hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

幼い私のおもちゃ

2020年04月20日 | 昔の話

貧しい時代の貧しい家に育った私には、おもちゃらしいおもちゃはなかった。

家でよく遊んだのは、風呂敷をマントに、物差しを刀にしたアメンホテプ遊びだ。風呂敷はゴワゴワした木綿地で、紺色だったような気がする。物差しは三尺の竹尺で、持つところの節が少し出っ張っていて色が薄くなっていた。一人っ子なのでチャンバラをするわけでもなく、ただ扮装して貸本漫画に出ていたエジプト王になりきるのだ。

親父の碁石でも遊んだ。畳の上に陣形に並べて白と黒で戦うのだが、勝ち負けのルールがあるわけでもないので、味方と決めた方がどんどん勝って行くだけだ。頭の中の戦いのイメージが遊びの主体で、碁石はその結果を示すのに使うだけだったのではないのだろうか。貝でできた白石は薄く艶があり、黒はくすんでいた。碁石を入れる碁笥(ごけ)の蓋の丸みが何故か懐かしい。


庭では木登りをし、屋根にもよく登った。一人で遠くを眺めていると、自分の狭い世界が広がったような気がしたものだった。


メンコやベーゴマも、ときどき商店街の抜け目ない彼等の所へ出かけ勝負した。しかし、ベーゴマに鉛を盛ったり、角を削って尖らしたりし、勝負にかける意気込みが違う悪童達にのんびりした私が勝てるわけもなく、わずかな持ち物をすぐに巻き上げられてしまった。


小学校に入ってからよく遊んだのは、車がめったに通らない未舗装の裏通りでの三角ベースの野球だ。隣に住む同級生と、その弟がいつも一緒だった。二歳ほど下の弟はまだ下手でよくエラーする。私が「またエラーしたぜ」と友達と笑っていて、さらに「ほんと駄目だよな。どうしよもないよ」と言う。すると、いつも一緒にバカにしていた友達がちょっと変な顔をして、「だけどあいつけっこう打つぜ」と言った。私は「ああ、友達よりやっぱり兄弟なんだ」と黙りこんでしまった。

「いつも結局ひとりだったんだね」と慰めてやりたい。

 

今のような巧みに作られたおもちゃや、ましてコンピュータ内蔵の高度な玩具などなかった時代、子ども達は身近なものを空想でおもちゃ道具に変え、工夫して手を加えて遊んでいた。今となっては懐かしさもあって、結構楽しく遊んでいたように思えてくる。部屋一杯に散らかった孫のさまざまな工夫されたおもちゃを見ていると、本当に幸せなの?と思う。

 

 

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