先日紹介した近代遺跡調査報告書に英国人技師R.H.ブラントンが設計したという六連島灯台が掲載されていたので今回探訪してみた。かつて石造の灯台や石造の吏員退息所、倉庫、木造の官舎、物置などがあったようであるが現在は石造の灯台本体と当時の石塀や石垣、礎石などが残されている。銘板には明治4年(1871)11月21日点灯とあるが上部に英語で1872年1月1日点灯とあり、当時は旧暦が使用されていたようである。灯台のすぐ近くには潮流の方向と緩急を知らせていた六連島信号所であった旧施設が残されている。
先日紹介した近代遺跡調査報告書に英国人技師R.H.ブラントンが設計したという六連島灯台が掲載されていたので今回探訪してみた。かつて石造の灯台や石造の吏員退息所、倉庫、木造の官舎、物置などがあったようであるが現在は石造の灯台本体と当時の石塀や石垣、礎石などが残されている。銘板には明治4年(1871)11月21日点灯とあるが上部に英語で1872年1月1日点灯とあり、当時は旧暦が使用されていたようである。灯台のすぐ近くには潮流の方向と緩急を知らせていた六連島信号所であった旧施設が残されている。