旧野貝原高原の周回道路を左廻りに泉水峠への別れを過ぎて進んでいると車で通りがかった現場監督風の人が、工事車両が多いので気を付けて通って下さいとのことで通行禁止とは告げられなかった。旧野貝原高原の遊戯施設があった所や人工池のうが湖、周辺の山などが広大な太陽光発電用地として造成中であったが、周回道路からは全貌を写すことが出来なかった。野貝原高原開発以前は水苔が繁茂した湿原地帯が多くあって自然のダムの役割をしていたのだが・・・
旧野貝原高原の周回道路を左廻りに泉水峠への別れを過ぎて進んでいると車で通りがかった現場監督風の人が、工事車両が多いので気を付けて通って下さいとのことで通行禁止とは告げられなかった。旧野貝原高原の遊戯施設があった所や人工池のうが湖、周辺の山などが広大な太陽光発電用地として造成中であったが、周回道路からは全貌を写すことが出来なかった。野貝原高原開発以前は水苔が繁茂した湿原地帯が多くあって自然のダムの役割をしていたのだが・・・
昨日、川末の大迫川支川砂防堰堤脇から中電の鉄塔管理道を登り鉄塔からは踏み跡が残る登山道を登って旧野貝原高原道に出ると道脇には野貝原高原時代の街灯が残されていた。野貝原高原ホテル跡の仮囲いが取り除かれており取り壊しが始まったようである。かつて野貝原山の最高所には標高733mの三角点(平成元年移設)や陸軍輸送港域標石、展望台があったが、周回道路から大峰山や冠山が見えるよう掘削されており全く様子が変わっていた。
下関市上新地町にある厳島神社で当神社のHPによると安芸国厳島神社の御分霊を平家の守護神として、安徳天皇の御座船に祀っていたが、壇ノ浦の合戦後磯辺に放棄されていたのを里人たちが神託を得て社殿を建立し、安芸国厳島神社より御分霊をあらためて勧請したということである。
参道に建立されている一の鳥居の笠木・島木部分の越境部分にはマンションのベランダ手摺に粋な計らいが・・・
六連島集落の最高所に氏神の八幡神社が祀られている。境内には荒神社、観音堂と石造の小祠5社が祀られている。六連島には八幡宮、荒神社、いなり社、厄神、みなかた大明神、大年大明神、貴船大明神、青海大明神が祀られていたようであり、こられに相当する小祠であろうか。訪れた時に地域の人が各社に三宝え盛られた御飯の神饌5ケを供えておられた。
(Google Earthより)
六連島は花卉のハウス栽培がさかんであることを以前にも紹介したが、山頂付近では画像のように広範囲で露地やハウス栽培が行われている。港周辺の山斜面に石垣を積んで住宅地が設けられており迷路のような小路が縦横に巡らされている。山頂の農園に向かうには周回路で軽トラかトラクターに連結荷車、バイクが使用されているようであるが、ここでは何故かナンバーが取り付けられていないのである。また小路が多いのでほとんどが港周辺に置かれているようである。
先日紹介した近代遺跡調査報告書に英国人技師R.H.ブラントンが設計したという六連島灯台が掲載されていたので今回探訪してみた。かつて石造の灯台や石造の吏員退息所、倉庫、木造の官舎、物置などがあったようであるが現在は石造の灯台本体と当時の石塀や石垣、礎石などが残されている。銘板には明治4年(1871)11月21日点灯とあるが上部に英語で1872年1月1日点灯とあり、当時は旧暦が使用されていたようである。灯台のすぐ近くには潮流の方向と緩急を知らせていた六連島信号所であった旧施設が残されている。
一昨日、JR下関駅近くの渡船乗り場から六連丸に乗って六連島を探訪した。六連島には46世帯95人(平成30年4月1日現在)が生活されているようで港の周辺に民家が散在しており、港の脇には油槽所の大きなタンクがずらりと並んでいた。この島は花卉のハウス栽培が盛んで画像では見られないが山頂付近では沢山のハウス栽培がされている。探訪の主目的であった六連島灯台には植えられている桜が満開であった。
藤掛陸橋下に串戸陸橋下交差点がありその歩道脇に4つの玉石に囲まれて一等水準点がある。水準点名は山名や地名などが付けられているが、ここの基準点名は数字で1676と記されており、標高は2.9994mのようである。
旧住吉新開の土手敷きの両側には沢山の桜の木が植えられており、昨日訪れてみたがこのところの寒さの影響であろうか7~8分咲きくらいのようであった。7日の桜まつりには満開となるのではなかろうか。桂公園の入口脇に植えられている桜の老樹はほぼ満開であった。
昨日の夕方ウォーキング途中、伊勢神社境内の桜は九分咲きから満開のようであったが、ここ数日の寒さで桜の花も縮こまったであろう。ボンボリが吊り下げられているので夜間は点灯されるのであろうか。