土屋惠一郎著『世阿弥 風姿花伝』(NHK「100分de名著」2015年2月20日発行)を読んだ。
表紙裏にはこうある。
花と、面白きと、めづらしきと、これ三つは同じ心なり――。室町時代、能の大成者として以後の日本の芸能に大きな影響を与えた世阿弥。彼の遺した言葉は、能役者のための演技論にとどまらず、芸術という市場、そして人生という舞台を勝ち抜くための戦略論でもあった。「秘すれば花」「初心忘るべからず」「離見の見」など代表的金言を読み解きながら、試練に打ち克ち、自己を更新しつづける生き方の奥義を学ぶ。
室町時代に能を大成した世阿弥が書いた秘伝の書『風姿花伝』。当時、能は「立ち合い」という流派間の闘いの場でもあり、『風姿花伝』は秘本となっていた。
世阿弥は12歳で足利義満の寵愛を受け、70歳の時、御所で最後の演能を行った。2年後、足利義教によって佐渡島に流され、81歳で亡くなったと云われる。
「初心忘るべからず」
『花鏡(かきょう)』という伝書に書かれている言葉の意味は、「最初の志」に限らず、若い時の初心、人生時々の初心、老後の初心を忘れてはならないということ。
世阿弥の言う「初心」とは、今までに体験したことのない新しい事態に対応する時の方法、あるいは試練を乗り越えていく時の戦略や心がまえだと言えるでしょう。
「かるがると機を持ちて」(花鏡)
この時代には、宴会に呼ばれて能を演じることもあった。既にお酒が入っている人々はもう「序」の段階ではなく、「破」か「急」の段階にある。こんな時、能楽師は着いたばかりでも自分の気分を軽々と引き立ててリズムを作らなければいけない。
「男時・女時(おどきめどき)」
勝負にはよい時と悪い時がめぐってくる。相手に勢いの波が行っているときには、負けても気にせず、大きな勝負に備える。「女時」にいたずらに勝ちに行っても勝てない。「男時」を待って、そこで自分の得意芸を出し、一気に勝ちに行く。
「離見の見(りけんのけん)」
見所(観客席)から見る自分の姿を常に意識せよ。我見ではなく離見で見た時に初めて、本当の自分の姿を見極めることができる。
「目前心後(もくぜんしんご)」とは、目は前を見ているが、心は後ろに置いておけ。
「秘すれば花」
立合に勝ち、人気を獲得するための戦術。毎回舞台で見せてしまっては、「花」ではなくなる。「新しい」「珍しい」芸だからこそ、それは「花」となり、勝負相手や観客を圧倒できる。
土屋惠一郎(つちや・けいいちろう)
1946年東京都生まれ。明治大学法学部教授。専攻は法哲学。
能を中心とした演劇研究・上演の「橋の会」を立ち上げた。
著書、『能』(芸術選奨新人賞受賞)、『世阿弥の言葉』など。
私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)
能や世阿弥について、学校の教科書程度のことしか知らない人(私)の入門書としては解りやすく四つ星だ。しかし、しっかり読むと、すぐ疑問が湧いてきて、中途半端だと思えてくる。その意味では“良い入門書”なのかも知れないが、物足りない。
「何で法学部教授が」とも思う。