岩城けい著『Masato』(2015年9月10日集英社発行)を読んだ。
自動車会社に勤める父親は初の海外勤務を命じられ、家族4人でオーストラリアにやってきた。妻は仕事を辞め、中学生の姉は日本での進学に備えて日本人学校に行く。小学6年に進学予定だった真人は英語が喋れるようになるからと公立小学校の5年生に転入させられた。
真人はクラスメイトが何を話しているのかわからない。からかわれては、いじめっ子のエイダンとケンカをくり返し、校長室に呼ばれ、英語で弁解できず悔しい思いをする。
勉強ができ、ピアノも弾けるがクールな台湾系のケルヴィンと、のろまでデブなノアだけが友達といえば友達だ。そんなある日、人気者のジェイクにサッカークラブに誘われ、日本でサッカーをやっていた真人は、ようやく自分の居場所を見つけ、徐々に英語が分かるようになってくる。
一方、英語を拒否し、不満を口にし、家に閉じこもる母親は、真人に英語でまくし立てられると恐くなり、日本語でしゃべりなさいと叱りつけてしまう。
自信を無くした真人にキャンベル先生は言う。「ぼくはだめだなんて二度と口にしないこと。だめな人間なんて、私の知る限り、この世にひとりもいない」。
母親は日本への帰国を強要してくるが、真人は現地の高校への進学を強く主張し、自立し始める。
異文化圏でのコミュニケーションの難しさに悩み苦しむ母親について、著者は、ダヴィンチ・ニュースの「『Masato』刊行記念 岩城けいインタビュー」で、こう語っている。
彼女は、日本を離れたがゆえに慣れ親しんだ母語や文化が奪われた上、職業までも失ってしまったわけです。娘は受験を機に日本に帰ってしまったし、息子はどんどん自分の知らない人間になっていく。ものすごく『自分』が不安になってしまったのでしょう。だから、夫にかみつくように物を言ったり、真人に当たったりもします。私だけひとり取り残されて、一体どうすればいいの、とパニックに陥るわけです。
初出:「すばる」2014年9月号
岩城けい(いわき・けい)
1971年大阪生まれ。学生時代に3ヶ月語学留学、社会人で半年間渡豪。ホスト・ファミリーの経営する会社で社内業務翻訳業経験ののち、日本人と結婚。オーストラリア南東のヴィクトリア州に住む。
2013年、「さようなら、オレンジ」で太宰治賞・大江健三郎賞受賞、芥川龍之介賞候補
私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)
異文化圏で暮らす人々の、いつまでたっても何かぴったりこない感じを、ジュンパ・ラヒリの『停電の夜に』のようにしっかり実感させてくれる。こんな小説は日本では珍しい。主な登場人物がアフリカ系の女性という前作「さよなら、オレンジ」のほど衝撃的ではないが、この作品も言語の壁に挑み、克服していく少年と、異国人になってしまう少年に怯える母を丁寧に描いている。
アラスカでの話を描いた大庭みな子の『三匹の蟹』も衝撃的だったが(集英社文庫WEBコラムの植島啓司の紹介が素晴らしい)、もっと地味で地に着いた小説だ。異国に22年暮らすという著者は日本文学にとって貴重な存在だと思う。
白と黒のマグパイに頭を突かれる話があるが、私もオーストラリアのパースで同じ経験をしていて「マグパイに襲われる」「Willy Wagtailにも襲われる」に書いた。ワライカワセミも隣の家の屋根で、うるさいほどの大声で、まるで人が笑っているように鳴いていたのを思い出した。
パートナーのほかは誰も頼れる人がおらず、すべてが敵とも思える海外での生活、その環境の大きな変化は人に何かを考えさせる大きなきっかけになると思った。