決して相反するだけのものではなかったようです。

モチーフ云々以前に、建物の細やかな陰影など、木版画自体の質感表現にも非常に見入るべき点が数多く存在します。また風間の個展を見たのは初めてでしたが、会場の過去作品ファイルを眺めて驚きました。ちょうど2年前、文化庁買い上げ展で出品していた巨大な『都市軍艦』、「風雲13号地」(下図版)をご記憶の方も多いのではないでしょうか。

(本展不出品)

手狭な無人島プロダクションと言うことで点数(全5、6点)は望めませんが、今後とも追っかけたい作家の一人であることは間違いなさそうです。

14日、土曜日まで開催されています。
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「チャロー!インディア - インド美術の新時代 - 」 森美術館

森美術館港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー53階)
「チャロー!インディア - インド美術の新時代 - 」
2008/11/22-2009/3/15



インドを舞台に活躍する27組のアーティストを紹介します。森美術館で開催中の「チャロー!インディア - インド美術の新時代 - 」へ行ってきました。

インスタレーション、絵画、映像、オブジェなど、インドのアートシーンを多様なジャンルから切り取る展覧会です。以下、印象深かった作家を挙げてみました。



バールティ・ケール
冒頭に登場する巨大な象のオブジェ。我々からするともはや象はインドの記号だが、その表面には精子のモチーフが無数にちりばめられていた。メスの象に身体装飾としての精子と、ジェンダーの視点も考えさせられる。

N・S・ハルシャ
会場全体に計10個設置された監視員用の椅子。そこに様々な趣向をこらした装飾が施される。作品に座る監視員を見る鑑賞者。簡単極まりない方法で主客を逆転させた展示の在り方を提示していた。

ジティッシュ・カッラト
かつてのムンバイの移動手段でポピュラーだった三輪車を『白骨化』させる。形を失った車はもはや遺跡ともなっていた。

A・バラスブラマニアム
展示室壁面に貝殻を埋め込む。作家の何らかの訴えが聞こえて来るスピーカーのようだ。



ヴィヴァン・スンダラム
都市にひしめく無数のゴミにて一種のランドアートを作り上げる。以前、渋谷のワンダーサイトで見たムニーズの手法に近い。色とりどりのバケツや空き缶が絵画の『素材』となっていた。見立てのアート。

トゥシャール・ジョーグ
郵便ポスト兼サングラス販売ボックス。インドで問題となる無届け露天商のための解決策を提示した作品。警察が取締りに来たら素早く閉め、ポストに仕立ててごまかすのだろう。何とも皮肉。

プシュパマラ・N
南インド先住民に注目したポートレート。インドとは一口に言えども、その実は多種多様であることが良く分かる。



スボード・グプタ
白銀に輝く金属器を大量に吊るしたオブジェ。ホワイトキューブにも映えて美しい。その形はまるで蓑虫のようだった。

ヘマ・ウパディヤイ
バラックや古びたビルも並ぶインドのスラムを模型でつくり、その下に52階よりの東京の実景を合わせて提示する。混沌として美しいとは言えないインドの架空の町並みは、ひたすら横へ膨張し続けて引き締まらない澱んだ東京の夕景と大差ないのかもしれない。(なお景色は日没後のみ公開)

シルパ・グプタ 
大掛かりな双方向型の映像インスタレーション。シルエット状に映る観客を取り込んで『ゴミ』をキーワードとした映像が流れる。上からゴミが落ちてきて観客にまとわりついていた。途中、偶然と一人になったが、全てのゴミが自分に引っ付いてきて驚いた。最後にはゴミに呑まれて影形もなく消え失せてしまう。

ジャガンナート・パンダ
一見するところ単なるアクリル画にしか思えないが、細部に目を凝らすと細やかな刺繍が施されていた。また一本の木の枝先は時に獣の手となり、古来の神々が舞うモチーフ自体も面白い。

