この冬の田舎暮らしも残り少なくなった。母は78歳で年末に退院後何とか元気に過ごしていたが、正月明け寒さが和らいだ時家事や畑作業をやり過ぎたのか疲れが出たようで、一時的だがふらふらして歩けなくなった。
その後かかりつけの病院で点滴を受け何とか元気を取り戻した。そういう経緯があったものだから、帰京後インターネットカメラで朝晩母の様子を見るだけではいざという時の対応が出来ないのではと心配になった。
市役所の高齢福祉課に連絡し介護を委託している在宅介護支援の医療法人の紹介を受けた。その日の午後、早速地区担当の方に来てもらい相談に乗ってもらった。サービス内容は買い物ヘルパー派遣・通院の乗車補助する福祉タクシー・閉じこもり老人の為のデーサービス・在宅介護の4種類あって、母はそのどれにも該当しないと言われた。
確かに現在母の状況は比較的安定しており日常生活は何とかやって行けるが、いつ母が動けなくなり買い物や通院できなくなるか分からず、いざという時タイムリーに状況を把握してペーパーワーク等でぐずぐずしないで支援してくれるか非常に心配だ、と言って症状が悪化した時の配慮を強く求めた。(事前に親戚の老寄りから書類提出が面倒で頼めないと聞いていた。)
医療法人の地区担当はまだ若い女性で、私がついつい会社勤めしていた頃の厳しい交渉スタイルで迫ったので、田舎ののんびりした会話に慣れた方にはチョットやり過ぎだったかも知れないと後で反省した。その効果があったのか後から母に連絡があり、再度検討して連絡頂けることになった。
その後やはり帰省中の妹のお義母さんから近くのスーパーが足のない老齢顧客の為の送迎バスを週一のペースで運行しており、要望に応じてコースを変えたと言う話を聞いた。しかし、現在は母が利用できるコースを走っていない。母に聞くとこの付近だけでも該当する独居老人が4-5人いると言う。
早速当該スーパーに連絡し事情を話してコース変更を依頼し、会議にかけると言う返事を貰った。しかし私は経験から時間軸のない返事では満足できず、今月帰京するので出来るだけ早く決めて頂きたいと強くプッシュした。もっと強い動機付けをしたほうが早くアクションを取ってくれると思った。
と言うことで、まず医療法人の担当にその旨伝えたが、よく考えれば自分の仕事を減らす提案をしたことに気が付いた。彼女のやる気のない返事は尤もである。最初の取っ掛かりになった市役所の担当に状況を説明、市のほうからも是非スーパーに口添えしてくれと依頼した。
最初反応がイマイチだったので、こうした民間の力をうまく利用して官民連携で今後益々増える独居老人の支援をするのは、市の財政負担を減らす効果もあり全市にわたって考えてみたらどうかと電話口で演説してしまった。先に報告したように市の財政は民間基準で言えば既に破産している。
この市の担当と話して地区毎にどれだけ独居老人がいるか等、どうやら老齢化社会行政を考える基礎となるデータベースが活用できる形になってないことに気が付いた。老齢化と共に狭まる行動範囲をどう克服し出来るだけ長く自宅で自立して生活していくかは、厳しい市の財政にとっても必須なはずであると説き少なくとも担当レベルでは賛成してくれた。上司に話すと言う。(これからどう展開するかどう転んでも別の意味で興味がある。)
送迎バスのコース変更の為には沿道のの潜在顧客を調べ、トータルニーズを把握する必要がある。もう直ぐ帰京することを考えると地域コミュニティのリーダーに取りまとめをお願いしなければいけない。担当の方に聞き今までの経緯を組長(自治会長のこと)に説明し支援をお願いした。
ここまで話をさせてもらった方は組長を除き全て女性だったのは非常に印象に残る。男の直感としていうなら、向き不向きだけではなく女性に押し付けている気がしないでもない。多分全国的な傾向だと思われる。だからと言うわけではないが総合的な視点での地域の高齢化社会対応の施策作りがまだなされてないという問題を垣間見た印象がある。
たまに田舎に来て好き勝手なことを言ってかき回し、最後まで面倒見ないで直ぐ都会に戻るといわれそうな気がしないでもないが、母を心配する気持ちから出たことで無礼はお許し頂きたい。堺屋太一氏は団塊の世代は老人が超老人の最後を看取る最初の世代であると定義した。高度成長時代を支えバブルを経験した団塊世代には、又新たなる挑戦が待ち受けている。最後の最後まで貢献できることは幾らでもある。■