「浄厳院 現代美術展2024」では国内外のアーティスト36名が作品を出展しており、個性豊かで多様性に富んだ作品が寺内全域に展示されています。
開催期間中には座談会・舞踏・ライブ音楽・太鼓演武・ジャズ・舞・演劇・落語・お茶会など数々のイベントも開催されているようです。
前回は「観音堂」「釈迦堂」の現代アートの仏像と「本堂」の仏像群を見て回りましたが、今回は本堂・庫裡・書院・春陽院・方丈池の展示作品を見て回ります。
インパクトのある作品、思わず顔が緩むようなユーモラスな作品が展示され、作品は様々なれど作家の作品作りにかけるエネルギーが伝わる美術展だったと思います。
《わたしのなかの、わたし。》というシリーズの作品を展示されていたのは佐藤紘子さん。
動物の皮に描かれた絵は可愛らしいタッチではあるものの、顔は笑ってはいません。
“自分の中に、自分とは違う自分がいるような感覚。”、“何かをかぶったような、他人を演じているような自分。”
ここに“自分”は本当にいるのか、いないのか・・・そんな言葉が添えられていた。
深尾尚子さんは「食」や「ペット」などをテーマにインスタレーションを制作されている作家さん。
今は使われていない「おくどさん」や「井戸」のある台所にスペースインベーダーが侵入してきています。
アンマッチな違和感が独特の空間を作り上げていますね。
二部屋をぶち抜きでインパクト大の作品を展示されているのは中根隆弥さんの「ムスベルヘイムと7年7日」と「へや|ROOM」。
中根さんはジャン・デュビュッフェの言葉から「生(なま)」の芸術を体現させたいと作品を制作されているとある。
中根さんは“人間に内包されている本能”をテーマに「ドローイングマシン」という筆が付いたドローイングを行うための道具を使用するという。
それはアールブリュットの生の芸術をマシンによって生み出そうとするような道具でもあるようです。
部屋の一番奥には、不規則な線や墨の飛沫が描かれた紙の裏に「地蔵菩薩」が隠されていた。
この地蔵が何を意味するか分かりませんが、意外とも思える組み合わせもインスタレーションのひとつの部分を構成しているのかもしれません。
佐々木知良さんの「ねじれた寓話」は着物を着た狸と猿が神妙な顔をしてカルタに興じている作品で、通りがかる皆さんが微笑んでおられました。
佐々木さんは子供の頃に親しんだ昔話の世界が、記憶の中で攪拌され融合してできた「ある街」という作品を制作されていて今回の作品もその一部だとか。
カルタの言葉を見忘れましたが、なにか愉快なことが書かれていたのでしょうか。
「浄厳院 現代美術展」の主宰者という西村のんきさんの作品は書院二間ぶち抜きで「時代 era」というインスタレーション作品を展示されている。
作品は大きな屏風が5つ展示されており、全て5枚の作品を集めて「時代 era」という作品になっているとのことです。
作品は表と裏で違った世界観があり、上は「+」という作品を裏側から見たもので、天井には「∞」という作品が吊られている。
下の「-」という作品は裏に回ると何と庭が作られています。
裏側に回って見ないと分からない作品で、この作られた庭とその向こうの外にある庭との対比も面白い。
表側から見ると、縁側に置かれた鏡に反射した太陽光がそれぞれの作品の上を通り過ぎていくようになっている。
そんな時間を感じながら見て欲しいと書かれてありましたが、時間をおいて見に来ると光の位置が変わって作品の印象が異なって見えます。
浄厳院では庫裡(本坊)・書院・本堂と渡り廊下でつながり作品が展示されており、書院に面した方丈池や竹林にも作品が展示されています。
竹林にひっそりと展示されていたのは春成こみちさんの「祈」という作品です。
ひっそりとした祈りの作品のある竹林の竹が風に揺れてコンコン鳴るのが少し怖くもあり雰囲気もある。
寺院境内の一番裏側、方丈池の更に裏にはワダ コウゾウさんの「~風にふかれて~(デベソ)」という作品が展示されていた。
“ゆらゆらゆれる デベソを 楽しんで 頂ければ 幸いです。”とのコメントがあったけど、夜は怖くて一人では絶対行けないような場所に展示されています。
美術展ではウクライナ・ドイツ・スペインのアーティストたちが寺で共同生活をしながら取り組んだ「アーティスト・イン・レジデンス」の作品が展示されています。
境内にある春陽院は浄厳院の塔頭のひとつで、そこに「アーティスト・イン・レジデンス」のニコ・バイシャス(スペイン)さんの作品がありました。
床の間や額や障子に無数の手の写真が貼り付けられており、その手の形はそれぞれ違った形をしている。
部屋に吊り下がる不気味な物体は「舌」のようである。
野尻恵梨華さんの「引き延ばされた記憶」という作品は、何か辛い記憶がどこまでも延びて存在しない姿をあらわにしたかのような不気味さを感じます。
春陽院の一番奥の間まで行くと、天井裏から収納ハシゴが降りてきている。
何か展示がしてあるので見に登れという合図ですので登ってみると、狭い屋根裏に砂漠に太陽と三日月が描かれている絵があった。
北村瑞枝さんの「サハラ」という作品のようでしたが、“月の~砂漠を~はーるばると~♪”という童謡を思い出す。
気になった作品を取り上げましたが、書いていることはあくまで当方の主観を書いており、作者の意図するところと関係はありません。
これだけ多種多様な作品を見ると想像力の世界/表現の世界は無限だなぁと実感出来ます。
