功山寺本堂
功山寺仏殿
笑山寺本堂
功山寺は関ヶ原の合戦後に移封された毛利秀元の帰依を受けた洞雲寺12世三庭龍達が荒廃していた長福寺(長福寺の遺構仏殿は国宝)を復興し曹洞宗に改め、自ら三世となり洞雲寺13世大雲守的が4世、洞雲寺17世基外嶺雄が5世となっている。秀元は父元清の位牌を安置して笑山寺と称していたが、秀元没後に法号巧山玄誉居士により巧山寺と改称した。
笑山寺は秀元の請いにより三庭龍達は荒廃していた潮音院に秀元母(妙寿寺殿松渓妙寿大姉)の位牌を安置して妙寿寺と改めて住持となっており、三庭龍達は師である洞雲寺11世天翁玄播を開山とし自らは中興2世となった。後に元清の位牌を安置して笑山寺と改称している。