柴崎友香著『虹色と幸運』(ちくま文庫し49-1、2015年4月10日筑摩書房発行)を読んだ。
学生時代の同級生、アラサー女性3人の1年。大人になっているのに、なった気がしない、ありふれたそれぞれの日常をシンプルに繊細につづる。
美大出身だが、大学職員になった「かおり」は、まじめで仕事もできるが、母親に隠れて年下の劇団員の男性と同棲中。
かおりと美大の同級生で、雑誌にイラストなどが載るようになったイラストレーターの珠子は、「好きなことが仕事になっていいですね」と言われるが、家暮らしで、母親とのコミュニケーションに問題がある。
7年前にふられた森野新太が心に残る。珠子は、
祖母や母が「男運が悪い」のと違ってわたしの「男運」は単に「ない」のかも、と思う。
2人は3月の土曜日、3人の子育てしながら雑貨店を開いたかおりの高校の同級生の夏美に会いに行った。
3人の子供が保育園に行っている時、夏美は暇だなー、と思う。
常に子どものことに気を取られ、今やること次にやることそのあとやることを考え、考えた端から子どもたちによって変更を余儀なくされ、とにかく動き回っていた。・・・
夏美は冷蔵庫にあった物を思い出しながら、メモを書き始めた。子どもが一人もいなかったときに毎日何をして過ごしていたのか、うまく思い出せないな、と思いながら。
幼馴染で出戻りの光絵は、珠子が森野と再会したのに彼女がいるかどうかさえ聞けないのにいらだつ。直接聞いて「いない」と確かめて珠子に言う。
「ね、簡単じゃん。わたしたち、もう最短距離で行くしかないと思うよ。失恋したって、三日で立ち直ればいいの。わたしが酒でも旅行でもなんでもつき合ったげるから」
人物相関図が巻末にある。
単行本は2011年7月刊行。
私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)
30歳を過ぎた女性3人の日常がたんたんと語られるが、その中で微細な観察から、各々の心の動きが抽出される。細やかな話が続くので、大雑把な私にはじれったいが、心理描写が好きな女性には面白いかも。
主人公が入れ替わり立ち替わりし、中には数行で変わる場合もある。しかも、三人称で語られるので、書き分けるのは難しかったと思えるが、混同することなく簡単に読める。さすが芥川賞作家。
珠子とかおりについてはその心理が良く書けているのに、3人の子持ち主婦の夏美については、行動の記述だけで、心の動きがくみ取れない。実際そんなものなのか、それとも主婦は著者の苦手分野なのだろうか?
読者に「そうそう」と思わせ、惹きつける著者の小技をいくつかご紹介。
・・・そもそも長い間保育園というものに縁がない生活を送っているので、ころころした子どもたちを取り囲む四人(保育士)が全員若いことにも感心した。(あんな女の子が!とあきれるが、ちゃんとした保育士なんですよね)
かおりはいいよいいよ、と言いながら、学生の時もそのあとも珠子はこういうことがしょっちゅうあった、と思い出していた。一時間、二時間の大きな遅刻はしないけど、きっちり到着することはめったになかった。(こんな人、いるいる。友人のだれかは書かないけど。)
準之助の裾のすり切れたジーンズから出ている足は裸足だった。脱いだ靴下が後方に転がっている。何度注意しても無駄なので、一緒に住み始めて二ヶ月であきらめた。(40年経過してもまだあきらめない人もいる)
呼吸が荒くなってきたかおりの目の前に、ハイヒールの足がずっと見えていた。豹柄のヒールは、十センチ近くありそうだった。ペースも姿勢もまったく乱れることなく、豹柄ヒールが同じリズムで会談を上がっていく。見上げると、足首もふくらはぎも筋肉のメリハリがあって、その上のタイトスカートの腰もしっかりくびれている。・・・自分よりかなり年上ではないかと、かおりは予想した。(女の人って、他の人を見てないようでしっかり見てますよね)
腕だけでなく、ショートパンツにサンダルだから足もほとんど露出していた。たれ目ふうにアイメイクをしたかわいらしい顔立ちの子だったが、こういうタイプって実は気が強そうだなー、と珠子は勝手な思い込みを持って、彼女にレースでもこもこした鞄や花柄のカチューシャなどの・・・。(女性は同性に厳しい)
「あちらにいらっしゃるのが、麻布でギャラリーされてる方なんだけど、今度そこでも個展の話をいただいてるの」
ああ、この感じ!と珠子とかおりはほとんど同時に思った。青木茉莉香って、こういう子だった。人脈を自慢するときに出る取りつくろった敬語、なつかしいー、・・・。(観察が細かい)
他人の幸運はくっきりとよく見えるけど、自分の幸運はもやにつつまれたように、いやもっと濃い、雲の中にいるように、手さぐりで確かめるしかなくて、そこにあるのに、すぐに見えなくなってしまうのかもしれない。(去ってから気づくのが日常的な幸福でしょう)