以上です。

時間に余裕がなかったので、無料音声ガイドを借りてじっくり見るまでに至りませんでしたが、それでも素直に楽しめる作品が多いように思えました。インドの土着性、そして社会問題へ鋭く迫るものも少なくありませんが、メッセージ性に優位な状況はそう他の地域の現代アートと変わるものではありません。むしろこの手の『ご当地もの』系の中では、言わば普遍的な手法を確立し得たアートが目立っていたのではないでしょうか。地域性に由来する違和感はあまり覚えませんでした。

3月15日まで開催されています。
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「生活と芸術 - アーツ&クラフツ展」 東京都美術館

東京都美術館台東区上野公園8-36
「生活と芸術 - アーツ&クラフツ展 ウィリアム・モリスから民芸まで」
1/24-4/5



19世紀後半にイギリスで興ったデザイン運動「アーツ&クラフツ」の広がりを、イギリス、ヨーロッパ、そして日本までに手を広げてひも解きます。(ちらしより一部引用)東京都美術館で開催中の「アーツ&クラフツ」展へ行ってきました。



モリスに始まり棟方志功に終わるというバラエティーに富んだ展示でしたが、色も形にも様々なステンドグラスや家具、壺、さらにはタペストリーなどを次々と愛でるのはそう興ざめすることでもありません。入口の地階ではイギリス(110点)、そして階段を一つあがったフロアにヨーロッパ(50点)が、そして最終の二階部分には日本の工芸品(120点)が紹介されています。また点数を見ても明らかなように、最後の日本のセクションが意外に充実していました。特に日本最初の民芸館、「三国荘」(1928)の再現展示は圧巻の一言です。和洋折衷から朝鮮の意匠までを取り入れた工芸の数々が、エキゾチックにも映る日本家屋にてズラリと並べられています。残念ながら中に入ることは叶いませんが、遠目に見ても徳利や鉢などの意匠は、今すぐにでも手元に寄せ手使ってみたくなるようなものばかりでした。



順路は逆になりますが、アーツ&クラフツ運動の発祥の地、イギリスの一角ではロセッティの「聖ゲオルギウス伝ステンドグラス・パネル」(1862)全6枚が忘れられません。そもそもロセッティはモリスとともに、運動の泰斗となるべくモリス・マーシャルフォークナー商会(1961)を立ち上げましたが、その最初の重要な仕事が教会のステンドグラス制作であったのだそうです。ゲオルギウスがサブラ姫を倒そうとドラゴンを切り裂く様子が、色鮮やかな様で描かれています。鉄の肘あてをドラゴンの口に付け、サーベルをドラゴンの首に力強く振り下ろしていました。

都美一、天井の高い中階段前のホールには、モリスとヘンリー・ダールの描いた巨大なタペストリー「果樹園、あるいは四季」(1890)が展示されています。鬱蒼と生い茂る緑深い果樹園を背に、まさにラファエル前派風の美しい4名の女性が立っていました。ぶどう、洋梨はもとより、足元にはスミレ、パンジーなども鮮やかに咲き誇ります。艶やかな植物の群れ、そしてそれに由来する半ば花鳥画風の文様こそアーツ&クラフツの本流です。例えばタペストリーを単なる装飾として捉えるのではなく、それ自体を自然の風や匂いに見立てることにも主眼が置かれていたのかもしれません。

「もっと知りたいウィリアム・モリスとアーツ&クラフツ/藤田治彦/東京美術」

最後になりますが、お馴染み東京美術より、本展示の理解を深めるのに最適な一冊が刊行されました。色鮮やかな図版はもとより、展示ではやや消化不良気味だったモリスと仲間の生き様、そして思想面の解説が充実しています。こちらも是非ご参照下さい。



こうした展覧会へ頻繁に足を運んでいるわけではありませんが、率直なところ今回ほど楽しめた工芸展もありませんでした。チラシのデザインもなかなか洒落ています。

4月5日までの開催です。今更ながらおすすめします。
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「東京学芸大学日本画研究室 卒業・終了制作展2009」 佐藤美術館

