串戸地区にある広田神社の幣殿入口脇に神輿と俵神輿が安置されている。江戸期の地誌によると「神輿御宿院ヘ遷座ス」とあり、かつて御旅所まで御幸、還御にこの神輿が使用されたものとみられる。
串戸地区にある広田神社の幣殿入口脇に神輿と俵神輿が安置されている。江戸期の地誌によると「神輿御宿院ヘ遷座ス」とあり、かつて御旅所まで御幸、還御にこの神輿が使用されたものとみられる。
臼杵の石仏を訪れるのは三度目であり前回訪れて何年ぶりであろうか。ホキ石仏第二群は工事中のため見ることが出来なかった。最初に訪れた昭和55年(1980)当時は古薗石仏の大日如来像の頭部は下に落ちた状態であった。観覧途中に石造五輪塔の表示があったので徘徊癖が疼き出し観覧コースから外れて五輪塔に向かった。看板表示によると大きい五輪塔は嘉応2年(1170)、小さい五輪塔は承安2年(1172)と刻されているようであり平安末期に造立されたようである。
今秋は比較的に好天に恵まれ秋の収穫が終わったので例年の如く米俵を作った。稲藁の芯を使うためにアクタを取り除いて準備をする。藁のくずをアクタと親から聞いているが、地方によると藁すぼといわれ藁の芯を藁しべというそうである。俵の胴体部のコモを編む機具で、ヒモの上に藁をのせて紐を法則的に交差させ、藁の向きを交互にして必要目数まで順次編み上げていく。
編みあがったコモを筒状に編み紐で結ぶ。コモの端部分を折り曲げて紐で亀の甲状に編み上げていく。片端部を編み上げて袋状になったコモの中に米袋を入れて新米を詰める。米を詰めてコモの上端を折り曲げて他端と同じように紐で亀の甲状に編み上げていく。胴部分の両端ケ所に横縄を二周回して男結びとする。
2本の縦縄を十の字として端部の編み上げ端を通し、横縄部分で一回りして他端中央で飾り縄に紐で結び、横縄を中央部に回して男結びとする。突起の飾り縄部分に色紙を巻き水引で結んで完成である。新米の米俵は今年も元気であった証としてしかるべき所に・・・
宇佐神宮の本殿は前殿と後殿の2棟の社殿を前後に連結させた八幡造りという様式のようであり、実見してみたいと思っていたが、廻廊が巡らされているので見ることが出来なかった。廻廊の向拝部分から一之御殿と三之御殿の前殿の一部が見えたのと、廻廊上から棟部分の一部が見えただけであった。
宇佐神宮境内には多くの鳥居がみられるが、神額がなく額束もみられない。笠木が黒色に塗られ柱上には台輪があり貫と島木の間隔が広くこのような形式の鳥居を宇佐鳥居と言われているようである。散策した範囲の鳥居は朱色に塗られた鳥居であったが、境内社の八坂神社・養蚕神社と表示されたところの鳥居は石造の鳥居であった。
昨日は地域の人達と豊後路を観光旅行。宇佐神宮を参詣したがタブレットでの撮影を忘れた。豊後高田市の昭和の町並みを探訪。別府のホテルより慣れないタブレットにて更新。
串戸地区に祀られている広田神社の幣殿入口上には明和7年(1770)広島の三筆と云われる林守満の筆になる奉納額が掲げてある。林守満は円治、為龍と号し家老の上田家に仕えており、また、大谷貞雄、吉川禎蔵など共に広島藩の祐筆を勤め、かつ能書家であった。ここ串戸には家老上田家の串戸御茶屋、津出御引請御役所、御炭納屋(炭納屋役所)などの施設が設けられており、上田家の関係者によってこの扁額が奉納されたのではなかろうか。
串戸地区に祀られている広田神社の拝殿には明治27年(1894)1月1日に奉納された三十六歌仙額が35面掲額されており1面失われているようである。現社殿になる以前の拝殿も吹き晒しであったものとみられ、退色剥落のために歌もみられず誰を描いているのかも確認することが出来ないような状態である。
広電の宮島線にある唯一のトンネルで藤掛山の下を貫通している串戸隧道で、大正9年(1920)に着工して大正11年(1922)に竣工している。隧道の長さは106.62mであり直線部分が49.96m、曲線部分が56.66mで、隧道内の勾配は11.4/1000のようである。(広電隧道台帳より)
県道294号虫道廿日市線の可愛川に架かる速谷橋の架け替え工事が行われており、橋は撤去されており土砂の搬出が行われていた。看板表示によると1期工事の工期は来年3月29日までとあったので橋脚の準備工事までであろうか。
ウォーキング途中遠くにピンク色の休耕田がみられたので、何を栽培しているのだろうかと近づいてみるとイヌタデであろうかびっしりと繁茂していた。タデの種類は多くあるようであるが「蓼食う虫も好き好き」ということわざのタデなのだろうか。
速谷神社前交差点手前の民家裏手にある権現山北麓の平楽寺で、御本尊の平楽地蔵は中世の速田大明神に奉仕する供僧寺であった平楽寺の名残りを伝えてくれる地蔵である。堂宇には広島新四国八拾八箇所第六番霊場の看板が掲げられているが、現在は霊場から外れているようである。壁面にはシートが張り付けられており吹き降りで痛みが進んでいるのであろうか。 「平楽寺について」