開催期間中には座談会・舞踏・ライブ音楽・太鼓演武・ジャズ・舞・演劇・落語・お茶会など数々のイベントも開催されているようです。
前回は「観音堂」「釈迦堂」の現代アートの仏像と「本堂」の仏像群を見て回りましたが、今回は本堂・庫裡・書院・春陽院・方丈池の展示作品を見て回ります。
インパクトのある作品、思わず顔が緩むようなユーモラスな作品が展示され、作品は様々なれど作家の作品作りにかけるエネルギーが伝わる美術展だったと思います。
《わたしのなかの、わたし。》というシリーズの作品を展示されていたのは佐藤紘子さん。
動物の皮に描かれた絵は可愛らしいタッチではあるものの、顔は笑ってはいません。
“自分の中に、自分とは違う自分がいるような感覚。”、“何かをかぶったような、他人を演じているような自分。”
ここに“自分”は本当にいるのか、いないのか・・・そんな言葉が添えられていた。
深尾尚子さんは「食」や「ペット」などをテーマにインスタレーションを制作されている作家さん。
今は使われていない「おくどさん」や「井戸」のある台所にスペースインベーダーが侵入してきています。
アンマッチな違和感が独特の空間を作り上げていますね。
二部屋をぶち抜きでインパクト大の作品を展示されているのは中根隆弥さんの「ムスベルヘイムと7年7日」と「へや|ROOM」。
中根さんはジャン・デュビュッフェの言葉から「生(なま)」の芸術を体現させたいと作品を制作されているとある。
中根さんは“人間に内包されている本能”をテーマに「ドローイングマシン」という筆が付いたドローイングを行うための道具を使用するという。
それはアールブリュットの生の芸術をマシンによって生み出そうとするような道具でもあるようです。
部屋の一番奥には、不規則な線や墨の飛沫が描かれた紙の裏に「地蔵菩薩」が隠されていた。
この地蔵が何を意味するか分かりませんが、意外とも思える組み合わせもインスタレーションのひとつの部分を構成しているのかもしれません。
佐々木知良さんの「ねじれた寓話」は着物を着た狸と猿が神妙な顔をしてカルタに興じている作品で、通りがかる皆さんが微笑んでおられました。
佐々木さんは子供の頃に親しんだ昔話の世界が、記憶の中で攪拌され融合してできた「ある街」という作品を制作されていて今回の作品もその一部だとか。
カルタの言葉を見忘れましたが、なにか愉快なことが書かれていたのでしょうか。
「浄厳院 現代美術展」の主宰者という西村のんきさんの作品は書院二間ぶち抜きで「時代 era」というインスタレーション作品を展示されている。
作品は大きな屏風が5つ展示されており、全て5枚の作品を集めて「時代 era」という作品になっているとのことです。
作品は表と裏で違った世界観があり、上は「+」という作品を裏側から見たもので、天井には「∞」という作品が吊られている。
下の「-」という作品は裏に回ると何と庭が作られています。
裏側に回って見ないと分からない作品で、この作られた庭とその向こうの外にある庭との対比も面白い。
表側から見ると、縁側に置かれた鏡に反射した太陽光がそれぞれの作品の上を通り過ぎていくようになっている。
そんな時間を感じながら見て欲しいと書かれてありましたが、時間をおいて見に来ると光の位置が変わって作品の印象が異なって見えます。
浄厳院では庫裡(本坊)・書院・本堂と渡り廊下でつながり作品が展示されており、書院に面した方丈池や竹林にも作品が展示されています。
竹林にひっそりと展示されていたのは春成こみちさんの「祈」という作品です。
ひっそりとした祈りの作品のある竹林の竹が風に揺れてコンコン鳴るのが少し怖くもあり雰囲気もある。
寺院境内の一番裏側、方丈池の更に裏にはワダ コウゾウさんの「~風にふかれて~(デベソ)」という作品が展示されていた。
“ゆらゆらゆれる デベソを 楽しんで 頂ければ 幸いです。”とのコメントがあったけど、夜は怖くて一人では絶対行けないような場所に展示されています。
美術展ではウクライナ・ドイツ・スペインのアーティストたちが寺で共同生活をしながら取り組んだ「アーティスト・イン・レジデンス」の作品が展示されています。
境内にある春陽院は浄厳院の塔頭のひとつで、そこに「アーティスト・イン・レジデンス」のニコ・バイシャス(スペイン)さんの作品がありました。
床の間や額や障子に無数の手の写真が貼り付けられており、その手の形はそれぞれ違った形をしている。
部屋に吊り下がる不気味な物体は「舌」のようである。
野尻恵梨華さんの「引き延ばされた記憶」という作品は、何か辛い記憶がどこまでも延びて存在しない姿をあらわにしたかのような不気味さを感じます。
春陽院の一番奥の間まで行くと、天井裏から収納ハシゴが降りてきている。
何か展示がしてあるので見に登れという合図ですので登ってみると、狭い屋根裏に砂漠に太陽と三日月が描かれている絵があった。
北村瑞枝さんの「サハラ」という作品のようでしたが、“月の~砂漠を~はーるばると~♪”という童謡を思い出す。
気になった作品を取り上げましたが、書いていることはあくまで当方の主観を書いており、作者の意図するところと関係はありません。
これだけ多種多様な作品を見ると想像力の世界/表現の世界は無限だなぁと実感出来ます。
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