下重暁子『家族という病』(幻冬舎新書375、2015年3月25日発行)を読んだ。
裏表紙にはこうある。
日本人の多くが「一家団欒」という言葉にあこがれ、そうあらねばならないという呪縛にとらわれている。しかし、そもそも「家族」とは、それほどすばらしいものなのか。実際には、家族がらみの事件やトラブルを挙げればキリがない。それなのになぜ、日本で「家族」は美化されるのか。一方で、「家族」という幻想に取り憑かれ、口を開けば家族の話しかしない人もいる。そんな人たちを著者は「家族のことしか話題がない人はつまらない」「家族写真入りの年賀状は幸せの押し売り」と一刀両断。家族の実態をえぐりつつ、「家族とは何か」を提起する一冊。
同じ家で長年一緒に暮らしたからといって、いったい家族の何がわかるのだろうか。
(私もその通りだと思うが、それが何か?と言いたい。人はさまざまな顔を持っていて、家での父親としての顔と会社での顔は違う。学校の同じ運動部で、同じ寄宿舎で同じ釜の飯を食ったからなんでも通じ合うのではない。それは同じ時代に同じ場所で経験をした点に限られる。著者がたびたび強調するように、家族だからすべてわかっているとは、ほとんどの人は考えていないと思うのだが)
息子の不始末を安易に補おうと簡単に振込詐欺に騙される母親たちが多いのは、日本の家族の在り方がおかしい。
(この著者の指摘はもっともだ。恥を世間の知られるのを極度に恐れる考えも、毅然とした態度とは正反対だ)
下重暁子(しもじゅう・あきこ)
1936年宇都宮市生まれ。作家・評論家・エッセイスト。日本ペンクラブ副会長。
1959年、早稲田大学教育学部卒、NHK入局。NHKアナウンサー
1968年、フリー。民放キャスターを経て、文筆活動へ。
財団法人JKA(旧日本自転車振興会)会長。
著書『持たない暮らし』『老いの戒め』『老いの覚悟』など。
私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)
ネットで皆さんが言うほどの悪書ではない。
しかし、私に言わせれば、この本は家族嫌いという病にかかってしまった女性のおはなしに過ぎない。
「家族のことしか話題がない人はつまらない」とは私も思う。しかし、「家族写真入りの年賀状は幸せの押し売り」とまでは思わない。まったく、親ばかでどうしようもないなと、ニヤッとはするが。
著者が多く指摘するベタベタした家族の在りようは確かにみっともないが、いざというときに現れて、支えてくれる家族は頼りになる。親友でもそれは同じなのだが、家族の方がより深く踏み込みやすい。
絆、絆の風潮や、家族がすべてとの安易な考えには、私も反感を覚えるのだが、家族への屈折した思いから家族と向き合ってこなかった著者が家族という病”というタイトルの本を書くのはいかがかと思う。その論旨も自分の家族と周囲の人の話からの展開だけで、社会的考察もない。まあ、幻冬舎のあくどい宣伝勝ちなのだろうが。
著者は“戦前うまれ”で、戦後育ちの私とは時代が違い(?)、現代の多くの人からすると、古すぎる考え方にとらわれていると見えるだろう
それにしても、職業軍人だった父が2・26事件の青年将校と行動を共にしなかったことに反発し、著者は血に塗られた強い意志を期待したという。軍国少女の時の考えならわかるが、今振り返って父への反抗の始まりがそこだったというのは理解できない。
父親の主治医から「あなたは・・・なんと冷たい女なのだ。結核病棟に老いの身を横たえている父親を一度も見舞いに来たこともないではないか」という手紙にも、反感を持ち、見舞いに行かないとはどういう了見なのだろう。