長門鋳銭所跡
和同橋
小学生の頃であったろうか日本初の貨幣は和同開珎であったと習ったように記憶している。昨日紹介した覚苑寺境内地はかつて和同開珎を鋳造していた場所で貨幣の鋳造に関わる鋳銭遺物が出土しているようであり、国指定史跡「長門鋳銭所跡」として指定されている。
覚苑寺に向かう参道途中の逢坂川に架かる石橋は和同橋と称され高欄の束石には和同開珎文様が刻されていた。
長門鋳銭所跡
和同橋
小学生の頃であったろうか日本初の貨幣は和同開珎であったと習ったように記憶している。昨日紹介した覚苑寺境内地はかつて和同開珎を鋳造していた場所で貨幣の鋳造に関わる鋳銭遺物が出土しているようであり、国指定史跡「長門鋳銭所跡」として指定されている。
覚苑寺に向かう参道途中の逢坂川に架かる石橋は和同橋と称され高欄の束石には和同開珎文様が刻されていた。
覚苑寺本堂
庫裡
長府毛利家家紋入り鬼瓦
覚苑寺は長府毛利家の菩提寺の一つでかつて七堂伽藍を有していたようである。
明治初期に諸堂は取り壊されていたが三田尻(防府市)の廃寺となっていた醍醐寺本堂を移築して本堂に、以前に紹介した勝山御殿本丸の玄関部分が庫裡として移築されたようである。