桜木紫乃著『ふたりぐらし』(2018年7月30日新潮社発行)を読んだ。
映画にこだわり、ほとんど出番のない映写技師をしながら、出版社に受け付けられない映画評論にこだわっている信好と、看護師として生活を支え、母親と確執がある妻の紗弓(さゆみ)。信好に対し義母は冷たく口調は厳しく、おだやかな義父には秘密があった。
一緒に暮らし始めたあの日から、一歩ずつ幸せに近づくと、信じながら夫婦になっていく。互いを思い合うあまり言いたいことを呑み込んでしまう、静かで、表面は穏やかな日々に、ささやかな喜び、小さなそして積み重なる嘘、嫉妬、沈黙、愛。ふたりぐらしの夫婦に徐々になっていく姿がじっくり描かれる。
「こおろぎ」
信好は月曜日には、膝や腰が痛いという古希になるの母・テルを病院に連れて行く。10年ぶりに昼に鰻を食べた。母はやりとりがおかしく、だいぶ呆けて来た。次の火曜日に電話が来て母の死を知らされた。
「家族旅行」
紗弓は実家の父母から定山渓旅行へ誘われ一泊した。信好には夜勤を偽り、父母には理由をはっきり告げてきたと嘘をついた。
かって信好のことを「それって、ヒモって言うんじゃないの」と言った母を紗弓は未だ許せない。「お母さんにことたぶん嫌いなの」という娘に、父は「いいんだよ、女の子はそれで。…彼女のことは、紗弓のぶんまで僕が好きでいればいい。…」と言った。
「映画のひと」
ピンク映画の女優だった甲田桃子がフェスティバルに来てくれる話。
「ごめん、好き」
紗弓はバイト先の診療所の看護師・大浦美鈴から3月31日の夜の交替を頼まれた。夫の退職日だというのだが……。女性名のメールに疑念を持った紗弓は……、「ごめん、好き」…「ごめん、どうしても好き」。
「つくろい」
差し引き百万円にしかならない実家を処分しようとする信好に、紗弓は住みたいという。
「男と女」
紗弓は検査入院の80歳の七重ハマ子を担当し、和田伸吾宛の手紙の代筆、投函を依頼される。
「ひみつ」
信好は義父の紹介で映画評論・研究家の岡田国男の助手をすることになる。岡田から義父の秘密を聞く。
「休日前夜」
信好の中学の同級生・森佳乃子が来宅し、紗弓は落ち着かない。
「理想のひと」
岡田が見合いした大村百合と信好・紗弓の4人で食事する。
「幸福論」
紗弓が勤めた内科を訪れた泉タキは紗弓達の隣家に住んでいて、行き来が始まる。泉家にはかって大荒れに荒れた中学生の一人娘がいたという。タキは懐かしの歌謡曲を歌う沢田リョウに入れ込んでいて、夫はやきもちを焼くという。タキいう「年を取れば、どんな諍いも娯楽になっちゃうんだから」。
初出:「小説新潮」2015年7月号~2017年10月号
新潮社のHPに作者の本作品に関するエッセイが載っている。
表紙には「Un homme et une femme」と書かれている。「男と女」という意味らしい。1996年の同名映画がある
私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)
紗弓は人との距離が離れていて、控えめで、やさしい。引っ込み思案で、消極的だが、おおらかな面もあり、感じが良い。信好は今どき映画だけで稼げればなどと甘すぎる。アルバイトして、主夫を引き受けて、できることはやるべきだと腹立たしい。
そうはいっても、この夫婦のように、あからさまにべったりでなく、距離感のあり、互いに思いやる夫婦愛も穏やかでいいものだと思う。さらに段階が進んで、親の介護が必要になったり、子どもができたりして、生々しい現実の大きな課題が生じたときに、この二人の関係はどうなるのだろうか。
岡田がひきあいにパトリス・ルコントの『髪結いの亭主』を出した。
―人間ってのは、幸福なだけじゃ生きてはいけない欲深いものなんだ。
自分もここから先は一ミリでも「髪結いの亭主」を脱出しなければならないのだ。
―ひとつお願いがあるの。愛しているふりだけはしないで。(P142・ひみつ)
愛しているふりをして、そう思い込んで、何年かの生活の積み重ねの中で、肉付きの仮面になって根づいた愛が生まれる、そんなこともあるだろうと思う冷水でした。