佐藤美術館新宿区大京町31-10
「東京学芸大学日本画研究室 卒業・終了制作展2009」
2/28-3/8



毎年、この美術館を会場に卒業制作展を開催しているそうです。「東京学芸大学日本画研究室 卒業・終了制作展2009」を見てきました。



紹介されているのは、同大の研究室で学んだ学部卒業生6名、院生4名の計10名です。以下、私が印象に残った作品を挙げてみました。


土屋由子(大学院2年)「自らそうであること - 内在と自然 - 」

おそらくは胡粉の白が浮かび上がる二面パネルの作品。交差する直線、上部の黒など、一見したところ抽象性が強いが、コラージュ風に配された文字や楽譜、さらには顔料自体の滲みや濃淡などによって、色の向こうから景色が開けてくるのが面白い。じっくり見ていると心地良い風の流れて来るような水墨の風景画を連想する。


劉丹(大学院2年)「色の付いた夢」

深い愛情によって結ばれた母とこどもが、両者を祝福するかのような朱色に包まれて眠りこけている。母の手を枕に眠るこどもの表情は安心しきっていて優しく、子どもと遊び疲れてしまったのか、頭に手を当てて目を閉じる母のそれも穏やかだった。蛍のように舞う白のドットも幻想的な世界を演出している。


平尾真実(学部4年)「幼いいいわけ」

丹念に描き込まれた背景などの細部に驚嘆するも、花びらの散るカーテンに越しに佇む少年の力強い存在感には目を奪われてしまった。セピア色に包まれた様はどこかノスタルジック。


久保田淳(学部4年)「KRAFTWELK」

縦に何本ものびる金色の線と、背景に広がるエメラルドグリーンの対比が眩しい。その様子はまるで深い森を背景に立ち並ぶ竹林のよう。ちなみに金色の線は銅や真鍮の箔を用いているとのことだった。(またグリーンも絵具ではなく樹脂を使っている。)追求された表現技法に感服。

全体を通してともかく感じ入ったのは、モチーフ云々よりも、各々に深く練られた画肌そのものの高い質感です。また学部生では、応挙や暁斎などの日本の名画の模写も紹介されていました。下は歌川豊広の作を模写した富田一菜子の作品ですが、それを見ても、彼女らの持つ見事な画力を確認出来るというものではないでしょうか。



なお単に作品を並べるだけでなく、制作に使われる筆や刷毛などを並べ、パネルにて日本画の技法を紹介するコーナーも用いられています。この辺の工夫は大いに助かるところです。

明後日8日までの開催です。なお入場は無料です。

*写真の撮影と掲載は美術館の許可をいただいています。
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「高梨豊 - 光のフィールドノート - 」 東京国立近代美術館

東京国立近代美術館千代田区北の丸公園3-1
「高梨豊 - 光のフィールドノート - 」
1/20-3/8



写真家、高梨豊(1935~)が、高度経済成長期より現代に至るまでの日本を撮り続けます。東京国立近代美術館で開催中の「高梨豊 - 光のフィールドノート - 」を見てきました。

展示では主に時代、テーマ毎に分けられた15シリーズ、約250点の作品が登場します。以下、そのタイトルを挙げてみました。

「somethin’ else」(1950s-1960)/「オツカレサマ」(1964)/「東京人」(1964-1965)/「都市へ」(1960s-1974)/「町」(1975-1977)/「東京人2」(1978-1983)/「新宿/都市のテキスト」(1982-1983)/「初國」(1983-1992)/「都の貌」(1988-1989)/「地名論」(1994-2000)/「NEXT」(1988)/「ノスタルジア」(2002-2004)/「WINDSCAPE」(2001-2003)/「囲市」(2004-2006)/「silver passin」(2008-)



私自身、彼の追った日本を全て体験しているわけではありませんが、言わば前史において印象深いのは、60年代の東京を捉えた「東京人」シリーズです。今をゆうに上回る駅の激しいラッシュを写した「新宿駅」(1965)には、日本中の富を巻き込んで発展しつつあった青年期の東京の熱気を肌で感じることが出来ないでしょうか。また同じく早朝、人に溢れた駅のミルクスタンドにて背広姿の男性が一気に牛乳を飲み干す「東京駅」(1965)などにも、まさに高度成長期を支えた人々の力強さと反面の悲哀が表れています。エキナカに整備された現在の駅とは異なる、欲望も露となった人間のドラマを感じました。



