八幡山(鶴翼山)の縦走は、「八幡城跡」散策から「高取の峠」を越えて「八王子山」までやってきました。
八幡山の全景の写真で見ると、一番左のピークが八幡山(鶴翼山)の山頂で、鞍部を経て2つ目のピークを過ぎた辺りまで来ています。
写真は下山してから撮りましたが、登山時は晴れていた空も下山後には雲がかかってしまいましたので、いいタイミングでの縦走でした。
「北ノ庄城跡」のエリアに入ると城の縄張図がありますが、「北ノ庄城(岩崎山城)」は詳細がよく分かっていない「謎の山城」とされています。
一説には六角氏綱の二男の八幡(川端)左馬頭義昌の居城であったともされていますので、豊臣秀次の八幡城より前にあった城になります。
城跡に入るとまず「土橋」があり、これは空堀を渡るための土の橋だといい、渡ったところで斜めに土塁を上がって城内に入るという。
敵が攻めてきたら土塁の上から矢を射かけて、戦が始まれば土橋を崩して撤去することができる構造になっている。
土橋を過ぎると「北ノ庄山」山頂の「南西側監視台」があります。
ここからは八幡山城・水茎岡山城・星が丘城が遠望でき、毎年11月に開催される「琵琶湖一周のろし駅伝」ののろし上げ会場になっているという。
また、「北ノ庄山」は標高254mの山で別名には「八ツ岩」「深谷山」「鶴尾山」などの呼び方があるようです。
ここには南西側の監視台と南東側の監視台があり、西の湖や安土山が望めます。
有り難いのは西南方向は朝は曇って暗かったが、蜘蛛が消えて太陽の光が差し込むようになり、視界が明るくなったこと。
「北ノ庄城跡」の城内には4つのルートがあり、城跡全てを見て回ることはしなかったが、西土塁ルートを散策してみます。
城跡ファンだと土塁や虎口などが人目で分かると思いますが、城跡に詳しくない当方には説明看板の記述を見て現地を確認することになります。
土地を読む能力が不足していますので、多分これが土塁・空堀だろうとか、ここが虎口のようだという程度しか地形を読み取れない。
開けている広い平坦地は「上段曲輪」といい、約8700㎡の土地には城本丸が建てられていたのではないかと考えられているようです。
直径2mくらいの窪地が六ケ所点在するのは「七つ池」という場所で、豊臣秀吉が飲料水確保のために掘らせたという伝説がある。
また秀次の息女が履き慣れないポックリで足を滑らせて溺死したという悲話が残るという。
北ノ庄城跡を出るとまた展望台があり、ここは「長命寺港展望台」と名が付いている。
長命寺港と名前は付いてはいるが、実際には長命寺港は樹木が邪魔で見えず、水茎岡山城跡や比叡山・比良山系がよく見える。
北ノ庄城跡を出た場所には「北虎口上展望台」があり、西の湖・安土城側と琵琶湖側の眺望が広がる。
いったい何ヶ所の展望台があるのかと数の多さに驚く事となるが、景色は同じように見えても場所は縦走で移動しているので少しづつ違いがあります。
北虎口上展望台から鞍部に向かって急坂を下った後、「望西峰」へと向かう急坂が続きます。
縦走中に急坂の登り下りは何ヶ所かあったものの、この登りが一番きつかったように思え、額にうっすら汗をかきながら登ります。
縦走の間に見た唯一の巨石です。
磐座かと思ったが信仰の形跡はないようでありましたが、湖東の山にしては珍しく巨石があまり見られない山でした。
「望西峰」は「向山」「ボンサン山」などの呼び名があるようですが、八幡山山系のピークの分類は複数あるようでどれが正解か分からない。
いずれにしろこの「望西峰」が標高278mと山系の中では最高点となるのには違いがないようです。
いよいよ最後のピークの「岩崎山」になりますが、ここも標高278mでカッコの中には「向山・望西峰」とあり、どこが正しいか分かりづらい。
看板が新しいので現在はこちらが正解ということかと考えた方が良いのかと思います。
「西の湖展望台」からは西の湖と安土山、その後方には繖山山系(繖山・猪子山・観音寺山)が見える。
