先月29日、大分県教委が発表した教員採用汚職事件の処分の一環として、今春採用された教員のうち21人の採用取り消しは、公平性を欠き妥当でないと私は考える。
本件は7月中頃「腑に落ちないこと三題」と題して警鐘を鳴らしたが、危惧したように何とも納得いかない処分になった。事件の全体像を見渡して何故こんなことが起きたか根本原因を明確にし、再発防止を徹底し信頼回復を図る処分でなくてはならなかった。
2007年以前に不正に採用・昇進した教員は、今回処分された教員数の何倍もいる(と思われる)にもかかわらず、何の咎めを受けることも無く子供達の教育を続けることになる。親は納得するだろうか。
処分を受けた教員志望の若者は反省するより、何で自分だけが罰を受けなければならないかと怨みだけが残ることになるだろう。罪の意識にさいなまれ自首した校長や教頭は罰を受け、ダンマリを決め込んだと思われる校長は生き残った。世の中そういうもんだと済まして良いのか。
教育委員は監督責任を認め報酬を返上するという。自首した校長や直接不正に関った委員は法の裁きが待っている。果たしてそれで一件落着、県民の信頼回復できるだろうか。この事件はもっと大きな問題で、県教委だけの力では及ばない領域がある。
何故、県教委は政治家や自治体幹部が教員採用や昇進に関与する隙を見せたのか。これら「有力者達」の力の源泉はこのような口利きを許す環境である。県教委は不正が行われた全プロセスを明確にし、有力者の名前を公表しない限り再発を防ぐことなど出来ないと私は考える。
こういう言い方は不遜かもしれないが、大分県民の中に有力者を利用して有利な扱いを得ようという環境があり選挙に反映され事件が起こったかもしれない、そういう反省が聞かれないとすれば批判は表面的だと言えないだろうか。県民は責任の一端を感じ問題解明の後押しをすべきだ。国民全体で考えるべき事かもしれないが、先ずは大分県民の問題だ。
大新聞やTVでもそういう論調を見かけないのが気になる、私には腑に落ちない。最近の論調は老人の窮地には同情しても、教師を目指す若者の将来に対して酷く冷たいように感じる。日本全体が老齢化している所以か。この問題を起したのも大雑把に言えば老人達だ。私は同情しない。最後にこれら21人の若者には是非立ち直って頑張れの言葉を贈りたい。■