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山頂には荒神山神社という「奥山寺」に起源を持つ神社が祀られ、尾根には滋賀県第2位の規模とされる荒神山古墳があります。
荒神山古墳は4世紀末に築造の前方後円墳とされており、荒神山には他にも十数基の古墳があることから、荒神山古墳群と呼ばれているといます。
昨年、荒神山では湖東地域で最大とされる「横穴式石室」が発見されており、その古墳を見たさに荒神山を訪れました。
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古墳のある場所は、「荒神山神社遥拝殿」から本坂を呼ばれる荒神山神社(かつての奥山寺)の表参道の途中にあるようです。
荒神山は3コースほどの登り道がありますが、本坂コースから登るのは初めてで、古(いにしえ)の参道を興味深く登りました。
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道は一部に石段や石畳が残っていて、旧参拝道ゆえの雰囲気のあるいい道です。
夏の野鳥とおぼしき囀りもにぎやかですが、声はすれども姿は見えず...。
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緑に挟まれた場所もありますが、路面は石畳が敷かれていて歩きよい。
そろそろ古墳があってもいいのにと思いつつも、快調に登っていってしまったのは登り過ぎであとで困ることになりました。
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途中からは道幅が広くなり、石畳が敷き詰められています。
この参拝道がいつの時代に整備されたかは分かりませんが、天智天皇や聖武天皇の時代からあったと想像してみるのも楽しい。
奥山寺は叡山派の天台宗寺院だったため、信長に焼き払われて宝物などは堂宇と共に焼失したとされます。
江戸時代に彦根井伊藩の保護により再興していったそうですが、明治の神仏分離により奥山寺は廃寺となってしまったという。
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で、調子良く登っていったら林道との出会いに入ってしまい、林道の「腹切地蔵」さんのところまで来てしまいます。
このお地蔵さんはお腹の部分が斜めに割れていることから「腹切地蔵」と呼ばれているようです。
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古墳は神社まで行って場所を確認して下山の時に立ち寄ろうと思い、神社へと続く石段を登っていくと、下りてくる方が居られた。
古墳のことを聞いてみると、下山途中に分岐があるので案内するので一緒に下りましょうと言って頂き、下山を開始する。
しかし...辿り着いた古墳は何とブルーシートに覆われている...。
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古墳は、中世に護摩などの祭祀を営む空間として利用していたことが伺われ、幕末から明治にかけて築造当時の姿から大きく改変されているという。
幕末から明治にかけて大量の土を入れたのは、廃仏毀釈により仏教関係の痕跡を埋めるためだったと考えられる。(読売新聞オンラインより)
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ほとんど山頂まで登っていながら登り口近くまで下りてきたにも関わらずブルーシートに覆われた古墳しか見れなかったので心が折れる。
登り返す気持ちが失せてしまいましたので、林道から車で登ることにする。
荒神山神社の手前に駐車すると正面は展望の良い広場となっていて、ここが荒神山の山頂(284m)になる。
山頂の雰囲気はまるでない場所ですが、一応ここが山頂ということです。
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山頂から見る風景は、かつては内湖で今は埋め立てられた曽根沼の水田と、その先にはベタ凪の琵琶湖。
浮かんでいるのは多景島。対岸に見えるのは高島の比良山系か?いずれにしろ絶景です。
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荒神山神社はかまど神をお祀りする神社で、御祭神に火産霊神・奥津日子神・奥津比売神をお祀りします。
「かまどが賑わう」は暮らしが豊かになる、商売が繁昌すること。「かまどを破る」は身体をつぶす、会社を破産させるの意だそうです。
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荒神山の山頂には全長124mの前方後円墳がありますので、周回して日夏山にある三角点まで歩きます。
墳丘が大きく、石室や玄室の開口部がないので、小山にしか見えませんが、大和政権と深くつながるとされる大きな影響力を持った人物の古墳とされます。
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三角点は日夏山(標高261m)の山頂にあり、真ん中にある東屋では数人の方が休憩中でした。
山頂表示を探したものの見当たらずで、以前は見たことがあったので付けられたり取られたり(見落とした?)しているようですね。
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視界の広がる場所からは水を張った水田と、多賀の山々の向こうに霊仙山や鈴鹿山系が見え、背比べするかのように伊吹山が見えます。
山々と琵琶湖に挟まれた広い湖東平野の豊かさが感じられる光景です。
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訪れた時は5月中旬頃でしたが、シャクナゲの花がかろうじて残っていました。
誰かがお世話されているのか赤色の花とピンク色の花の2種が咲いていました。
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下山して西側より眺める荒神山。
田植えの終わった田圃に規則正しく植えられた苗は、みるみると大きく育って秋には黄金の稲穂を付けます。
少し前までは荒神山に山桜がチラホラと見えていたと思いますが、季節はあっという間に巡っていきますね。
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