藤原氏のベストセラー「国家の品格」を批評したが、彼が嘆いていることについて否定した訳ではない。それは国家とか武士道に結び付けたことに対する批判だった。私も見聞きするだけで下品に感じ不愉快になることが沢山ある。これは普通じゃないと言う意味で清少納言風の「いと見苦しきもの」と言う言葉が浮かんだ。ちょっと浮かんできた最近の出来事だけでもこれだけある。
・ ばれなければ何でもいいと弱者に付け込んで騙し、自分さえ良ければいいと考える風潮。
・ 税金の無駄遣いと分かっていても省益を優先させる論理に全精力を傾ける官僚。
・ 何度指摘されても利権がらみの天下りと官製談合を続け恥じない官僚。
・ どう見ても場違な建物を全国の過疎地に建て巨大な借金を残したが、利用してないのに必要だったと言い張り金の使い方を知らない政治家と住民。
・ 金儲けのために耐震偽装し住民を恐怖に陥れて恥じない業界全体。
・ 給食費を滞納してハワイ旅行に行き、義務教育では給食も無料と開き直る主婦。
・ 開き直りで発生した滞納額を、摩擦を恐れ税金や給食の質を下げ、結果的に真面目な親に負担させて平気なやり得を許す学校や自治体。
・ スポーツマンシップや礼儀を知らないボクシング・馬鹿親子と、それをたしなめない周りの大人。
・ それにおもねて何の批判も無く面白おかしく伝え、得意の集中的バッシングをしないメディア。
・ 金に飽かした贅沢な生活をあげつらった番組の直後に格差社会を論じるテレビの無神経さ。
・ 当りの良いCMで誘い年寄りの無知に付け込む高利貸しと、摘発されるまでCMを続け謂わば間接的に犯罪に手を貸したのに反省しないテレビと資金提供した銀行。
・ 摘発され違法金利の規制が強化される見込みになると、困っている人がお金を借りられなくなると開き直る高利貸し。
・ 闇の世界が怖いのはわかるけど、それにおもねる芸人を面白おかしく伝えるテレビ。
・ ところかまわず携帯電話する人、美味しい食事中も携帯電話から手が離れない人。
・ 公共の場で子供の無作法を放置する親、注意されると開き直り切れる親。
・ 分別あるべき年配者から若者までお金に困ると安易に直ぐ犯罪に走る、しかも弱者を狙う風潮。
これに対して私は次のような三つの対策を考えてみた。武士道などの心の問題、教育問題もあるが効果が出るまで待つ訳には行かない、もう少しプラグマティックなアプローチを提案してみたい。正直なところまだ思いつきに羽が生えた程度で、もう少し煮詰めてみる必要があるが、ここで私の考えを紹介し同憂の人の意見を伺いたい。
1.些細な見苦しさを見逃さない
ニューヨークの犯罪率がジュリアーニ市長時代に劇的に改善したのは、小さな犯罪を無くすことから始めたことは良く知られている。巨悪を見逃すなと言う考え方は正しいが、些細な犯罪と合わせ無作法を許すことが巨悪を容認する土壌を醸成する。して良い事、いけない事のけじめのある社会環境が大事なのである。
その意味で給食費を払わないでハワイ旅行に行く母親の行為を見逃すべきではない。一方で本当に困っている親子を支援すると言うメリハリを付けることが難しいのだが。私は最近の駐車違反や自転車交通違反取り締まり強化は良い効果を与えると思う。些細な不正を見逃さないところからコミュニティに対する関心が始まり最終的に政治参加まで意識が改善される。
2.確信犯に厳罰を
天下りや談合、耐震偽装、高利貸し等の多くは疑いが指摘されてきたのに違法状態が続いた。基本的にやり得だったからである。これらの人達は人の上に立ち優秀で不正と分かっていてもやり得だとやってしまう確信犯だ。小泉改革でも官僚の公金無駄遣いシステムはしぶとく生き残っている。やり得を絶対に許さない法整備と執行が必須である。
官僚だけではない、例えば三菱重工業は橋梁・汚泥処理・水門・トンネル工事と次から次へと談合を摘発された。談合まみれの会社なのに社会的に糾弾されることも無く我国を代表する会社として業績を上げ存続している、これでは普通の国とは言えない。
しかし、これについても最近の公取委の法改正・権限強化による一連の談合摘発や中央青山の業務停止命令など当局の取り締まり姿勢転換が明確になり、遂に普通の国になる方向に向かい始めた。随分時間はかかったが、小泉政権の意志を感じる。
年頭に予想したように官僚の自浄能力は先ず期待できないとすれば、最後は政権交代まで待つことになろう。不正疑惑の放置は最終的に当局の信頼を無くし、海外から侮られ投資家は離れていき、国民は遵法精神を失っていく衰退の道を歩むことになる。
3.増幅器は高い見識を
多分最も難しいのが我国のメディアである。彼らがいい仕事をするためには言論・表現の自由が絶対的条件である。しかしいい仕事をしたものが生き残ると言う競争環境が現在のところ我国には存在していないのが致命的である。購読者・視聴者の嗜好の問題もあるが、メディアがスポイルしている傾向も感じる。
メディアは常にヒーローと悪者を求めており、同じ人物をある時は無条件に英雄的扱いをし、ある時全面否定するという極端で表面的な報道をする。最近の若い有望なボクシング選手の無礼で思いやりの無い発言を無批判に報道する姿勢は余りに酷い。若い人への悪い影響は計り知れず、その全責任は判断力の無い選手ではなくメディアにある。
問題は良くも悪くもメディアは増幅して全国に影響を与えるからだ。米国の状況を見ると私はメディアのチェックはインターネットだと思う。完璧ではないが新聞・テレビ・インターネットは競争しチェックする関係がある。しかし、残念ながら我国のインターネット社会はそれ程成熟していない。何が問題なのかは大体分かっているつもりだが原因までは良く分からない。
最近第二次世界大戦や赤狩り報道で伝説の人エド・マーロウの映画が封切られたが、日本ではいつから尊敬され著名な報道人がいなくなったのだろう。報道における個人の役割、記者の顔を見えるようにすることが質を高める道を開くという気がするのだが。■