昨日紹介した英彦山神宮参道は国道500号線から奉弊殿まで水平距離820m、垂直距離180mの斜面に石段や石畳みが延々と続いており、その両側には段状に坊舎群跡があり一部の坊舎跡が残されている。国道500号線より下側にも石段が続いており坊舎も残されているようである。
参道の両側にみられる坊舎跡でもびっくりしたのであるが、神宮で求めた英彦山神宮小史に掲載の明治初年の坊中屋敷図をみると参道の両側以外にも数多くの坊舎がみられ、明治7年(1874)には192坊あったようで山上の宗教都市であったようである。
昨日紹介した英彦山神宮参道は国道500号線から奉弊殿まで水平距離820m、垂直距離180mの斜面に石段や石畳みが延々と続いており、その両側には段状に坊舎群跡があり一部の坊舎跡が残されている。国道500号線より下側にも石段が続いており坊舎も残されているようである。
参道の両側にみられる坊舎跡でもびっくりしたのであるが、神宮で求めた英彦山神宮小史に掲載の明治初年の坊中屋敷図をみると参道の両側以外にも数多くの坊舎がみられ、明治7年(1874)には192坊あったようで山上の宗教都市であったようである。