僕はびわ湖のカイツブリ

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“男のためのガーデニング”改め

御朱印蒐集~彦根市 智照山 円常寺・千代神社~

2019-04-07 17:02:22 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 彦根藩主・井伊直孝は徳川四天王と呼ばれた井伊直政の二男に生まれ井伊家の当主となった方ですが、当初は異母兄の直勝が井伊家を継いだといいます。
それは直勝が正室(徳川家康の養女)の子であり、直孝が侍女の養賢院の子であったことによるものだったようです。

直孝は幼少時代に父・直政と会うこともなく上野国の北野寺で育てられますが、徳川家忠の近習として仕え、家光の後見人となったことなどにより、直勝に代わって井伊家の当主になったとされています。
彦根城のすぐ近くにある円常寺は、直孝が実母・養賢院の菩提を弔うために建立した寺院と伝わります。

 

寺院はかつての彦根城の外堀と内堀の間にあり、現在も残る内堀から住宅地が続く街中に建てられています。
円常寺は井伊家ゆかりの寺院としてよりも「快慶の阿弥陀如来像」が祀られている寺院として方が有名で、滋賀県にある快慶仏としては「石山時大日如来坐像」と円常寺の「阿弥陀如来立像」の2躰のみとなります。



寺院は1612年に建立されて井伊家の庇護を受けて信仰を集めたようですが、1701年・1747年の2度の火災に見舞われ、現在の本堂は約270年前に豊郷町四十九院から移築されたもののようです。
寺院の境内には「鐘楼」「閻魔堂」「本堂」と観音像があるのみで、さほど広いとは感じませんが、実本堂の中はかなり広い造りになっています。



境内に入ってみたものの、拝観受付のようなものは見つからず、拝観可能かどうか困っているところへ御住職と思われる方が出てこられました。
拝観させて欲しい旨を伝えると、本堂へどうぞとおしゃっていただき、安堵して本堂へ上がらせてもらいいます。



本堂へ入るとまず外陣には「地蔵菩薩半跏像(元禄の頃)」が祀られ、障子を開けて内陣へ入ると、正面の須弥壇に「阿弥陀三尊」の姿が目に飛び込んできます。
左の脇陣には養賢院(阿こ)や直孝の位牌が祀られ、その横にはかつて藩士が自宅で祀っていた仏像20躰ほどが奉納されています。

奉納された仏像は、明治維新後に彦根を離れていった藩士たちが納めた仏像ですが、藩士の家格によって仏像の大きさに随分と違いがあるのが面白いですね。
須弥壇の右には安中常次郎(無線機を開発しバルチック艦隊撃破に貢献)の位牌、「腹帯地蔵」「不動明王像」など祀られているものは多様です。



快慶の「阿弥陀如来立像」には履歴に謎があり、それは寺院が創建400年ほどの寺院にも関わらず、800年前の仏像がなぜあって、どこからきたかです。
これは寺院の方でも正確なことは分らないそうで、いい目利きの方がかつて存在し、寺院に持ち込んだのではないかということでした。



画像の右上が円常寺の仏像となり、画像は平成29年に奈良国立博物館で開催された「快慶・日本人を魅了した仏のかたち」のポスターをお借りしています。
快慶は阿弥陀如来を数多く造られた方ですが、円常寺の阿弥陀如来像が重要文化財の指定を受けたのは平成30年10月31日と最近の事で、奈良での公開が重文指定の契機になったのではと御住職が話されていました。

写真で見せていただいたのは左足に朱で陰刻された「巧匠 法眼快慶」の文字で、これは快慶の作例では東大寺(地蔵菩薩)と高野山(阿弥陀如来)と合わせて3躰しかないとのことです。
円常寺では須弥壇の前のかなり近い位置でこの快慶仏を拝むことができましたので非常にありがたく拝観させていただきました。

 

円常寺の本堂内は外観からは想像がつかないほど広く、襖絵(狩野派)や庭園があります。
庭園はかつては彦根城の外堀に面していて、船着場との境が庭園になっていたようです。

また、3室続く部屋は障子の幅を段階的に広げることで部屋が広がるように見える造りとなっており、一部の壁には「パラリ壁」が残されていました。
境内に建てられている「閻魔堂」には「閻魔大王・十大道明神2躰」の一三躰が揃っていますが、ガラス越しで暗い中の様子は詳しくは分かりません。



さて、せっかくなのでこの後に円常寺のすぐ近くにある「千代神社」にもお参りします。



千代神社は芸能の神様としての御利益があるとされ、芸事の上達・オーディションの合格を祈願される方が祈願に来られる神社だそうです。
彦根で最も古い神社とされており、御祭神は「天宇受売命」。

天宇受売命は、天照大御神が天の岩戸に隠れられた時に、岩戸の前で神がかりして舞を舞って天照大御神の心を和められた女神様だといいます。
千代神社の御利益はその逸話にようものなのでしょう。



社務所にも何人かの芸能人が取材に訪れた時の写真が飾られてあることから、実際に俳優や芸能関係者が参拝に来られることがあるようです。
神社としての規模は街中の神社としては広い方で、本殿も立派な造りとなっているのは氏神様として氏子の方々が大切に守られてきたということだと思います。





参拝中にも数組の方が参拝に来られていましたが、印象としては芸事祈願というよりも、地域の方が多かったように見えます。
地域の方が日常的に立ち寄る神社ということは、それだけ地域の方の心の拠り所となって溶け込んでいるということだと思います。


コメント
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