あの辺りの山は当方にとっては慣れ親しんだ山で、登ったことのある山を別の山から眺めるのも山登りの楽しさのひとつです。
たくさんあった展望台はこの「重要文化的景観展望台」が最後となり、西の湖とヨシ原の様子を確認することが出来ます。
「近江八幡の水郷」は「重要文化的景観」として文化庁にから選定されています。
滋賀県では高島市の「海津・西浜・知内の水辺景観」「針江・霜降の水辺景観」「大溝の水辺景観 」や東近江市の「伊庭内湖の農村景観」。
米原市の「東草野の山村景観」、長浜市の「菅浦の湖岸集落景観」があり、東草野の山村景観を除けば、琵琶湖や周辺の内湖が対象となっています。
最後に日陰の地味な道を下っていくと「百々神社」の本殿横に下山できます。
「百々神社(ももじんじゃ)」は宇多天皇の時代に長命寺川に架かる橋の下に棲む蛇が行き来する人を悩ましていた。
人々はたまたま通りかかった宇多天皇の第八皇子・敦実親王に蛇を退治してもらい、橋の側に蛇の魂を祀ったのが始まりとされている。
従って主祭神は渡合橋に現れた大蛇となる。来年は巳年ですので来年に向けて少し巳と縁が結ばれたかな?
さて車の方はと言うと「日牟礼八幡宮」にありますので、「百々神社」から歩いて戻ります。
バスの路線ではあるものの、バスに乗り慣れていないので歩きましたが、結局1時間近く歩くことになりました。
「ラコリーナ近江八幡たねや」までが遠い。ラコリーナから「日牟礼八幡宮」も遠い。
せっかくなのでラコリーナでバームクーヘンを買ってお土産にする。
八幡山の山頂から百々神社までの縦走にかかった時間は約2時間で、百々神社から日牟礼八幡宮までが約1時間。
ピークの前後に急坂が何ヶ所かあったけど、展望台が何ヶ所もあり、山の中にいた間は天候にも恵まれました。
琵琶湖と西の湖の景観を楽しむという意味では、お腹いっぱいになるくらい景観を楽しめましたよ。
八幡山の全景の写真で見ると、一番左のピークが八幡山(鶴翼山)の山頂で、鞍部を経て2つ目のピークを過ぎた辺りまで来ています。
写真は下山してから撮りましたが、登山時は晴れていた空も下山後には雲がかかってしまいましたので、いいタイミングでの縦走でした。
「北ノ庄城跡」のエリアに入ると城の縄張図がありますが、「北ノ庄城(岩崎山城)」は詳細がよく分かっていない「謎の山城」とされています。
一説には六角氏綱の二男の八幡(川端)左馬頭義昌の居城であったともされていますので、豊臣秀次の八幡城より前にあった城になります。
城跡に入るとまず「土橋」があり、これは空堀を渡るための土の橋だといい、渡ったところで斜めに土塁を上がって城内に入るという。
敵が攻めてきたら土塁の上から矢を射かけて、戦が始まれば土橋を崩して撤去することができる構造になっている。
土橋を過ぎると「北ノ庄山」山頂の「南西側監視台」があります。
ここからは八幡山城・水茎岡山城・星が丘城が遠望でき、毎年11月に開催される「琵琶湖一周のろし駅伝」ののろし上げ会場になっているという。
また、「北ノ庄山」は標高254mの山で別名には「八ツ岩」「深谷山」「鶴尾山」などの呼び方があるようです。
ここには南西側の監視台と南東側の監視台があり、西の湖や安土山が望めます。
有り難いのは西南方向は朝は曇って暗かったが、蜘蛛が消えて太陽の光が差し込むようになり、視界が明るくなったこと。
「北ノ庄城跡」の城内には4つのルートがあり、城跡全てを見て回ることはしなかったが、西土塁ルートを散策してみます。
城跡ファンだと土塁や虎口などが人目で分かると思いますが、城跡に詳しくない当方には説明看板の記述を見て現地を確認することになります。
土地を読む能力が不足していますので、多分これが土塁・空堀だろうとか、ここが虎口のようだという程度しか地形を読み取れない。