カラー写真も登場する80年代に入ると、私の中でも既視感を覚える日本の姿が登場します。ビルに挟まれた都心の木造建築を捉えた「千代田区淡路町 加島屋酒店」(1977)では、今も神田界隈を歩けば目にしそうな何気ない日常が写し出されていました。また「東京人」より十数年後、再び東京をテーマとした「東京人2」では、60年代より変容した東京の景色が鮮明に記録されています。ここにはかつて見た泥臭さは失われ、代わりにどこか尖った、無機質な街の連なりが目に刺さるように示されていました。ひょっとすると現代の東京は、高梨の述べる「無菌室の均質性」の時代、つまりは80年代の延長上にあるのかもしれません。鋭利な幾何学模様が交差する、寒々しい大都会の景色が誕生していました。



最新作には東京郊外も取り上げられています。今、こうした郊外ほど、見苦しいほど雑然としながら、また一方では整然とし過ぎた、両極端に無個性的な場所はありませんが、高梨は特にその前者に注視して街を写し出していました。ギラギラしたサラ金やチェーン店の看板、だらりと釣り下がる電線、そして溢れたゴミ集積所に群がるカラスと、もはやお馴染み景色が淡々と続いていました。

なおここでは東京の作品ばかりを挙げましたが、沖縄などの各地の光景、または一転しての「next」と呼ばれる著名人のポートレートなども紹介されています。



『昭和の写真』も少なくありませんが、会場には若い方の姿が多く目に映りました。

「囲市/高梨豊」

3月8日まで開催されています。
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「特別公開 横山大観『生々流転』」 東京国立近代美術館

東京国立近代美術館千代田区北の丸公園3-1
特設ギャラリー「特別公開 横山大観『生々流転』」(常設展)
1/20-3/8



東近美ご自慢の傑作が公開中です。東京国立近代美術館の所蔵作品展より、横山大観の「生々流転」を見てきました。

(向こう側の壁まで続きます。この長さで一巻です。)

毎年公開されているので目新しさこそありませんが、全長40メートルにも及ぶ一大絵巻はさすがに見応えがあります。大気より川が生成し、生き物たちの競演を経て、人里離れた大海原の彼岸にて龍が舞うという壮大なスケールを、大観は細やかなタッチにて表しました。同美術館の常設は事前に申し出れば撮影が可能です。以下、水の旅を追体験してみました。


大気の生成。靄が滲み、木々を覆います。朦朧体を駆使した大観ならではの茫洋たる表現です。


一筋の水は川を生み出しました。切り立つ崖を洗って勇ましく進み始めます。


猿の家族がひょっこり顔を見せていました。


いよいよ人間の登場です。山深き桟橋にて木こりが薪を運びます。


山を抜け、川は平地へと到達しました。大河となり悠々と流れ出します。


河口付近。舟を力一杯引く漁夫たちの姿も確認出来ます。


二羽の海鳥が彼方を見つめていました。波のうねる海はここで彼岸の世界へと進み行きます。


激しくのたうちまわる波頭から龍が舞います。水の旅はこの後登場する巨大な渦に巻き込まれて終焉を迎えました。

なお「生々流転」の画像は、以下のリンク先でも紹介されています。そちらも合わせてご覧ください。

「生々流転」(東京国立近代美術館特設コンテンツ)

3月8日までの公開です。
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2009年3月の予定

記録編に続きます。今月の予定を整理しました。

展覧会

「源氏千年と物語絵」 永青文庫(~3/15)
「チャロー!インディア:インド美術の新時代」 森美術館(~3/15)
「上村松園・松篁・淳之 三代展」 日本橋高島屋(3/4~16)
「伊庭靖子展」 神奈川県立近代美術館鎌倉(~3/22)
「源氏物語千年紀 石山寺の美」 そごう美術館(3/7~29)
「第28回 損保ジャパン美術財団選抜奨励展」 損保ジャパン東郷青児美術館(3/7~29)
「東本願寺の至宝展」 日本橋高島屋(3/18~30)
「ピカソとクレーの生きた時代」 Bunkamura ザ・ミュージアム(~3/22)
「近代日本画のロマン 小杉放菴と大観」 出光美術館(~3/22)
「ジョアン・ミロ展」 大丸ミュージアム東京(3/5~3/22)
「VOCA展2009」 上野の森美術館(3/15~30)
「生活と芸術 アーツ&クラフツ展」 東京都美術館(~4/5)
「アンドレ・ボーシャン」 ニューオータニ美術館(~4/12)
「平泉 みちのくの浄土」 世田谷美術館(3/14~4/19)
「桜さくらサクラ」 山種美術館(3/7~5/17)
「ルーヴル美術館展 17世紀ヨーロッパ絵画」 国立西洋美術館(~6/14)

