一昨日は速谷神社の例祭である阿岐祭が催され、昨晩は桃祓祭に続いて宮乃木神楽団による神楽の奉納(鍾馗・源頼政・羅生門・恵比寿・滝夜叉姫)があった。本日は神社境内から堂垣内付近まで神輿神幸が行われ、1区~3区の子供会俵みこしの奉納が行われる。
岩国市美和町西畑地区に祀られている大元神社で、江戸期の地誌によると応仁2年(1468)に勧請されたとある。旧石見国内に大元神社が560余社みられるのと同様に安芸厳島・大元神社を勧請したものとみられるが、どのように大元信仰がされていたのかは定かではない。社殿裏手の神木には山鎮め神事が行われたものであろうか祭事の跡が残されていた。
多くの雀たちが電線に集合してすぐ下にある実りの田んぼに急降下して忙しそうに飛び跳ねて稲穂を食べていた。新米を横取りしていた雀たちはこちらの気配を察知して一斉に飛び立った。
原地区金剛丸の山中には王子社跡の礎石と王子社跡碑が残されている。江戸期の地誌によると御殿、拝殿、鳥居があったようで、祭日は毎歳9月13日だったようであるが、明治期に伊勢神社へ合祀されている。王子社跡碑は紀元2600年(昭和15年-1940)記念で建立されている。
森宗地区では最近団地が造成され団地名が王子社跡に因んで「王子フィールドハイツ」と呼称されるようである。看板表示によると年号、干支、西暦や典拠など???
(平成23年撮影)
秋祭りも近づいて天神山の天満宮では独特の吹き流しが掲揚台に揚げられているが、今年の吹き流しは干しダコに似たような形状ではない。よく見ると足の部分が取れており破れもみられるので経年の劣化で痛んできたものとみられる。天神山は街中にある高台であり天満宮の吹き流しは街の各所から見ることができ、秋の訪れを知らせてくれる風物詩であるが・・・
岩国市美和町黒瀬にある教専寺で廿日市蓮教寺の末寺のようである。江戸期の蓮教寺文書によると蓮教寺の末寺は三ケ寺あったようでその内の一ケ寺のようである。江戸期の地誌(玖珂郡志)には教尊寺とあるが解読違いであろうか、「廿日市蓮教寺下、永禄三年道光ト云者開基、・・・」とあるが、どのような経緯で本末寺の関係があるのかは定かでない。
ウォーキング途中、原地区にある伊勢神社の参道には沢山の幟が立てられており、各所にヨゴロに行われる奉納神楽の案内が掲示されていた。伊勢神社では神楽を舞う舞台が設置されていた。
今月12日~14日の秋祭りに、子供会では伝統行事の俵みこしを氏神の速谷神社に奉納するために歌われている俵もみ歌の練習が集会所で行われている。子供会の子供達や親御さん、OBなどが所望、木遣り、道中流し歌、祝い納め歌など地元に伝わっている俵もみ歌の練習をしていた。
♪ イヤハエー 安芸の宮島 ソコセー ハリセー 廻れば七里 ソコセー ハリセー イヤー 七里七浦 ヤンデ 七恵比須 ハリャー ヤートコセー ヨーイヤナー アレワイセー コレワイセー サァー ナンデェーモセー ♪
(12日例祭(阿岐祭)、13日桃祓祭・奉納神楽、14日神輿神幸・子供会俵みこし奉納)
岩国市美和町下畑地区にある下畑小学校は平成13年(2001)に廃校となったようであり、門柱脇には陶製の二宮金次郎像が残されていた。先日訪れた長浜市の北国街道沿いの長浜幼稚園(元長陽園)には石造の二宮金次郎像が残されていた。何れも高いところにあるので何を読んでいるのか分らない。以前訪れた西予市宇和開明学校にある二宮金次郎像の本には難解な中国古典「大学」の一節が刻されていた。
実りの秋を迎えて各地でぼちぼち稲刈りが行われており昔ながらのハゼ架けもみられる。岩国市美和町下畑地区では見たことがないハゼ組みをされていた。垂直のハゼ杭を立て並べて水平のナル丸太をビニール紐で縛り付けておられた。横方向に抗するのはどのようにするのか尋ねてみたら所々の垂直ハゼ杭間中央の水平ナル丸太に二股のハゼ杭を縛り付けるとのことであった。次の作業工程を見ることなく他所に移動・・・
当ブログ主の田んぼに隣接した他家の休耕田やブログ主の休耕田は、毎年イノシシに掘り返されて、夏の草刈りには凸凹で大手間が掛かって泣かされているが、今まで田んぼには被害がなかった。ところが今年防護ネットを破って田んぼの稲を食べたり歩き回っており、有害鳥獣駆除の捕獲檻を設置してもらった。イノシシ御用となれば良いのであるが・・・