開けている広い平坦地は「上段曲輪」といい、約8700㎡の土地には城本丸が建てられていたのではないかと考えられているようです。
直径2mくらいの窪地が六ケ所点在するのは「七つ池」という場所で、豊臣秀吉が飲料水確保のために掘らせたという伝説がある。
また秀次の息女が履き慣れないポックリで足を滑らせて溺死したという悲話が残るという。
北ノ庄城跡を出るとまた展望台があり、ここは「長命寺港展望台」と名が付いている。
長命寺港と名前は付いてはいるが、実際には長命寺港は樹木が邪魔で見えず、水茎岡山城跡や比叡山・比良山系がよく見える。
北ノ庄城跡を出た場所には「北虎口上展望台」があり、西の湖・安土城側と琵琶湖側の眺望が広がる。
いったい何ヶ所の展望台があるのかと数の多さに驚く事となるが、景色は同じように見えても場所は縦走で移動しているので少しづつ違いがあります。
北虎口上展望台から鞍部に向かって急坂を下った後、「望西峰」へと向かう急坂が続きます。
縦走中に急坂の登り下りは何ヶ所かあったものの、この登りが一番きつかったように思え、額にうっすら汗をかきながら登ります。
縦走の間に見た唯一の巨石です。
磐座かと思ったが信仰の形跡はないようでありましたが、湖東の山にしては珍しく巨石があまり見られない山でした。
「望西峰」は「向山」「ボンサン山」などの呼び名があるようですが、八幡山山系のピークの分類は複数あるようでどれが正解か分からない。
いずれにしろこの「望西峰」が標高278mと山系の中では最高点となるのには違いがないようです。
いよいよ最後のピークの「岩崎山」になりますが、ここも標高278mでカッコの中には「向山・望西峰」とあり、どこが正しいか分かりづらい。
看板が新しいので現在はこちらが正解ということかと考えた方が良いのかと思います。
「西の湖展望台」からは西の湖と安土山、その後方には繖山山系(繖山・猪子山・観音寺山)が見える。
あの辺りの山は当方にとっては慣れ親しんだ山で、登ったことのある山を別の山から眺めるのも山登りの楽しさのひとつです。
たくさんあった展望台はこの「重要文化的景観展望台」が最後となり、西の湖とヨシ原の様子を確認することが出来ます。
「近江八幡の水郷」は「重要文化的景観」として文化庁にから選定されています。
滋賀県では高島市の「海津・西浜・知内の水辺景観」「針江・霜降の水辺景観」「大溝の水辺景観 」や東近江市の「伊庭内湖の農村景観」。
米原市の「東草野の山村景観」、長浜市の「菅浦の湖岸集落景観」があり、東草野の山村景観を除けば、琵琶湖や周辺の内湖が対象となっています。
最後に日陰の地味な道を下っていくと「百々神社」の本殿横に下山できます。
「百々神社(ももじんじゃ)」は宇多天皇の時代に長命寺川に架かる橋の下に棲む蛇が行き来する人を悩ましていた。
人々はたまたま通りかかった宇多天皇の第八皇子・敦実親王に蛇を退治してもらい、橋の側に蛇の魂を祀ったのが始まりとされている。
従って主祭神は渡合橋に現れた大蛇となる。来年は巳年ですので来年に向けて少し巳と縁が結ばれたかな?
さて車の方はと言うと「日牟礼八幡宮」にありますので、「百々神社」から歩いて戻ります。
バスの路線ではあるものの、バスに乗り慣れていないので歩きましたが、結局1時間近く歩くことになりました。
「ラコリーナ近江八幡たねや」までが遠い。ラコリーナから「日牟礼八幡宮」も遠い。
せっかくなのでラコリーナでバームクーヘンを買ってお土産にする。
八幡山の山頂から百々神社までの縦走にかかった時間は約2時間で、百々神社から日牟礼八幡宮までが約1時間。
ピークの前後に急坂が何ヶ所かあったけど、展望台が何ヶ所もあり、山の中にいた間は天候にも恵まれました。
琵琶湖と西の湖の景観を楽しむという意味では、お腹いっぱいになるくらい景観を楽しめましたよ。
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