佐伯地区の中道集落手前にある針山集落には7~8戸の建物がみられるが現在居住はされていないようにみられ集落はすでに消滅しているようである。針山集落の最奥部にある大きな民家跡には土蔵が2棟あったが左奥の土蔵は樹木などでどうなっているのか見ることができない。
道路側にある土蔵の蔵飾りは家紋であろうか見たことがないような文様で、三引両文様に似ているが上下に切れ目がありなんという文様であろうか。
goo blog お知らせ
プロフィール
最新コメント
- hera/令和5年米俵づくり
- hera/広島はつかいち大橋の今
- もののはじめのiina/広島はつかいち大橋の今
- hera/令和5年米俵づくり
- hera/令和5年米俵づくり
- hera/令和5年米俵づくり
- 松原秀樹/令和5年米俵づくり
- hera/廿日市鋳物師の鋳造作品⑨-湯の山神社の釣燈籠
- hera_001/広電宮島線の架線電柱
- 平田政司/広電宮島線の架線電柱