2005年は個人的には失望の年だった。何をやってもうまく行かなかった。心・体・金の全ての面でプライマリー・バランスがマイナスになった。長い人生でこの三つが全て前の年より悪くなるなんて事はなかった気がする。何でそうなったのか、人生の転換点に差し掛かったのかもしれない。
実りある政治の年
私にとり2005年は政治の年だった。前半は米国大統領選について米国の友人と大いに議論を戦わした。米国滞在時は注意深く避けたテーマだが、一旦議論が始まるとお互いに政治の話が大好きだということが分かり理解が深まった。友人は全て民主党支持で共和党の悪口雑言を散々聞かされ、むしろ私は時に中立的立場にいることに気が付いた。後半は小泉政権の打った大博打をどう理解するか、その意味と結果の必然性について自説を展開した。私には明々白々なのに何故テレビなどに登場する先生達は分からないのか、予想通りの展開を見て随分気分が良かった。
ミクロ経済は散々、終に収入ゼロ
マクロ経済占い(予測というには恥ずかしい)もかなり精度良く当たったつもりだが、肝心の自分の投資は千載一遇のチャンスを逃した。理由は日米両方の物件で最悪のジョーカーを引いた為だ。実はそれでもバブル並みの株式高騰で稼げるチャンスがあった。ところがジョーカーの損をバランスさせようとして、痺れを切らして優良株が上がる前に処分してしまい、年末盛り上がったとき売物がなかった。恥ずかしながら仕事を始めて以来初めて所得税は払う必要がなくなってしまった。
あわや熟年離婚
テレビ・ドラマでは熟年夫婦は離婚したが、私達は夫婦でいることにした。夫婦の間の距離を適度に保てばやっていけるというのが、米国から帰任して以来7年かけて達した結論である。しかし、その距離は考えていたより遥かに大きなものだった。ドラマの設定と全く同じだったが、一緒に食事や旅行しよう・コンサートに行こうという熟年亭主の想いなど有り得ない遥か遠くの距離だった。初め苦痛だったが、慣れてくると自分で服を買い、家事をするのも悪くはないことが分かった。今後互いにどう独立していくのか課題だ。
趣味に生きる
3年前はカナディアン・ロッキー、一昨年は豪州ブルー・マウンテンを夫々1週間くらい滞在して渓谷を歩き山に登ったが、昨年は全くどこにも行けずフラストレーションが溜まった。読みたい本は買えたが、コンサートに行かず、CDも1,2枚買っただけ。時間は十分あるのだが何故かその気になれなかった。ミッド・ライフ・クライシスが10年遅れてきた感じだ。私はいつも何かに挑戦してないと精神が萎縮してくる。
コンサル事業不成立
ODA予算削減以来、早期退職後貢献したいと思っていた海外協力事業案件の引き合いが全く来なくなった。何もしないと経営感覚も鈍ってくる。そこで思いつき、NZのBスクールに散々お化粧した履歴書を添え乱暴にも無試験でMBAの入学を認めろと申し込むと、2校から3~5件の論文や英語資格など通常必要な条件を満たさなくても受け入れる、ただし学力テストは受けろと返事が来た。いま、これを回避する作戦を考えている。今更受験勉強したくない。もしかすると趣味も忘れる刺激的な1年半が待ち構えているかも。何故NZかは聞かないで欲しい。取らぬ狸の皮算用だが、為替レートが心配。
あいたた、内転筋損傷
9月に傷めた内転筋の後遺症は未だに続いている。瞬発力と耐久力の両方を必要とするバドミントンはもう出来ないかもしれない。バドミントンは私にとって全神経と体力をフルに使ってする運動で、少しでも体力が落ちると直ぐ結果に現れる、いわば体力年齢を図るバロメーターだった。現在参加しているサークルでは私と同年齢の友人が最高齢で元々怪我がなくても一杯一杯でやっていた。2月に帰京したとき回復してないと、もうそのクラスでやるのは無理かもしれない。老人のクラブに入るのはつらい。
ということで2005年はいいことが余りなかった。しかし、2006年のために植えた花が咲くかもしれない。挑戦する若い気持ちを忘れずにこの1年を生きて行きたい。■