hiyamizu's blog

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宮崎揚弘『ペストの歴史』を読む

2015年09月13日 | 読書2

 

 

宮崎揚弘著『ペストの歴史』(2015年5月10日山川出版社発行)を読んだ。

 

14世紀のペストはヨーロッパを壊滅させた。日本では1899年に上陸したが、2420人と世界に比べ軽微な被害に終わったことから、ペストはただ恐ろしい病というだけで実状は良く知られていない。

この本は、ペストがどこから起こり、どう流行し、どれほどの被害で、医学が進歩していない中での必死の対策などが説明されている。

 

前半は、黒死病(ペスト)の説明と、14世紀のヨーロッパを襲い、終息までの約6年間の経過を詳細に述べる。

後半は、近世のヨーロッパが、繰り返して襲ってくるペストと、悲惨な経験の中から克服策を探り、公衆衛生の観念や危機管理のしくみを発展させていく様子が語られる。今日のパンデミック対策の基本が、ペストでの考えられないほど多くの犠牲者の屍を乗り越えて確立されていったことが理解できる。

 

私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

 

たしかにヨーロッパでのペストの流行については、その詳細までよく解る。

流行の広がりや、日常生活の中でどのようにペストがうつっていったのか、そして、徐々に効果ある対策が取られ、何回もの失敗を経て、対策が確立していく様子が語られる。しかし、私の様に一般人にはあまりにも詳細すぎる。

 

 

宮崎揚弘(みやざき あきひろ)

1940年東京生まれ。本名・宮崎洋。

慶應義塾大学文学部卒、同大学院文学研究科史学専攻博士課程満期退学。

北海道教育大学釧路分校講師、助教授、慶應義塾大学商学部助教授、教授、2006年定年、名誉教授、帝京大学文学部教授。2011年退職。近世フランス史専攻。

主な著書、『フランスの法服貴族 18世紀トゥルーズの社会史』、『災害都市、トゥルーズ 17世紀フランスの地方名望家政治』

編著、『ヨーロッパ世界と旅』

 

 

以下、私のメモ

 

ペストとは何か

ペスト菌は本来リスやネズミなどげっ歯類の体内にあってペストを発症させる感染源であるが、それが人間の近くに住むクマネズミ、ドブネズミなどに広まり、人に感染させるものとみられる。・・・ネズミからヒトへの感染メカニズムは・・・ノミを媒介する。・・・ヒトからヒトへは空気(飛沫)感染である。

 

病態からみると、腺ペストによる死亡率は比較的低く、肺ペストによるそれは高く、敗血症性ペストのそれはほぼ100%であった、とされている。

 

ペスト菌は湿った地中にある死体のような組織のなかでは、七ヵ月以上も生き続け、・・・。

 

ペスト菌のさらなる特性は比較的熱に弱いことにある。・・・(北欧では流行しなかったし)、春から秋にかけて隆盛を極め、寒い冬を迎えると、鈍化するか、消滅することにある。

 

初めてのパンデミックであるユスティニアヌスの大疫は、541年エジプトで始まり、542年春にコンスタンティノーブルに入った。膨大な死者に墓場は満杯となり、死体は山積みされ、ペスト菌は拡散した。544年終息し人口30万人の20%が死んだと推定され、やがてヨーロッパの各都市に広がっていった。

 

1346年、ジェノヴァ人の東方の商業の拠点カッファがタタール人の包囲攻撃を受けた時、タタール人の間に疫病が蔓延し、一日数千人の病死者が出た。これに絶望したタタール人は、ジェノヴァ人のいる都市のなかへ疫病死した仲間の遺体を投石機で次々と投げ入れた―――キリスト教徒における疫病はここに始まる。

 

英仏間の百年戦争、イタリア戦争、三十年戦争などでの軍隊の移動、死者の埋葬によりペストが拡散した。飢饉による大量の死者は浅い埋葬を生み、これもペスト流行をもたらした。

 

トゥルーズでは、ペスト接近の情報から危機管理体制をとり、市門を閉じて健康通行証を持たない者を通さないようにした。漏れた侵入者がペストで死亡し、搬送中の遺体の頭巾が風雨で飛ばされ、拾った女性が発病し、隔離策は失敗して市全体にペストが蔓延した。

 

西ヨーロッパでの近世ペストは1720年のマルセイユの大流行を最後に姿を消した。これは防疫線による隔離が効果的であったものと言われる。1984年から92年までに主にアジアで1万件生じて、1200人死亡した。

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