ギャラリー

「佐々木加奈子 - Drifted」 MA2 Gallery(~3/14)
「高木こずえ展」 TARO NASU(~3/21)
「第3回 shiseido art egg 小野耕石」 資生堂ギャラリー(3/6~29)
「小西真奈 Portraits」 ARATANIURANO(~4/4)
「大庭大介 - The Light Field」 SCAI THE BATHHOUSE(3/6~4/4)
「青山悟 - Glitter Pieces #1-22:連鎖/表裏」 ミヅマアートギャラリー(3/11~4/11)
「清水朝子展」 和田画廊(3/16~4/5)

コンサート

未定



まず今月は日本橋高島屋に注目です。田渕俊夫展の記憶も新しい同店ホールにて、上村三代展と東本願寺展という二つの興味深い展覧会が開催されます。詳細は今ひとつ不明ですが、例えば前者では松柏美術館のコレクションを中心とした企画になるそうです。会場の都合上、雰囲気のある展示は望めませんが、松園ファンとしても見逃せない展覧会になること間違いありません。これは楽しみです。



今年も春の上野を飾る現代アート展、VOCAの季節がやってきました。もちろん注目すべきは何と言ってもVOCA賞に輝いた三瀬夏之介でしょう。今回は観客を半ば戸惑わせた、あえて『開けない』佐藤美術館の個展とは正反対の、他作家との真っ向勝負を楽しむことが出来そうです。

モダン・アート展が開催中止 金融危機の影響で(産経ニュース)

さてしばらく前のニュースになりますが、文化村で秋に開催が予定されていた「モダン・アート展」が中止になったことをご存知でしょうか。主催がモルガンということもありますが、金融恐慌は展覧会の興行に関しても影響を及ぼしているようです。ちなみに代替の展覧会のアナウンスはまだありません。(同館スケジュールを見ても秋の二ヶ月が抜けています。)どうなるのでしょうか。

ギャラリーではミヅマの青山悟、アラタニウラノの小西、そしてSCAIの大庭と要チェックの展示が目白押しです。ちなみに大庭は、恵比寿のマジカルでも同時期に個展を開催します。対照的なスペースでもあるので、それをどう使い分けるかにも注視したいところです。



数ヶ月にわたり閉鎖していた木場のMOTが21日、全面リニューアルオープンを迎えます。次回企画展は4月よりの池田亮司展ですが、年度内は常設が何と無料です。初日には名和晃平のアーティストトーク(こちらも無料!)もあるそうなので、少し見てこられればと思います。

青山ユニマット美術館、及びカザルスホールが閉鎖

先だっても記事にした青山ユニマット美術館がいよいよ今月末にて閉鎖します。常設のコレクションを一応の見納めとしておきたいです。

それでは今月もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
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2009年2月の記録

毎月恒例、私的スケジュール帳「予定と振り返り」です。まずは記録編を挙げてみました。

展覧会

「高梨豊 光のフィールドノート」 東京国立近代美術館
「松岡映丘とその一門」 山種美術館
「マーク・ロスコ 瞑想する絵画」(プレビュー) 川村記念美術館
◯「国宝 三井寺展」 サントリー美術館
「三瀬夏之介 - 冬の夏 - 」アーティストトーク) 佐藤美術館
・「十二の旅/◎難波田史男展」 世田谷美術館
「特別展 妙心寺」(後期展示) 東京国立博物館
「近代の屏風絵」(前期) 泉屋博古館分館

ギャラリー

◯「上條花梨展」 Megumi Ogita Gallery
◯「さわひらき展」 オオタファインアーツ
「田中朝子 - index - 」 高島屋東京店6階 美術画廊X
「大和由佳 - 存在の満ち欠け - 」 ニュートロン東京
「棚田康司 - 結ぶ少女 - 」 ミヅマアートギャラリー
「寺田真由美 展」 BASE GALLERY
「樋口佳絵 - エンシンリョク - 」 西村画廊
「佐々木加奈子 - オキナワ アーク - 」 資生堂ギャラリー
「8人の新、アーティスト展」 ギャラリー・ショウ
「アンテナ - トコ世ノシロウツシ」 TSCA KASHIWA
「イェッペ・ハイン - Kuru Kuru」 SCAI
「Mr. FREEDOM X」 A+ アプリュス

コンサート

「東京シティ・フィル第226回定期演奏会」 「ハイドン:天地創造」 飯守泰次郎(20日)
「オーケストラ・ダスビダーニャ第16回定期演奏会」 「ショスタコーヴィチ:交響曲第10番」他 長田雅人(15日)
◎「NHK交響楽団第1640回定期公演」 「スメタナ:わが祖国」 エリシュカ(7日)

以下は記事でまとめられなかった展示、コンサートの簡単な感想です。



国宝三井寺展@サントリー美術館
仏教美術に疎い私でも、思わず身震いしてしまいそうになるほど名品揃いの展覧会。秘仏が臆することなく公開される様は有り難いばかり。ただしこの展示をするのにサントリーはあまりにも狭すぎた。(東博平成館を使って欲しかった。)仏像に続き、階下に揃う屏風絵群はまさに圧巻。出来れば後期展示中の応挙の山水図も見に行きたい。(3/15まで)



上條花梨展@Megumi Ogita Gallery
実は今回初めて足を踏み入れたギャラリー。おそらく地図なしではまず見つけられそうもない『凄い』場所にあった。ともかく感心するのは、丁寧に描き込まれた事物の存在感。人形のようなモチーフはあまり好きではないが、画肌の質感を目に焼き付けるだけでも稀な充足感を味わえる。次回展も楽しみ。

さわひらき展@オオタファインアーツ
大好きなさわの個展。映像と平行して置かれた部屋のオブジェがイメージを膨らませる。立て掛けられた看板のようなスクリーンには、どこか懐かしくも思える海の景色が広がっていた。一方で「共時性」をテーマとした作品は今ひとつ。こちらはやや難解。(3/6まで)



N響定期「スメタナ:わが祖国」エリシュカ@NHKホール
オーチャード定期でも名演を披露したエリシュカとN響が一線を超えた。決して情感豊かに歌うわけではなく、終始四隅と縦をしっかりと揃える端正な演奏だが、第2曲の「モルダウ」をはじめとする美しい響きには心から感じ入った。再度の共演も是非希望したい。

以上です。

「アンドレ・プレヴィン NHK交響楽団 首席客演指揮者に就任」(プレスリリース)

さて上にも挙げたエリシュカの名演の記憶も新しいN響ですが、つい先日、プレヴィンが首席客演指揮者に就任するとのアナウンスがありました。失礼ながらも氏の年齢を考えると、逆に無理をなさらずにとも思うところですが、これを機に定評のあるモーツァルトの指揮振り公演などもまた増えるのではないでしょうか。随分と意外感のある人事ですが、あえてビルダータイプの指揮者を設定せずに氏を迎えるところが、裏を返せばN響らしい選択とも言えるのかもしれません。



ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2009 「バッハとヨーロッパ」(公式ページ)

ラ・フォル・ジュルネのチケット発売がはじまりました。先日の先行に参加された方は如何でしたでしょうか。殆ど恒例となったWEB上のトラブルに、一件ではなく一日あたりという手数料の設定など、相変わらず使い勝手の悪いぴあにとことん翻弄されたような気もします。音楽祭自体は回を重ねる毎に運営等もスムーズになってきていると思いますが、チケット販売だけはいただけません。改善を強く要望します。

今月の予定へと続きます。
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